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畠山勇子
明治24年5月、ロシアのニコライ皇太子を津田三蔵巡査が斬つた時、畠山勇子といふ27歳の女性が京都府廳の門前で、眞つ白な布を敷き、細紐で膝を嚴しく結はへて坐り、頸動脈を切つて自害した。ロシア政府への遺書には「この事件を理由に日本を攻撃するやうな事をしないで頂きたい、死んで御詫びをする」と書いてあつた。この頃の日本はロシアに對して甚だ弱い立場であつたが、その弱い日本の獨立を維持するために天皇から一市民、一女性に至るまで必死だつた。
方だより
敗戰直後、「方だより」と題されて『婦人公論』昭和25年2月號に載つた或戰爭未亡人の文章である。
彼女は夫が戰死して後も再婚せず、時々夫に手紙を書いた。
河田さんのことを今日は思ひ切つてお知らせ致します。お怒りにならないできいてちやうだい。 (中略)先日長年病気だつた奥様が亡くなられ、お氣の毒な方です。その河田さんが、この間雨に濡れて居た私を驛から家まで送つて下さいました。 (中略)本当にはしたない女だとお怒りになるでせうが、ときに誰かに甘えてみたいといふ氣持ちになるのをどうすることも出來ません。 (中略)私は「貞婦二夫にまみえず」なんていふことを、金科玉條のやうに死守しようといふほどに意志が強くもなささうだし、あなたが靖国神社で神樣になつてみていらつしやるとも思つてゐません。 (中略)第二、第三の河田さんにめぐり合つた時、「老いらくの戀」に花を咲かせないと斷言する自信もありません。
その方は同じ學校内に奉職してゐる中學の先生で、家が同じ方なので時々一緒の電車になり色々お話をいたします。
私はこの夜、今まで久しく味はつたことのない不思議な愉しい氣分になつて、家がもつと遠いといいのになんて思ひました。
家の前から引返された後、私は別れたくないやうな、なんだか苦しいやうないらいらした氣持ちでした。
私の人生は、たつたあの二年間で終つてしまつたなんて餘りに殘酷です。
こんな厚かましいことをぬけぬけと書くところがもうどうかしてゐるのかしら、でも……本當に女獨りでゐるとこんな時もありますのよ。
そして數日後、彼女はかう書いてゐる。
先日はジメジメしたお便りでごめんなさい。
あなたといふ錘りがなくなつてからは、文字通り風の中の羽のやうにフハフハしてゐる女心です。
その代り今日はもう颱風一過、晴々しい日曜の朝です。春になつたので私もブラウスを一枚新調して、パーマもかけました。
とても若返つたやうで何となく浮々し、メリーウイドーを口遊びながら今掃除をしたところ。
なんだかあなたが寢坊をして二階から降りていらつしやるやうな錯覺さへ致します。
道夫が學年末に賞状を貰つたのを大變喜んで、自分で佛壇に供へてゐます。
まだ道夫のことを餘りお知らせ致しませんでしたわね。
あなたが征かれた時は二歳でしたが、早いもので八歳になりました。
あなたに似てゐるところは少し弱々しい體格と、やさしいが氣の弱いところと目尻にしわをよせて笑ふところ。
頭腦の方は斷然私に似て惡い方ぢやないわ。(なんて失禮、ごめん遊ばせ)
それにつけても、この子が大きくなるまでは元氣で働かうと思ひます。
自由とか平等とか愛國心とか国を憂へるとか言つてゐる手合に、これほど見事な道徳的文章を綴ることは出來ない。
私もまた彼女ほどに立派な文章を逆立ちしても書けない。
この女性を襃めて、松原正氏はかう書いてゐる。
人間は神樣でも天使でもないのだから、してはならぬ事をしたいと思ふ。
けれども、してはならぬ事をしたいと思ひながら、なほそれをせぬ事、それこそが道徳的な見事なのである。
それにしてもブラウスを一枚新調してパーマをかけた位の事で、彼女は「浮々」してレハールのワルツを口遊むのだが、これはまた何とあはれで、ささやかな、けれどもなんと充實した幸福であらうか。
貧しい時、逆境にある時、日本人はまこと見事に振舞ふのである。
物質的に貧しい時代、政治的に弱い時代に、日本人は大變立派にふるまつた。
彼女の文章について、天皇云々といふのは野暮であり、私も言はない。
だが物質的に滿たされ、民主主義や自由や平等が「常識」になつた今の日本國で、道徳的に見事だ、といふ事はどれほどあるだらうか。
「自由で平等な理想の社會」なるものが實現するのは、惡い事ではないのかも知れないが、そのやうな社會が實現しても道徳が消え失せたら虚しい事である。
日本人は、經濟的に貧しくなければ立派に振舞へない。
ならば、近代化は日本にとつて、まことに不幸なものではなかつたか。