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ニート問題についてはKは早い内から問題視していた。
「日本の国家権力などは守る必要など無い」が「日本という国に住む人の環境は守らなければいけない」と言うのがKの持論である。
「日本という名称」という部分については、色々と意見が分かれる可能性もあるだろうが、今現在「日本と呼ばれている土地に住む人という定義において、少しでも多くの人が安心して、平和に暮らせる環境」という物を作り上げるという事ならば、大多数の人から賛同を得られるだろうとKは思っている。ただし、その方法論においては、異論各論があって、多数派形成が可能かどうか?には、いささか疑問もある。
「国家社会」という物を「区切られた社会」と仮定した場合。「日本と呼ばれる国家社会を『良い社会』にするには、継続的維持できるような循環環境が必要」だろうとKは考えている。
そのような視点で考察するならば「ニートとかパラサイトシングル」というような『存在』は「社会にとって悪と認定されるべき」だろう。
ただし、その『存在』を個々の人に置き換えた場合は、一概に「個人が悪い」とは言えないだろう。その人達は「別の視点で考えれば、政府の失政の被害者」である比率は低くはないだろうとKは推測している。ただし、あくまで、比率としてであり、個人的な問題で「ニート」になっている「個人も少なからずはいるだろう」
ここで、慎重に考えなければ危険な要素となることに「ニートを一緒くたにして、画一的に判断、処理をする」と言うことだろうとも思う。「被害者もいるが、加害者的存在の人もいる」というKの分析が正しいのなら「その2種類のニートは、全く別の性質を持っている」し「正反対に近い、別の種類の『存在』なのだろう」とKは考える。
脳梗塞と脳溢血はほとんど同じ症状を呈するが「治療方法は正反対」というようなイメージを持つと分かりやすいかもしれないが、ともかく、ニートにも色々あり、画一的な対応方法では問題なのだろうと思う。
でも、現実問題として「今までの政府のやり方から判断すると、画一的な対応策で処理されるのだろう」とKは思う。なにしろ、行政府には「バカばかりしか存在しない」
「ニートが更生しないのは、遊び場があるからだ」という意見が提言された。詳しくは阿修羅管理板を見ていただきたいが、一概に「却下」するのが正しいとも言い切れないだろう。Kも「何となく尤もらしい意見などを書いた」が、明らかに、考察不足である。
「阿修羅が社会を良くするための手法の一つ」としての存在意義を持っているのだと仮定した時、「ニートの存在を助長する」と言うことがあるのなら、やはり、問題の提起自体は是とするべきであろう。結果としての対応は別である。
一通り、阿修羅の投稿を見渡した所では「確かに異常に投稿数の多い投稿者が存在するようである。」ただし、その人がニートであるかどうかは分からない、可能性とすると「退職者」「特定の政党から仕事として行っている人」「家庭の専業主婦(お手伝いさんを雇用している?)もしくは、専業主夫」「窓際族の人で仕事は与えられないが、PCは与えられている人が職場にて」と言うような場合だって可能性とすればあるだろう。これらに該当するような人ならば「何も問題はない」だろうし、そもそも、投稿者の詮索などするべきではないだろう。
ただ、見た人が「勝手に決めつけ」「勝手に判断し」「これこそ、ニートの更生しない理由だ」と断言し、その結果、阿修羅がネット規制の対象の俎上に登ると言う可能性だってないとは言い切れない。なんせ、この世はバカばかりである。
とすれば「やっぱり、一日の投稿数の制限」というのも一つの方法論としては成り立つのだろうと思う。
政府がバカだから、まともな診断が出来ず、政府の失政が主な原因なのに一部の「バカな個人」のためにニートの「定義が歪み」、バカばっかりの中で、バカな対応策が作られ、バカによって、多くのまともな意見が多い「ネット空間が規制されていく」
Kのバカな妄想など一撃で論破してくれるような、利口な奴が、どこかに隠れているのだろうが、隠れていて出てこない。
せめて「あっしらさん」くらいは復活しても良いのに、復活もしない。
困ったものである。