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(回答先: Re: 何故、あえて「神」と呼ぶのでしょうか?「母なる自然」で充分では? 投稿者 yu-min-yu 日時 2006 年 4 月 15 日 09:55:07)
倫理・世界観・何をなすべきか?・罪を犯した時の許し・苦しみからの解放・励まし・他者に対する愛・思想
こういったものがゴッタまぜになっているのが宗教です。
昔は意識が未分化だったのであらゆる事を神様(仏様)と相談して人間は生きてきたのです。
しかし、現在ではこれらの事はそれぞれの論理を持つ事になりました。
法律や政治が神に代わって決定する事となってきたのです。
つまり神の役割はだんだんと減ってきたのです。
それでもまだ残っている部分で信仰心というのは命脈を保っているのです。
つまり「法律や政治ではどうしようも無い部分」が宗教の仕事です。
で、私はその「どうしようもない部分」も解明して対処方法を構築しようと思っております。
例えば「私は何故もっと美しく生まれてこなかったのだろう。」という不公平感から神を呪う女性もいるかも知れません。
「生まれながらに不平等である」と。
正直言ってこれなんか今の私にはそれこそどうしようもありません。
しかし、美とは何か?美しいとされている人は何故美しいとされているのか?
を考えた時に非常に曖昧模糊としたものである事が分かるでしょう。
美は言語化されていない意識だからです。
目が大きいからカワイイとか
足が長いからカッコイイとかはありますが
それをことさら取り上げるという事はどういう事なのか?
と意識を対象化する必要があります。
話が多少それたかも知れませんが
宗教が取り扱う対象は未だ言語化されていないものを中心としているでしょう。
その中から言語化できるものを取り出していき対処方法を考えるという作業を地道にやっていくしかないと思っております。
自然に対する畏敬の念を宗教化して捉えていた部分に関しては「自然との付き合い方」という形で随分と明文化してきたと思っております。