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引用した段落には「>」をつけ、私見にはつけないで区別しました。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_2.shtml
> 『ユダの福音書』の冒頭には、こう書かれています。「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」。福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。
「神」に対する冒涜と言われるかもしれないが、小生の考えでは、「人のできない事ができる存在」にも善玉から悪玉からその中間やら、高次から低次までいろんなレベルがある様な気がしています。そういう意味で多神論者と言えるかもしれません。キリスト教のもユダヤ教のもイスラム教のも居てもいいし、そう考えたほうが世界も平和でしょう。もちろん、どれが優れてどれが劣ってなんて、誰も本当はわからないでしょう。
> 最も重要なくだりは、イエスがユダにこう語る部分です。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。つまり、ユダはイエスから物質である肉体を取り除くことによって、内なる真の自己、つまり神の本質を解放するというのです。
イエスの真の自己は「魂」で、「非物質」で、「物質」である肉体は「非自己」という事ですが、イエスに限ったことなのか、人みなそうなのか、生物みなそうなのか、万物みなそうなのか?なんて思いを巡らしたりします。
> この福音書には、ユダが弟子たちの中で特別な地位を与えられていることを示す記述がいくつかあります。たとえば、イエスは次のように語っています。「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」。イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
神の王国の神秘に至る事が悲しいことなのか?なぜ悲しむのか?ならば、小生は悲しい思いはしたくないので、至らなくてもいいです。
「お前の星だ」・・・後述のユダがこれから行く雲の中の星なのだろう。
> 福音書には、ユダの覚醒と変容を示唆すると思われる一節もあります。「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」。地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にするが、この部分のパピルスが損傷しているため、その言葉が何だったのかはわかりません。
先に出てた様に、ユダは雲の中の星に入っていく。この雲とは星雲のなかの恒星、それを周回する惑星?
> 福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した」。イエスが十字架にかけられることも、復活することも、この福音書には何も書かれていません。
イエスを引き渡して記述が終わりなのだから、イエスが復活するともしないとも、十字架で死ぬとも死なないともなんとも言えない。
さて、少なくともイエスの自己の本質は非肉体で、非物質と、ある。
また、優れた神と劣る神があり、神は少なくとも複数あると言う事になる。多神教じゃないだろうか?
神の王国はなにやら悲しいものらしい。
ユダは某星雲某恒星系某惑星?へその後行く。
この記述からはイエスの十字架磔刑や復活はなんとも言えない。
前から気になっているのですが、キリスト教関係の宗教画にUFO見たいのがでてくることが多い様で・・・
キリスト教とUFO
http://www.246.ne.jp/~y-iwa/shukyouganoufo.htm
こういうのを見ると、ある非物質的な異星人が何らかの目的で地球にやってきて、ある肉体を借りて、教えをひろめて、再び肉体を離れて、ユダをどこか星に案内して、その星はユートピアじゃなくて・・・?と、言う様なSFチックな話を夢想したりします。
取りとめも無い妄想でしょうか?