★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 377.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
MIYADAI.com Blog (Archive)
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=337
本田由紀・内藤朝雄・後藤和智『「ニート」って言うな!』について内藤氏と後藤氏を招き宮崎哲弥氏と議論しました
宮台◆ 僕のゼミで若い衆が同趣旨の本を出そうとしてたが先を越されました(笑)。まず、「激増するニート」が「激増する少年凶悪犯罪」同様の大嘘だと本田由紀氏が明らかにします。次に、嘘の背後に「若者が悪いんだ」と噴出して自分を慰撫するヘタレなオヤジがいると内藤氏が喝破。最後に、出鱈目な議論で商売する浅ましき政治家や論者の軌跡を後藤氏が紹介する。ニート騒ぎはこれで終了かな。阿呆を名指しする記録本としてグッド。
僕から加えると、まず旧来の「今時の若者は」的攻撃に加えて昨今目立つのは、流動性不安がもたらす「多様性フォビア」としての若者フォビアです。処方箋は流動性不安の手当て。次に、本家英国と違い「失業者を含まない」日本版ニート概念は初期のフリーター批判と同じく怠業批判ルーツで、「こいつらが日本を滅ぼす」と言いつつ年長世代が十年度の自分の年金を心配する俗情がある。処方箋は馬鹿オヤジの退場(ムリかな)。最後に、スキル上昇(フリーター対策)から動機づけ支援(ニート対策)に自立支援策を拡げ、ポストと予算を獲得した公務員がいる。処方箋は予算をつけた議員の落選です。
[別の方々の発言、略]
宮台◆ 他方『電車男』ブームでの免疫化の御蔭で森永卓郎や本田透など「オタクとして発言する人」が増えました。「ニート叩き」と「オタクの自己主張」が共存する昨今です。「ニート叩き」は既に若い世代が関心を寄せず、「年長世代のオナニー」になった。他方「オタクの自己主張」の方は「若い世代内の男女対立」を生じて興味深い。「自分らが結婚できないのは男がオタク化したから」と言う女性陣。「自分らがオタク化したのは女が資本主義化したから」と言う男性陣。少子化問題を睨むと本質的対立です。…[本田透の]『電波男』は認識の半分が間違いでも「むっちゃ分かるぜ」と泣ける。「生身から退却したのは生身がツマラナイから」というのは、過剰流動性ゆえの実りなさを指摘する意味で妥当。でも「諸悪の根源は女たちの資本主義化」は間違いです。…元援交少女座談会でも再確認したけど、初交年齢が下がって「デートと言えばセックス」となり、「退屈なセックスにつきあうならカネが欲しい」とシフトしたのが大きい。『サブカルチャー神話解体』に書いた通り、男とのコミュニケーションの実りなさの中で女性が「自己関与的」になってお立ち台だミツグ君だとなった流れの延長です。
[別の方々の発言、略]
宮台● 怠業批判ルーツの日本版ニートが疑似問題なのは自明。ただ、負け犬・オタク論争に見られるのは、昔ながらの会社生活や家族生活に実りがないとする男女共通の感覚で、これを察知した年長世代が不快感で噴き上がるのもニート論ブームの背景です。日本青少年研究所の調べで、成績向上に関心を持つ高校生は米中韓7割台、日本3割台。「食べていければのんびり暮らしたい」が4ヶ国中日本が最多。面白いのは親や教員に理解して欲しがる期待が他3ヶ国の半分以下。勤労観や性愛観に世代間差異が生じた上、若年世代は被理解願望さえ放棄する。フォビア解消には共感可能性の実現が必要だという意味で、森永らが「カミングアウト」するのは良い。より一般的には、世代を限らず「多様性(を許容するリベラルさ)が自分を脅かす──少なくとも自分の利益にならない──」と感じる者の増加がポイントです。多様性をエンジョイできるのは「恵まれた奴ら」だけだと。感情問題なので論破するのは逆効果。論争に勝って動機づけに負けてしまう。懐柔戦略が有効です。
[別の方々の発言、略]
宮台◆ 異質な人間に寛容な社会を作りたいという内藤さんの主張には一般論としては誰もが賛成です。…でも実現しようとすると共同体的な感情の壁を越えられない。因みに「異質者に寛容な社会」といえば米国です。…[でも米国モデルは]使えない。だから具体策に落とし込む場面で反対の大合唱。因みに米国はルール主義で欧州や日本はアンチルール主義。ルールの代わりにあるのが、外交レベルでは信頼醸成(confidence building)、対人レベルでは紳士協定(gentlemen's agreement)。明示ルールに書かなくても、破れば生きていけない暗黙ルール(tacit rule)を共通前提にする。ルール主義的厳格さから見ると寛容さの源泉だが、異質者排除のメカニズムにもなる。現に、排除されたと感じる者が「一旗あげる」べく米国に集い、「ルールさえ守れば誰にも開かれた社会」を維持する。それはルール違反者をぶち殺す「踏み絵主義」でもある。
[日本は米国的排除性と欧州的排除性の双方が作動しているとの宮崎哲弥氏の指摘を経て]
宮台◆ 日本はどうするか。米国のルール主義はエントロピーが低すぎて特殊です。大概の社会は米国型になれないから、政治レベルではネオリベラリズム(優勝劣敗主義)でなくコーポラティズム(談合主義)で行くしかない。でもコーポラティズムは腐敗し易い。だから欧州に「自治と補完の原則」や「市民参加の原則」がある。抽象的には元々不完全な民主政を何で補うかです。宗教で補う特殊な米国に対し、貴族主義や組合主義で補う欧州がある。昨今の典型例が民主政の機能不全を民衆暴動で補完するフランス。フランス社会は暴動やストに極めて寛容で、今回のゼネストでは年長世代が立場の違う若者世代に連帯してストを打つ。ところが日本は多様性フォビアが強く、勝ち馬に乗りたがる弱者だらけ。談合主義に不可欠なリベラルな参加主義が定着しない。ルール主義に耐えられない弱者が「断固・決然」に吸引されて自分の首を絞める。ゆえに日本の課題は「リベラル=恵まれた連中」という憎悪の手当てです。
[別の方々の発言、略]
宮台◆ 『TVタックル』的懐柔がフォビア解消に有効です。民主党への世論の風当たりがこの程度で済むのは『TVタックル』的ガス抜きの効用もある。民主党を馬鹿にするプロセスを通じて民主党を受容するわけ。エリート主義の正反対に見えて、共同体メカニズムを利用した巧妙な反排除的戦略です。…多様性フォビアを見るにつけて丸山眞男を思い出します。丸山はマンハイム流「知識人/大衆」図式を下敷きに「インテリ/亜インテリ/大衆」三項図式を使う。インテリになれない亜インテリが、怨嗟ゆえに政治権力や経済権力にすり寄る所に、蓑田胸喜的な国粋主義の本質を見ます。竹内洋『丸山眞男の時代』的に言えば「リベラルから実りを引き出せるのはインテリ強者だけ」。奇しくも昨今の「多様性から実りを引き出せるのは恵まれた連中だけ」と同型です。
[“吉本隆明問題”を含め、竹内氏が亜インテリ論を遠慮がちにしか使ってない、もっと積極的に名指せとの宮崎氏の指摘を経て]
宮台◆ 「亜インテリ、それはお前だ」と名指せば、内藤さんの「大衆の憎悪を大衆的メカニズムに自己適用する戦略」に通じます。…ネットが広がると亜インテリ層が広がるから、名指しによる免疫化が大切になるかもしれない。この層はアカデミック・ハイラーキーの頂点から遠く、丸山の言う権力翼賛的なルサンチマン層になりやすい。ジェンダーフリー・フォビアが分かりやすいモデルで、八木秀次のような連中が安倍晋三に擦り寄ります。…「安部自身はともかく[取り巻きは]」ということ自体が蓑田的。だから時間が経て振り返ると蓑田的「取り巻き」のみすぼらしさが倍加します。
[別の方々の発言、略]
宮台◆ 「包摂/排他」のパラドクスに敏感である必要があります。「包摂せよ」という規範的命令文によって追い詰められる連中がいるからです。包摂主義によって排除される者を再包摂する必要がある。だから『TVタックル』的な「茶化しによるガス抜き」戦略や、宮崎さん的な「脅えなくても大丈夫」と大衆をなだめる戦略が重要なのです。…ジェンフリ・フォビアの担い手は本田透みたいに不自由な連中です(本田自身はフォビアじゃないが)。彼の本に共感して涙が出るほどで、フォビアを噴き上げる連中は悪い奴じゃない。本田の本は、半分が矛盾だらけで感情的ミメーシス(感染)ゆえに辛うじて読める位だが、残り半分は正しい。
[フォビア連中の暗黙の言い分は「俺はモテないのに学校でセックスばかり教えやがって」だという宮崎氏の指摘を経て]
宮台◆ そう。そこで「お前は間違っている」と否定するだけでなく、「分かるよ」と寄り添いつつ説得する。ジェンフリ・フォビアに限らずリベラル・フォビアの解除は重大な政治的焦点です。繰返しだけど、排他的人間をも包摂する包摂原理が重要です。