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(回答先: これが最新の記事のようです 投稿者 kokopon 日時 2006 年 3 月 27 日 13:46:49)
イスラムの5柱(シャハーダ)
http://homepage1.nifty.com/erico/islamtext2.htm
信仰告白(シャハーダ)とは、「アッラー以外に神なし。ムハンマドはアッラーの使徒なり」と、
(クルアーンが下された聖なる言葉である)アラビア語で唱えることである。ここで言うアッラーが、
ある特定の神に付けられた固有名詞(例えば「天照大御神」とか)でない、ということについては
繰り返しになるが注意してほしい。生来、多神教徒である日本人が無意識のうちに
陥ってしまう誤解であるからだ。だから、「アラーの神」などという言葉は使ってはいけない。
(中略)
このように、信仰告白とは、「わたしは、イスラムを信仰します」とか、「アッラーを拝みます」と
宣言する、というような意味ではない。アッラーが、唯一無二の存在であることを認めると宣言すること
である。このことからもわかるように、「神の唯一性」(タウヒードという)は、イスラム教を特徴付ける
非常に重要な確信である。信仰告白が五柱のトップに挙げられ、異教徒がイスラムに入信する際、
この言葉を唱えることだけで信者として迎えられるのはそのためだ。
(中略)
さて、信仰告白によって異教徒はイスラムに入信できると述べたが、ここで二つのことを明らかにして
おかねばならない。そのひとつは、入信することはいともたやすいが、一旦イスラム教徒になったら、
二度と抜けることはできない、ということである。イスラムの信仰を公然と捨てると宣言することは、
「棄教」(リッダ)と呼ばれ、イスラム法においては死刑(または終身禁固刑)に相当する、最も重い罪の
ひとつである。
(貼付終了)
『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』/第2章
http://www.aa.tufs.ac.jp/~masato/awr_24.html
(抜粋貼付開始)
「言論の自由を制圧するイスラーム」というイメージが日本で広まったきっかけの一つは、一九八八年に起きた『悪魔の詩』事件だったかと思われますが、サルマン・ラシュディーがあれほど激しく攻撃されたのは、この本の内容が「背教」にあたると考えられたためでした(Q20参照)。背教とは文字通り、イスラーム教徒がイスラームを捨てること(棄教)を意味します。ただ、イスラームではさらに、神や啓示の否定、神に対する批判なども背教と見なされるのです。『悪魔の詩』は預言者ムハンマドが伝えた啓示の正しさに疑問を呈したことから、「背教」の烙印を押されました。この種の「六信」(Q1参照)を疑う議論はイスラームそのものの否定に直結することとなるため、イスラームはこれを認めないのです。それは棄教とみなされ、伝統的なイスラーム法の規定では処罰の対象となりえます(もっとも、大半の国々ではすでに近代的国家法がイスラーム法にとってかわっており、こうした原則がイスラーム教徒の行動を「法的に」拘束する状況にはありません)。一方、エジプトのノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズの場合(Q21参照)は少々事情が異なります。彼の作品は神そのものを批判したことから、宗教権威アズハルによる発禁処分を受けました。イスラームは神そのものを批判することを禁じています。神について人間がすべてを知ることは不可能であり(Q48参照)、理解を超えた存在(神)への批判は結局根拠のない中傷にしかならないと考えられているからです。
とはいえ、社会や思想の現状に対する批判は原則として自由です。本来のイスラームは、政治をよりよくするため、人々の意見を聞くよう為政者に求めています。また、伝統的なコーラン解釈や歴史解釈を批判することは長らく禁じられていましたが、一九世紀以降巨大な思想改革運動が起こり、大幅な「解釈の革新」が認められるようになりました。男女差別を助長するような伝統的解釈に代わって、男女同権を説く新たなコーラン解釈が登場したのはその好例でしょう。この種の、解釈に関わる問題については、ムスリムが互いに意見を戦わせ、最終的に時代の変化に応じた最良の解釈に達することが求められています。ただ問題は、誰もが新たな解釈を打ち出す資格を持つとは考えられていない点です。伝統的な宗教勢力は、所定の教育を修了したイスラーム法学者(ファキーフ)以外に解釈の権利を認めてはいません。
先に述べたとおり、イスラームの原則から言えば、イスラーム教徒は自由に為政者や政治体制を批判できるはずですが、残念ながら現在、多くのムスリムはその自由を享受するにはほど遠い状態にあります。法律で言論や表現の自由が保証されている国々でも、現実には検閲や秘密警察による監視があり、露骨な政治批判をすれば即刻投獄、出版停止などといったことがしばしばです。もちろん国や地域による違いはありますが、大半の国はかつての東欧社会主義国に似ていると言っていいでしょう。実際、こうした国民監視システムはかつての東欧社会主義国から多くを学んでいます。イスラーム圏における秘密警察の起源ははっきりしませんが、特に中東の場合、第二次世界大戦後、多くの国々が東欧社会主義をモデルに国づくりを進める中で、旧ソ連型の秘密警察がはばをきかすようになりました。一方、社会主義陣営に対抗した王政諸国も、国内左翼を監視する必要から秘密警察を活用していきます。このようなスターリン体制的国民監視システムは、各国が社会主義を捨てつつある現在でもしぶとく生き残り、イスラーム世界の民主化にとって最大の障害となっています。一九七〇年代以降、いくつかの国々では複数政党制が導入されましたが、この半世紀間続いてきた力による上からの言論封殺は、こうした民主化を形ばかりのものにしています。
(貼付終了)
上記の文章にはアメリカCIAと米軍の監視システムの部分がすっぽり抜け落ちている。イスラム過激派テロといえども、単独勢力ではなく、実際は米英VS中露VS仏独の勢力争いの中で勃発していると見る。イスラム圏の国家であっても、米英か中露か仏独か、いずれかの系列と結託して発展しているものがほとんど全てである。
中東の諸民族が好戦的に見える場合、それは一神教以前からであるとは言えるだろう。多神教時代の中東が平和であった訳ではないし、私は復讐の論理は中東・カフカスの部族は一神教以前から持っていたと考えている。ハンムラビ法典などはむしろ復讐を抑えるために定められたのではないかと推測する。
ミャンマーであれ、中国であれ、またアメリカのプロパガンダによる水増しがあるとはいえユーゴでもムスリムは迫害の対象となっている国もある。タイでもパタニへの圧迫はタクシン政権発足から強まった。イスラム教徒と異教徒、どちらが好戦的かを言うことはできない。強いて言うなら、オスマン帝国はロシアが本格的に南下し、英仏が本格的に進出するまでは長い間天敵がいなかったので、オスマン時代はイスラム以前も中東は含めて最も長い間平和な期間となったといえるかも知れない。
正しい教えを普及するためなら武力もいとわないという思想はユダヤ教徒、キリスト教徒、唯物論者、ヒンズー教徒、仏教徒にもある。