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(回答先: こんなんもありました 投稿者 heart 日時 2006 年 3 月 23 日 23:02:19)
Apes! Not Monkeys! さんの結論部分 ―― なんとしてでも「日本でも関東大震災の朝鮮人虐殺からまだ百年経っていないのだ」という一文を認めたくない人々は、要するに観察者としてのみ大虐殺に“向き合う”ことを選ぼうとしているのではないのか。―― はあなたの理解されているとおりじゃないかと思います。
映画を見たあと考えたことを少し書いておきます。
映画を見て、ゾフィーには大戦後も生きていてほしかった、ウソを突き通してでも生きてほしかった、これには異論もあるだろうと思いますが、私は強くそう思いました。
若いころ、治安維持法下の思想犯たちの調書を読んだり転向について考えるために、みすず書房の山辺健太郎編「現代史資料・社会主義運動(1〜7)」や平凡社の思想の科学研究会編「共同研究 転向」をよく読みました。
当時の思想犯の中には、偽装転向をしてまた社会運動を続ける人たちがけっこういたんです。つまり「もう転向した。運動はやらない」とウソをついて刑期をうんと短くしたり執行猶予を受けたりして出獄した人たちのことです。
神山茂夫(戦後日本共産党幹部、部分核停条約をめぐり党除名)や岩田義道(戦前の日本共産党幹部、1932年官憲による拷問死)は偽装転向で出獄し、運動を続けています。岩田義道はそのため官憲の強い憎しみを受け、結局、再度逮捕されたときには拷問によって虐殺されてしまいましたが。
とにかくこれら書物を読んで、当時私は、もし不幸にも日本が再度ファッショ体制になったならば、成功するかどうか分からぬが、偽装転向を試みてみよう、そう決意しました。ただし友人を裏切らずに、が前提です。
単純化して言うと、官憲が悪いのだから、こちらにはウソをつくだけの権利がある。これが私の考えです。ゾフィーにもそうやってでも生きていてほしかったんです。そうなれば、この映画のような感動は生まれなかったでしょうが。美しい魂は、こんなウソなら、いくらついても美しいはず。
映画を見てこのような感動は生まれなくてもよい、彼女にはどうしても生きていてほしかった。本当に残念です。