★阿修羅♪ > 雑談専用17 > 213.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re:愛とは命そのもの、家族とは愛と信ずる事で絆は証明されるもの 投稿者 yu-min-yu 日時 2006 年 3 月 16 日 20:52:37)
yu-min-yuさん、こんにちは。
yu-min-yuさんの、
「愛とは命そのもの、家族とは愛と信ずる事で絆は証明されるもの。」
や、
「人類社会にとって、家族・親子の決定的な絆は思想・信条、血のつながり以上に」愛する事・信ずる事の二つである。」
というお考え、とても共感できます。
ただ、本質からずれる議論かもしれませんが、私は、信じることと愛することは、ほぼ同義ではないかと思っています。
これは動物への愛とかには当てはまらないかもしれないので一応対人関係限定で話をしますが、
人を本当に愛しているとき、相手を丸ごと信じていると思います。
信用できるだけの根拠の有無に関わらず、無条件で、信じていると思います。
でも、相手のことが信じられなくなった時、愛は消滅します。これは私の経験です。
もっともそのケースでは私が抱いていた感情は愛ではなかった、とも言えるのかもしれませんが。
私は家族に一度、「あんたのことが信じられなくなった」と言われたことがあります。
その時のショックは相当なものでした。
私ももう一度信じてもらえるように努力しましたし、また、家族の方も、割とすぐにまた私を愛してくれるようになりましたが。
恋愛でも、何があっても信じられて、もし一度信じられなくなってもまた信じられるようになるならそれは本物の愛なんじゃないかなーと、思っています。
まあ、愛だの恋だのと騒いでいるうちはまだ本物の愛ではなくて、家族に対するのと同じような静かだけど確かな愛、みたいなものが抱けるようになれば、その愛は本物なのではないかな、と思っています。
母にこんな話をしたら一笑に付されそうですが(笑)
とにかく、「愛する⇒信じる」という関係は、成り立つと思います。
数学でいう対偶の「信じない⇒愛さない」というのも経験上成り立つと思いますし。
「信じる⇒愛する」という関係が成り立つかどうかはちょっとわかりませんが。
yu-min-yuさんの、「愛とは命そのもの」、という考え方、非常に美しいと思います。
女性ならではの発想でもあるのかもしれませんね。
P.S.
私は先輩方からいろいろお守りをしていただいていると思っています。逆ではないです(苦笑)
「思慮深く情熱的」との評価、ありがとうございます。
warm heart, cool headを座右の銘にしてる私としては嬉しい限りのお言葉です。
でもたぶん「思慮深い」の方はまだ全然だと思います・・・これから阿修羅などで磨いていきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。