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(回答先: >愛とはすなわち「ほどこしもの」 投稿者 heart 日時 2006 年 3 月 16 日 00:06:44)
ワヤクチャさん、heartさん。
こんにちは、
横レス失礼いたします。
ワヤクチャさん
>人助けも自分の為です。
「こんなにいい人間である自分」に満足したいからです。
そうなんでしょうかねぇ?
人間は基本的に自分のみの為に生きている。
そんな気がいたしますが、それだけではないような気がいたします。
自然を美しいと思うのは、我々人間にとってなぜでしょう?
大パノラマや生き物の生態、本能によって行動する
生命形態、、、
あるがままに、そして調和のとれた完成された自然美に
打たれるからでしょうか?
我々人間は、それらを破壊する事もコントロールする事も
可能な立場にあります。
従って、自然界の生き物よりも、本能的、野性的に生きる事にブレーキがかかるようです。それは、心があるからなのだと思います。
ワヤクチャさんの仰りたいのは宗教家の欺瞞についてなのだろうとは理解しますが。
我々は、よく自己否定する癖がついていて、人の視線や意見を
気にせずには自分を評価できないようです。
人の視線を意識しての善行という事ではなく、
自分を満足させる為の人から見て善行とされる行為は、
自分にとってごく当たり前のことであり、その人自身の生き様としてもいいと思います。
その行為に対して、人は嫉妬からか陰口を叩く状況もあるように思います。
heartさん
>しかし、相手から愛されなくても、どうしても愛さずにはいられない、という感情も存在し得ます。そういう愛は、いわゆる「無償の愛」といえるのではないかと思います。
「報われなくても愛し続ける自分」に酔うのはちょっと違うかもしれませんが。
人や物、世界とは、我々は関わらないでは生きてゆけません。
自分自身は、他にとっての指標であり基準となる事もあるかもしれません。
我とはどう存在するべきなのか?
これは、個々人の欲、衝動、夢、思い、そして、存在証明としての
自分のあり方を知る事によって、変ってくるのかもしれません。
それは、思い込みかもしれませんし、そうせざる負えない。性なのかもしれません。
私自身は、自分自身である事、
それに忠実でいたい、
それは、関わるすべての存在に対する自分自身の役目なのでは?
と、、妄想したりしながら日々過ごしております。
とりとめもなく失礼いたしました。