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(池田晶子さんも言っていましたが・・)
http://www.st.rim.or.jp/~success/idennsi_ye.html
遺伝子治療が進んでいるアメリカで、怖ろしいことが起こっている。遺伝子治療を受けて、「将来乳ガンになる可能性が高い」と指摘された婦人が、「乳ガンに対する強迫観念を捨てきれず、病気が発症する前に、自分の乳房を切り落としてしまったというのである。嘘のような話だが、事実である。
人間というものは、とかく自分の運命というものを知りたがるものだが、知らないから良いことの方が多い。結局この女性は、遺伝子診断が教える将来の運命の恐怖から、とにかく逃れたい一身で、女性としての象徴とも言える乳房を切除するという決断までしてしまった。これは知ったことの悲劇以外の何ものでもない。
さらに恐怖の現実は続く。この女性には、年頃になった娘さんがいた。彼女はもしかしたら、自分の娘が、自分の遺伝子を引き継いでいるため、「乳ガンになる可能性があるのでは」という新たな強迫観念に襲われるようになっていった。そのことが、寝ても覚めてもとにかく頭の中から、離れない。発症もしない娘が、やたらとかわいそうになる。ついには、「あなたも乳房を切った方がいい」とまでエスカレートする。
これは一種の遺伝子宿命論であり、不安が高じて強迫観念が形成さっれた結果である。遺伝子診断の開示は、適切な心理学的なケアーと併せて実行されないと、思いも寄らぬ事件が起こらないとも限らない。遺伝子診断の情報開示については、もう少し、開示を受ける側の心の状態を理解した上で、より慎重になされないととんでもないことが起きかねない。
更にこの遺伝子診断が行き着く先には、遺伝子差別というより大きな問題を含んでいそうな気がする。例えば、現在でも結婚前に男女が、エイズなどの検査を互いに受けるのは、ごく当たり前のことだが、これがエスカレートして、遺伝子診断を受けるということになった場合どうなるであろう。結婚前の希望に満ちた二人とは裏腹に、「遺伝子の状態が良好でないので、あなたとは結婚できない」という事が、現実に間違いなく起こって来るに違いない。しかし世に完璧な遺伝子を持った人間など存在しないのである。みんなどこかに遺伝子的な欠陥があるからこそ、多様な価値観が生まれ、社会が面白く構成されているのである。
運命とはそんな単純なものではないはずだ。飛び切りの金持ちがけっして幸せでないのと同じように、完璧な遺伝子を持った人間が、最高の幸せを掴んで、天寿を全うするとは思えない。そもそも人間という生物も、寿命がたった80年や100年しかない。このことを寿命遺伝子の欠陥だという見方をする学者もあると聞く。つまり人間そのものが、欠陥を宿命づけられた存在なのである。
その限られた寿命の中で自分の遺伝子の可能性を見いだすことこそが貴いのである。アメリカにおける遺伝子診断技術の進歩の現実を思いながら、つくづくと人生哲学の進歩の遅延を思い知らされたような気がした。
その昔、良寛さんが、大地震に見まわれた時に、語った言葉を思い出す。
「災難に遭う時には、災難に遭のがよかろう。死ぬべき時には、死ぬのもよかろう」
然り。毎日を精一杯生きていれば、それでよいのではあるまいか。進みすぎた医療は時に人を不幸にすることもある。運命は未知だからこそよい。