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(回答先: Re: “格差ある社会は活力がある社会だ!”というフレーズは、カルトの信条――トリクルダウン幻想からどう目覚めるか 投稿者 南青山 日時 2006 年 3 月 08 日 16:21:01)
南青山さん、こんにちは。
鷹眼乃見物(toxandoria)さん、ご無沙汰しております。
>面白いのは、公明党の支持母体の創価学会の構成員は、基本的に下側の人びとである(とこれまで聞いてきた)から、「トリクルダウン詐欺」に引っかかっているにもかかわらず、公明党の詐欺師も含めて自公政権を支持しているそのメンタリティが理解不能である。もちろん、労働者(サラリーマン)とその扶養家族にとって一番害の多い政権であるはずの自公政権を当の労働者一家が支持しているというのも、それ以上に不可解なのだが。
街金融の営業社員時代にその強引な手法でそこそこの成績を上げたと謂われる池田(大作)ならば、持てる者に諂い彼らから大きく利益を得ようとするよりも、たとえ僅少でも広範に持たざる者達から搾取する方が容易いことは十分承知していたことでしょう。併せて池田は下層の者達ほど下賜の恩恵に浴することを有り難がる日本人特有のメンタリティを見抜いていて、それに最大限付け入った結果を象徴するものが創価学会という錬金装置であると思います。
持たざる者同士が上から落ちてくる生命を繋ぐべき数少ない滴[trickle]をめぐって争っている阿鼻叫喚の地獄の様相を呈しているというのが現世の真実の姿なのかも知れません。そして、池田やその周辺は宗教的教義が闘争推進のためのカンフル剤か、もしくは精々傷痍を緩和する材料にしかならないことは先刻承知ではないでしょうか。しかし、人々(信者達)は鞭と飴の作用を併せ持つ麻薬を盛られ続けているかぎり、教団という阿片窟を脱することは至難であろうと想われます。
南青山さんの疑義とも重なるかも知れませんが、例えば世界で日本を含む2,3の国でしか採用していない源泉徴収制度を甘受している日本の労働者(サラリーマン)の意識改革から始めなければ、「トリクルダウン幻想」から目覚めて隷従の状態を脱するための展望を拓くことは難しいだろうと考えています。
「toxandriaの日記」 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060112
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>今、我われ日本国民は、そもそも『トリクル・ダウンの呪文』(trickle-down theory)を唱えた人物の名がデビル・マン(=悪魔/Devil-Man)の逆綴り(Mandeville)であることを想起すべきです。我われは、気づかぬうちに呪われた政治を選択し支持していた恐れがあります。18世紀初頭のデビル・マンの呪いで、我われ日本国民は、おぞましい「サルのマスタベーション劇場」を無理やり鑑賞させられているのかも知れません。
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確かに近代経済学はあまりに「サプライサイド経済学」に偏っているのではとの感を深めています。経営戦略においてはマーケット・イン(需要)重視の発想が称揚されますが、供給する以上は完璧に伝播しなければならないと云った思想のもとでは本質的にはプロダクト・アウト(供給)の完全化を補完するものでしかありません。
「サプライサイド経済学」はこれを財(資金)の配分に適用、先ずは供給サイドに投入して全体的な経済の活性化を図っていこうとするものと理解しています。しかし、その過程で大企業や富裕層の経済活動が停滞したり、あるいは彼らが財の秘匿に走ったならば低所得層にまわるものはなくなるでしょう。さらに憂慮すべき問題は配分対象に関する選別が密かに進行しつつあることと、国民がそれに全く気がつかずに「格差が出ることが悪いとは思わない」と高言して憚らない小泉自民党政権の愚民化政策の虜になっていることではないでしょうか。
第一に我々が為すべきことは席を蹴って劇場から出ることでしょう。案外、市街には聡かな人々が行き交うもう少し真ともな景色が広がっているかも知れません。
また、会いましょう。