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カチンの森・ポーランド将校虐殺事件の誤審判明(『偽イスラエル政治神話』)
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-14.html
『偽イスラエル政治神話』
第2章:二〇世紀の諸神話
第2節:ニュルンベルグの正義の神話
[中略]
[ニュルンベルグ]裁判所の規則は、つぎのように定義されていた。
●19条…当裁判所は、証拠管理に関しての技術的な規則に拘束されない。可能なかぎり迅速(英語の正文ではexpeditive[素早い]となっている)かつ形式的でない訴訟手続きを採用して、それを適用し、いかなる手段でも決定的な価値があると判断すれば認める。
●21条…当裁判所は、周知の事実に関しては証拠を要求せず、それらをすでに確認されたものとして扱う。同様に、同盟国政府の公式の記録や報告は、真正な証拠として認める。
[中略]
[カチンの森・ポーランド将校虐殺事件の誤審判明]
同盟国の調査委員の報告に証拠価値を認めるニュルンベルグ裁判所規則[前出の21条]の効能で、カチンの森で一万一千名のポーランド将校が虐殺された事件に関しても、それをドイツの犯行だと告発するソ連の報告が、一九四五年八月八日、勝利者たちによって異論の余地のない“真正な証拠”として採用された(ニュルンベルグ裁判記録)。
ソ連の検事総長、ルデンコ将軍が、《異議の提出はないと信ずる》(同前)と公言できたのも、ニュルンベルグ裁判所規則21条あればこそである。
ところが一九九〇年四月一三日[訳注1]、世界中の新聞が、カチンの犯罪はベリアの命令の下にソ連当局によって行われたものと報じた。
訳注1:日本では翌一四日に各紙が報じている。ただし、この時の報道は、ソ連当局が自認したことの報道であって、早くも一九四九年には、アメリカ下院・カチンの森虐殺調査委員会が設置され、一九五一〜一九五二年に、ソ連の犯行とする報告を発表している。これらの経過を明記したドイツの歴史家、ウェルナー・マーザー著『ニュルンベルグ裁判』の初版は、一九七七年発行であるが、カチンの森に関するニュルンベルグ判決の否定は、どこでも非難の対象とはなっていない。ユダヤ人問題だけが特別扱いされているのである。
ジュネーヴ大学のナヴィル教授は、死体を調査して、そのポケットから一九四〇年の文書を発見し、処刑が行われたのは、その時期だということを立証した。一九四〇年には、その周辺のスモレンスクはソ連の占領下にあった。
[後略]
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