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カトリックは戦時中日本のカトリック信者に対しても国策に協力するよう要請していた。日独伊防共協定は事実上、日独伊バチカン防共協定であったのです。そして、それを裏付けるものと考えられるレスが質問板にありましたので、私も参考にしたいと思います。↓
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十字架とカギ十字
http://www.asyura2.com/0601/qa1/msg/174.html
投稿者 隣人 日時 2006 年 7 月 04 日 10:10:44: vTRc6NquZFvI6
(回答先: ヒットラーの帰依していた宗教は「カソリック」なのでしょうか? 投稿者 鉄人 日時 2006 年 7 月 04 日 07:07:09)
ヒトラーにその信仰があったかどうかは分かりませんが、名目上はカトリック教徒でした。
1933年に、ヒトラーはバチカンとの間で政教条約を結びますが、そこには法王の勲爵士であり、ヒトラーの下では副首相としても仕えたフランツ・フォン・パーペンの働きがありました。
以下は、H・W・ブラッド‐ライアン著「フランツ・フォン・パーペン―その生涯と時代」から引用。
「ヒトラーの下で……副首相を務めていたのはカトリック教徒フランツ・フォン・パーペンであり、パーペンは現にナチ政権の成立当初から新帝国に対するカトリック各派の支持を取りつける鼓手となった。帝国内のどこでも、アドルフ・ヒトラーに対する盲目的な服従を信者に唱道するフォン・パーペンの声が聞かれることになった」。
「1933年初頭、ドイツにおけるカトリック・アクションおよびカトリック思想を擁護する法人が次のような公式声明を出すと、[フランツ・]フォン・パーペンがその音頭を取った。『我々ドイツのカトリック教徒は、魂をこめ、全き確信を抱いて、アドルフ・ヒトラーとその政府を支持するものである。我々はヒトラーの愛国心、行動力、その政治家としての知恵に驚嘆する。……ドイツのカトリック教会は……第三帝国を強化する面で活発な役割を果たさねばならない』」。
フランツ・フォン・パーペンは、ドイツではナチ政府に、ローマではバチカンに仕え、両者間の政教条約締結に助力しました。政教条約の調印は、1933年7月20日に行なわれ、次のような特別コミュニケが出されました。「国務長官のパーチェリ枢機卿[後の法王ピウス12世]は今日、副首相のフォン・パーペンにピウス最上級十字勲功章を授与した。……フォン・パーペン副首相は、枢機卿である国務長官に帝国政府からの贈り物としてマイセン製白磁器の聖母マリア像を贈った。……贈り物にはすべて、『1933年、帝国政教条約締結記念』という献辞が記されていた」。
―引用終わり。
この政教条約は、ヒトラーに外の世界から初めて精神的援助を与えるものとなりました。(それも極めて高い源からの)(タイバ・ケイベス著、「シルクハットをかぶったサタン」)
そして、その政教条約により、バチカンはドイツのカトリック中央党を支持することをやめるよう要求され、ヒトラーの一党“全体主義国家”が認められることになります。 さらに、その第14条には、
「大司教、司教その他の任命は、ドイツ帝国により任ぜられた総督が、政治上考慮すべき全般的な事柄に関して何ら疑問がないことを正式に確認した上で初めて出されるものとする」とありました。(法王ピウス11世により皮肉にも“聖年”と宣言された)1933年の暮れまでには、バチカンの支持はヒトラーが世界支配を目指す大攻勢に出る主要な要素となりました。