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辛口時評060831
偽ユダヤ人カザール問題の解決法(5)
この連載の発端、辛口時評060730、「偽ユダヤ人カザール問題の解決法」執筆を開始する宣言では、つぎのように記した。
《「解決法」を要約すると、いわゆる「ユダヤ人」、実は「ユダヤ教徒」の9割を占める元・カザール(ハザル)人に、カザール(ハザル)の故地、クリミア半島からカスピ海周辺に、移住、建国を勧めて、イスラエル・パレスチナ紛争の一挙解決を図ることである。》(了)
この「解決法」を、荒唐無稽と感じた向きもあろう。ところが、カザールの故地クリミアへの移住案は、1920年から存在したのである。
この問題の経過を詳しく述べているのは、つぎの本である。
『二十世紀のファウスト』(鬼塚英昭、二〇〇五年)
(A五判で五三八ページ、九ポイントの活字二段組の超大著で、個人名義による完全な自費出版の本であるが、購入は可能である。連絡先は、八七四-〇八三五 大分県別府市実相寺町一の四B-二、電話・〇九七七・六六・四一六四、定価・四〇〇〇円(本体三、八一〇円、税一九〇円)
以下、この本の「クリミアへの移住案」に関する主要な部分だけを紹介する。
《ノラ・レヴィの『一九一七年以降のソヴィエト連邦におけるユダヤ人たち』(ニューヨーク大学出版、一九九〇年)に次なる記述がある。
ソヴィエトのユダヤ人をクリミアに再呈定住させる案が最初に持ち上がったのは、一九二〇年代のことだった。これは消えることのない神話となった。百万エーカーの土地と四〇万人の住民を巻き込むことになる膨大な計画である。》(了)
《ロスチャイルドやウォーバーグのようなドイツのフランクフルトから世界に出たユダヤ財閥は、クリミア半島からディアスポラ(離散)した一族である。彼らの故郷はイスラエルではなくクリミアなのである。中央アジアのカザール民族である。ユダヤ教に改宗したアシュケナージである。
アーサー・ケストラーの『ユダヤ人とは誰か』には、次のような記述がある。
カザール移民の主流は西に向かったのであるが、一部、クリミアやコーカサスには、この大移動のうねりから取り残された人々もいた。
その地で彼らはユダヤ人だけの孤立集落をつくり、そのまま現代にいたるまで生き残っている。例えば、ケルチ海峡をはさんでクリミアとは対峙しているタマタルハ(タマン)にある古代カザールの要塞では、一五世紀、ユダヤ系王朝が統治した記録が残っている。》(了)
以上のような「クリミア移住計画」を、以下の拙訳『偽イスラエル政治神話』に記されたナチス・ドイツの「ユダヤ人問題の最終的解決」を比較すると、その大筋が一致していることに、驚かざるを得ない。「最終的解決」は、「絶滅の命令」ではなくて、「移民と移送」による「全面的解決」の計画だったのである。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-15.html
『偽イスラエル政治神話』
第2章:二〇世紀の諸神話
第2節:ニュルンベルグの正義の神話
(a)書証
基本的な書証とは、“最終的解決”が何であったかを決定付けるものであり、まず最初には絶滅の命令であり、それが最高級の責任者によるものだということである。すなわち、ヒトラー、ゲーリング、ハイトリッヒ、ヒムラーらの名による処刑の命令書である。
[中略]
[最終的解決とは領土による解決のみ]
[中略]
ゲーリングは、ハイトリッヒへの命令を補足している。《先の命令24・1・1939によって、あなたに割り当た仕事は、言うなれば、ユダヤ人問題に関して、移民と移送の手段により、状況に応じて最も有利な解決を図ることであった。今度は以上に補足して、……ヨーロッパにおけるドイツの勢力圏内でユダヤ人問題の全面的解決(Gesamtlosung)を達成するために、すべての必要な準備に取り掛かることを命ずる。……私は、あなたに、われわれが切望しているユダヤ人問題の最終的解決(Endlosung der Judenfrage)を実現するための組織的な体制、具体的な配備、資材を列挙した全面的計画(Gesamtentwurf)を早急に提出することを命ずる》(ヒルバーグ『ヨーロッパのユダヤ人の破壊』2版に引用されているニュルンベルグ裁判記録)
ライトリンガー[絶滅論者]は、この記録を自著に引用しするに当たって、冒頭に記された移民と移送に関する部分を削除している。この手紙は、ヨーロッパ全体をヒトラーが支配するに至った一九四一年七月に書かれている。ヒトラーがポーランドを支配していたものの、フランスはまだ支配していなかった一九三九年という時期の“状況に応じて”採用された移送という手段についての、新たな拡大を命ずるものである。それにかかわらず、その冒頭の部分を削除しているのだから、その削除の意図は明白である。
ゲーリングの手紙の意味は冒頭の一節から読めば完全に明瞭である。それまでにドイツで実行されていたユダヤ人の移民または移送の政策は、新しい征服に対応して、ヨーロッパにおけるドイツの勢力圏全体に拡大されなければならない。“全面的解決”は、新しい状況を考慮に入れたものである。これこそが戦争の終結後の唯一の“最終的解決”なのであって、そこでは、ロシアも含む全ヨーロッパで勝利した場合、《ヨーロッパからすべてのユダヤ人を追放する》というヒトラーの一貫した目的の通りに、アフリカ、または別の場所へと、最終的な移送が可能になるのである。
以上を要約すると、ハイトリッヒに対するゲーリングの命令は、仮想の図式に役立てるための勝手な解釈を漁るのでない限り、それまではドイツに関してのみ適用されていた命令を、ヨーロッパに適用しただけのものなのである。この目的は疑いもなく非人道的で犯罪的である。しかし、そこには、ニュルンベルグの検事、ロバート・M・W・ケンプナーが、この手紙を根拠にして、《この数行によって、ハイトリッヒとその協力者たちは、(ユダヤ人)殺害の公式な命令を受けていた》と宣言したような、?絶滅Aの考え方は、一瞬たりとも含まれたことはなかったのである。
ゲーリングは、ドイツ語の“Gesamtlosung”(全面的解決)を“最終的解決”(Endlosung)とした英語の訳文に抗議し、その誤りをジャクソン検事に認めさせ、正しい表現に直させた(ニュルンベルグ裁判記録)。
早くも一九四〇年六月二四日に、ハイトリッヒは、リッペントロップに対して、「最終的解決」を早急に実現したいという彼の希望を伝えている。彼は、こう書いている。
《現在ドイツの支配下にある領土内に約三二五万人のユダヤ人がいるという現実は、総合的な回答を迫るものであり、最早、移民による解決は不可能である。従って、「領土」による最終的解決が必要となっている》(アイヒマン裁判記録)
同時期に、ヒムラーも、ヒトラー宛てにメモを送っているが、その結論は、つぎのようなものであった。《私は、すべてのユダヤ人をアフリカまたは別の植民地に移民させることによって、ユダヤ人問題を決定的に片付けたいと願っている》(『季刊現代史資料』57、一九七号)
ヒトラーは、この提案に賛成した。なぜなら、一九四二年二月一〇日、外務省の“ドイツ第三課”の責任者、ラデマッヒャーが公式の手紙の中で、つぎのように書いているからである。
《最近のソ連との戦いで、最終的解決のための新しい領土の配分が可能になった。その結果、総統は、ユダヤ人をマダガスカルへではなくて東方へ移動させると決定した。従って、最早、最終的解決のためにマダガスカルを考慮する必要はない》(ニュルンベルグ継続裁判・ヴィルヘルムシュトラッセの記録。ライトリンガー『最終的解決』の引用によるが、そこでまたもやライトリンガーは、何ら正当な理由を示さずに、“創作”とか“偽装”とかいう“解釈”をしている)
原本の実際の表現は[最終的解決ではなくて]、Gesamtlosung der Judenfrage[ユダヤ人問題の「全面的」解決]であって、完全な全面的解決だったのだが、[この違いの問題点は前述の通りなので]ここでは繰り返さない。
ところで、ゲーリングは、この言葉[全面的解決]を、一九四一年七月三一日付けの手紙の最初の節で初めて使ったのである。その手紙でゲーリングは、ハイトリッヒに対して、その[全面的解決の]準備に関する命令(ニュルンベルグ裁判記録)を下しているのだが、その節の最後では、die Endlosung der Judenfrage [ユダヤ人問題の最終的解決]という、それまで専ら使用されていた慣用的な用語を用いているのである。この[二つの]用語は、同じ意味で使っているのであって、その目的物[ユダヤ人]の消去によって、問題を清算しょうという意味ではなかったのである。[前述のように]ニュルンベルグでは、一九四六年五月二〇日、[この点に関する]意図的な翻訳の明瞭な瑕疵を、ゲーリング自身から指摘されたので、ジャクソン検事は、その抗議を認めざるを得なかった(同前)。この偶発的な出来事は、それがすべての[絶滅政策説の]理論を崩壊させるものだったにもかかわらず、メディアは一言も報道しなかった。
第二番目……ある主張を正当化するために、言葉の意味を恣意的に変える第二の例は、ベルリンで一九四二年一月二〇日開かれた?大ヴァンゼーA会議である。
会議の始めにハイットリッヒは、自分が《ヨーロッパのユダヤ人問題の最終的解決(Endlosung der europaschen Judenfrage)の準備を遂行するための責任者》に任命されたと挨拶する。……《彼は以後、「地理的な限界を考慮に入れることなくユダヤ人問題の最終的解決に向けて」、それに必要な全面的な手段の責任者となる。》(ゴシック文字の強調は私、R.G.[ロジェ・ガロディ]である)
ハイットリッヒは続いて、それまでに行ってきた反ユダヤ主義の政策を要約する。
a…ドイツ民族の生存にかかわる身分からのユダヤ人の追放。
b…ドイツ民族の生存圏からのユダヤ人の追放。
東部(ソ連)戦線へのドイツ軍の電撃的な前進という事実を前にして、ハイトリッヒは、この新しい状況に対応する任務を追求する。《総統から前もって許可を得ているが、移民は、「別の可能な解決法、つまり、東部へのユダヤ人の移送に席を譲った」》(ゴシックは同前)
《これらの方法を一時しのぎにすぎないものと考えてはならない。この分野ですでに獲得した実際の経験は、将来のユダヤ人問題の最終的解決にとって意義深いものがある》(ニュルンベルグ裁判記録)
この決定的な解決は、実際には、戦争が終わらないと実現しないのだが、常に同じ方向で追求され続けてきた。つまり、ヨーロッパのすべてのユダヤ人の追放である。これと同じことをヒトラーは、パリ大使、アベッツに対して、明確な表現で語っていた。総統は、彼に、「戦争が終わったらヨーロッパのすべてのユダヤ人を追放する」という意図を語ったのである(同前「ドイツ対外政策資料」)。
[後略]
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憎まれ愚痴