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虐殺の持つ組織性・計画性
■「南京事件」 秦郁彦 中公新書 1986年 P186〜187
呼称の由来をあたってみると、事件を最初に報道した英人記者のティンパーリーは "Japanese Terror" (訳語は「日本軍の暴行」)と表現しているが、一般的には「南京アトローシティ」が使われたらしい。
日記に基いて書かれた当時の外務省東亜局長石射猪太郎の回想録に、「私は当時から南京アトローシティと呼んでいた……」(『外交官の一生』三〇六ページ)とあるのが有力な裏付けになる。
しかし英和辞典を調べてみると、「アトローシティ」(atrocity)という英語は広く残虐行為を意味し、虐殺と同義ではない。虐殺には massacre という、より適切な英語があり、西洋史では「セント・バーソロミューの虐殺」や、アメリカ独立戦争の發端となった「ボストンの虐殺」(Boston Massacre)が著名だが、後者で殺されたのはわずか数名である。第二次世界大戦では数百万人のユダヤ人をガス室に送った「アウシュビッツの虐殺」や数千人のポーランド人青年将校を集団殺害した「カチンの森の虐殺」が知られている。
してみると、”虐殺”は、殺された人数の多少よりも、事件全体の性格、とくに組織性・計画性にかかわる概念らしいと見当がつく。現在でも欧米ではアトローシティかレープを使うのが一般的で、ディック・ウイルソンの近著『虎が戦う時』(When Tiger fight)には Rape of Nankng とある。レープは法律用語としては「強姦」だが、広義では各種の「暴行」を意味する。
ついでに書くと、中国では「(大)屠殺」と呼んでいる例が多いようだが、これも”虐殺”にふくまれる組織性・計画性のニュアンスは希薄である。
わが国の「大虐殺派」は「西のアウシュビッツ、東の南京」と好んで並べるが、この二つは本質的に別物と考えるべきだろう。