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ガス室の独特の性格に関する拙訳『偽イスラエル政治神話』抜粋
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投稿者 木村愛二 日時 2006 年 6 月 06 日 20:56:06: CjMHiEP28ibKM
 

ガス室の「独特の性格」に関する拙訳『偽イスラエル政治神話』抜粋

ガス室に関する議論があったので、その「独特の性格」に関する拙訳『偽イスラエル政治神話』の記述を抜粋する。ゲッペルス流に言うと「大衆は恐ろしい話を信ずる」のである。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-22.html
『偽イスラエル政治神話』
2章:20世紀の諸神話
3節:"六百万人"の神話/ホロコースト
[火による絶滅の教義を確立するための“ガス室”]
[中略]
 なぜ、万難を排してでも、“ホロコースト”(火による犠牲的な絶滅)の特別な性格を維持するために、“ガス室”という怪物で煽る必要が生ずるのだろうか?

 一九八〇年になって初めて、著名なジャーナリストのボアズ・エヴロンが、ユダヤ人の虐殺における独特の性格に、疑問を投げ掛けた。

《……重要な客人たちは、当然のこととして、……義務的に、ヤド・ヴァシェム博物館に連れて行かれる。……そこで同情し、自分自身にも罪があるのだという意識を抱き、理解を深めるように期待されている》

《世間が自分たちを憎んでおり、迫害していることが分かると、世間に対しての自分の行動への責任を免れた気持ちになる》。世間と、その法秩序との関係について、妄想的な孤独感を抱くようになると、ある種のユダヤ人は、非ユダヤ人を劣等な人間として取り扱うようになり、結果として、ナチの人種主義と良い勝負になる。エヴロンは、アラブ人の敵意をナチの反ユダヤ主義と混同する傾向に、警告を発している。《国家の指導的階級を、政治的プロパガンダから切り離して理解することはできない。なぜなら、それが、彼らの実体の一部として目の前にあるからだ》とエヴロンは指摘している。《その結果、政府の活動は、自分たち自身が作り出した神話と怪物が、我が物顔に徘徊する社会の真っ直中で行われることになるのだ》(ボアズ・エヴロン『ジェノサイド/民族の危機』80)

 まず最初の問題は、何百万人もの疑いもなく善意の人々が“火葬場の焼却炉”を、“ガス室”と混同する点にある。だが、ヒトラー時代の集中収容所に相当数の火葬場の焼却炉があったのは、発疹チフスの流行を食い止めるためだった。だから、火葬場の焼却炉だけでは、[ユダヤ人を絶滅するための収容所という主張の]論拠としては不十分である。火葬場の焼却炉は、すべての大都市にある。パリのペール・ラシェーズにも、ロンドンにも、主要な国の首都なら、どこにでもあるのだが、そこでの死体焼却は明らかに、住民を絶滅する意図から発するものではない。

 火による絶滅という教義を確立するためには、火葬場の焼却炉に、“ガス室”を付け足す必要があった。

 だが最初に、“ガス室”の存在を証明する基本として必要なのは、この措置について記した命令文書の提出である。ところが、そのすべてをヒトラーの敗北以後に同盟国軍が押収し、ドイツ当局が細心の努力を払って整理した文書の中には、この計画に充てる予算書もまったくなかったし、“ガス室”の建造や、その機能に関する命令書もまったくなかった。ただの一語といえども、普通の裁判なら当然の取り調べの対象となる“凶器”の専門的な鑑定に必要な唯一の単語すら、まったく発見できなかった。それらは、これまでの裁判の法廷で、一度たりとも提出されたことはないのである。

 さらに驚くべきことには、旧ドイツ帝国の領土内ではガス殺人が行われなかったという公式の認定が、それまでの無数の“目撃証言”による立証にもかかわらず下ったのちにも、東側、とりわけポーランドの集中収容所に関しては、証言の主観性についての同様の基準が承認されていないのである。最早、それらの“証言”の疑わしさは、歴然としているのに、いまだに、この状態なのである。

 ダッハウ博物館の演出は、人の目を欺くものである。無数の子供たちが、ホロコーストの教義を吹き込まれるために、そこに連れて来られるが、だまされるのは子供たちだけではない。聖ドミニク宗派のモレリ神父のような大人も、その著書『悲嘆の地』(47)の中で、こう書いている。
《ナチの殺人者たちが、ガスで殺される不幸な人々の有様を同じようにして眺めた陰惨な覗き窓を前にして、私の両の目は、あまりの恐ろしさに凍り付いてしまった》

[“ガス室”の知識の出所は戦後の“特集読み物”]

 ブッフェンヴァルトやダッハウの元収容者たちでさえも、このように念を入れて物語られる伝説によって、暗示を与えられてしまう。フランスの第一級の歴史家で、カン市分科大学の名誉学長であり、元収容者としてマウトハウゼン研究所のメンバーに加わっているミシェル・ドゥ・ブアールは、一九八六年に、つぎのように言明した。

《一九五四年に……提出したマウトハウゼンに関する専攻論文で、私は、二度にわたってガス室のことを書いた。その後に思い返す機会があって、私は、自分に問い直した。私は、どこで、マウトハウゼンのガス室についての確信を得たのだろうか? それは、私が、あの集中収容所で暮らしていた時期ではない。なぜなら、そのころは私自身も、その他の誰であろうとも、そんなものがあり得るなどとは想像さえしていなかったからである。だから、その知識の出所は、私が戦後に読んだ“特集読み物”だと認めざるを得ないのである。そこで、自分の論文を点検してみると、……私は、常に自分の確信の大部分を引用文献から得ているのだが、……そこにはガス室に関係する引用文献が明記されてなかったのである》(『西部フランス』86・8・2&3)

 ジャン・ガブリエル・コン=ベンディトは、すでに、こう書いていた。《なかったことがすでに分かっているのに観光客に見せている集中収容所のガス室を破壊するために戦おう。そうしなければ、確かなことさえ信じられなくなってしまうだろう》(『リベラシオン』79・3・5)

 ニュルンベルグ裁判所の法廷で、すべての被告を観客として上映された記録フィルムの中で、ガス室として示された唯一の部屋は、ダッハウのものだった。

 一九六〇年八月二六日、ブロシャット氏は、シオニストの出店、ミュンヘン現代史研究所の名において、『ディー・ツァイト』紙上に、つぎのように記した。

《ダッハウの“ガス室”は完成しておらず、機能していなかった》

 一九七三年の夏から、ダッハウのシャワールームの前の掲示板には、《このガス室は、シャワールームに偽装したものであるが、まだ使用されていなかった》という書き出しで、ガス室による処刑が決定された収容者は東部に移送されたという説明が付け加えられている。

 しかし、写真によって大量絶滅の現場の一つとしてニュルンベルグの被告に示されたのは、ダッハウの“ガス室”だけだったのであり、ゲーリングとシュトラヒャーを除く被告は、それを信じたのである。
 [後略]
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