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朝日【大戦中ユダヤ人にビザ発給 勇気ある外交官が記念切手に】
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投稿者 木村愛二 日時 2006 年 6 月 01 日 22:11:17: CjMHiEP28ibKM
 

朝日【大戦中ユダヤ人にビザ発給 勇気ある外交官が記念切手に】

いかにもイスラエル支持の宣伝臭い話である。しかも、論理的に歪んでいる。歴史的事実に照らすと、ユダヤ人のアメリカへの移住を阻止したのは、シオニストであった。
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http://www.asahi.com/international/update/0531/009.html
大戦中ユダヤ人にビザ発給 勇気ある外交官が記念切手に
2006年05月31日18時45分

 ユダヤ人を救うため上司の指示に背いた、勇気ある米国人の外交官がいた――第2次世界大戦の開戦直後、ユダヤ人入国を制限していた当時の米国の政策に背く形で、ナチスドイツの迫害を逃れようとするユダヤ人多数にビザを発給し、救援に助力を惜しまなかった故ハイラム・ビンガム4世を記念する切手が30日、米郵政公社から発行された。

 息子のロバート・ビンガムさん(65)によると、ビンガム氏は1936年、フランス・マルセイユに副領事として赴任した。ナチスの進駐に伴い、親独のビシー政権がフランスにできたが、米国はまだ中立国だったので外交官活動を続けた。

 米政府は当時、ユダヤ人の入国についてはできるだけ制限するよう在外公館に通達していた。だが、ビンガム氏は、画家のマルク・シャガールや政治哲学者のハンナ・アーレントといったユダヤ人知識人らの脱出をはかった委員会に手を貸しただけでなく、推定で1000〜2500人の無名のユダヤ人らにビザや出入国書類を発行した。

 ロバートさんのもとに昨年8月、カリフォルニア州在住の80歳の女性から届いた電子メールには「私たち家族は何の国籍も書類も持っていなかったが、あなたのお父様が書類を出した。彼がいなければ、数日後には強制収容所に送られていただろう」とあった。

 だが、こうした活動はナチス側の不興を買い、米政府に圧力がかけられ、ビンガム氏は41年に南米へ転属。戦後まもなく退職を余儀なくされた。

 その後88年に死去するまで、ビンガム氏は自分の行動についてほとんど語ろうとしなかったという。死去後、96年に遺品の中から大量の日誌や記録が見つかった。

 ロバートさんらが議員らに働きかけ、02年に当時のパウエル国務長官が、ビンガム氏の「建設的な不同意」を表彰。さらに今回、戦後初の駐日大使だったロバート・マーフィー氏ら5人の外交官と共にシリーズ切手に取り上げられた。

 ユダヤ人にビザを発給して救った元外交官としては、日本の元駐リトアニア領事代理だった故杉原千畝(ちうね)さんが知られている。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-10.html
『偽イスラエル政治神話』
2章:二〇世紀の諸神話
1節:シオニストによる反ナチズム運動の神話
[中略]
一九三八年七月、ナチス・ドイツ支配下からの難民の落ち着き先を相談するために三一か国が集まったエヴィアン協議会[後出本訳書三三三頁]で、シオニスト代表団が取った態度は、この狂信に鼓舞されたものであった。シオニスト代表団は、唯一の可能な解決策として、パレスチナへの二〇万人の移住を認めよと要求した。彼らにとっては、ユダヤ人の命よりも、ユダヤ人国家の方が重要だったのである。
[中略]
原著者ロジェ・ガロディの「結論」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-31.html
[中略]
ユダヤ人の状況は、“水晶の夜”以後、それ以前にも増して悲劇的に変化した。一九三八年には、エヴィアン協議会が開かれ、三三の“西側の民主主義国”が集まった。ソ連とチェコスロヴァキアは代表を送らず、ハンガリー、ルーマニア、ポーランドは、オブザーヴァーを送って、ユダヤ人を自分たちの国から追い出してくれと要求しただけだった。
 ローズヴェルト大統領はエゴイズムの手本を示した。“ウォーム・スプリングズ”での記者会見で、つぎのように語ったのである。
《合衆国への移民割り当て数については、見直しも、追加も、まったく予定していない》(「エヴィアン協議会から三〇年」『ル・モンド・ジュイフ』68・4/6掲載記事)
 エヴィアンでは、《迫害されている人々を引き受けたり、彼らの境遇を真剣になって考えて心配する》ことには、誰一人として熱意を示さなかった(『ナチズムに関する十の教訓』76)。
 一九四三年三月、ゲッベルスは、つぎのような皮肉を飛ばすことができた。
《ユダヤ人問題の解決には、どの案が一番良いのだろうか? いつの日にか、どこかの領土で、ユダヤ人国家を創設するという案なのだろうか? いずれは、そうなるだろう。それにしても、奇妙なことがある。なにかといえば、すぐにユダヤ人に好意的な世論が燃え上がる諸国の内の、どの国を取って見ても、間違いなしに常に、ユダヤ人の受入れを拒絶しているのだ》(前出『憎悪の日読祈祷書』)
 ポーランドの敗北後には、ユダヤ人問題を臨時に解決する方法の可能性が出てきた。一九三九年九月二一日、ハイトリッヒは、“最終的目標”(Endziel)と言う表現を使って、保安部の幹部に、ソ連領内の新しい最前線に一種の“ユダヤ人居留地”を建設するように命じた。(同前)
 [後略]
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