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(回答先: 「これは素晴らしい!」 貴重情報感謝!追いつくのが大変ですが。(本文無し) 投稿者 鉄人 日時 2006 年 5 月 28 日 07:32:13)
●ヤコブ・フランク(Jacob Frank)──本名はヤコフ・ベン・ユダー・ライプ・フランコヴィチ(Yakov ben Judah Leib Frankovich)。1726年に(当時はポーランド領、現在はウクライナの)ポデリアにユダヤ教ラビの息子として生まれ、1791年に死去。青年時代に中東を旅し、トルコでは「フランク」の名で呼ばれていた。1755年にポーランドに戻り「フランキスト(Frankist)」というユダヤ教の異端的なセクト運動を興したが、これはシャブタイ・ツヴィの神秘主義思想に感化されたタルムードの教えを否定する教派であった。
その後、彼は神から直接の啓示を得たと言い出すようになり、フランキストの信者たちに“きたるべき救世主の教え”を受け入れるための準備としてキリスト教を信奉するようにと熱心に説くようになる。こうして1759年にフランキスト集団は、ポーランドのルヴォフ(現在はウクライナのルィヴィフ)で“集団洗礼”を受け、当時の社会では奇行として話題になった。だがヤコブ・フランクはキリスト教会から異端勢力であるとの指弾を受け、1760年に投獄された。13年後に釈放されると、彼は自ら“メシア”と名乗って12人の「使徒」を選び出し、オーストリアのブリュン(現在のチェコ共和国のブルノ)に拠点を移し、そこでオーストリア大皇妃マリア・テレジア(1717〜80年)の庇護を獲得した。マリア・テレジアはヤコブ・フランクを“キリスト教の護教論者”として利用したわけである。
1786年にドイツのオッフェンバッハという町に拠点を移し、信者からの寄付で裕福な晩年を過ごした。91年に彼が死ぬと、フランキスト派の実権は娘のエヴァ・フランクに移譲されたが、ほどなくカトリック教会に吸収されてしまった。ヤコブ・フランクは“サッバティアニズム”の存続普及に貢献したが、その党派的な閉鎖性や独善性を改めて、ユダヤ教からの自己脱皮を促した。フランキズムは、オスマン帝国やフランスやアメリカで続発した18世紀の革命運動の思想的な原動力のひとつだったと言われている。[参考:http://www.kheper.net/topics/Kabbalah/Jacob_Frank.htm, http://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Frank]
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