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辛口時評060527
ホロコーストと南京「大虐殺」はデマゴギーの双璧で化けの皮剥げ同時並行
月刊『WiLL』2006年7月号に、東中野修道著『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』の書評、「今月この一冊」が二つ掲載されている。
評者は、石井英夫(元・産経新聞論説委員)と堤堯(元・文芸春秋常務)である。
この本、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』は、2006年5月、草思社刊である。
著者の東中野 修道には、「南京事件」に関して、数冊の著書があるが、今回の書評では、小林 進, 福永 慎次郎が共著者の『南京事件「証拠写真」を検証する』2005年1月、草思社刊の続編として評価されている。
以下、そのレビューを、そのまま紹介する。
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『南京事件「証拠写真」を検証する』
レビュー
「南京事件」には「虐殺派」と呼ばれる人々がいる。旧日本軍が南京で殺戮、強姦、放火、略奪など悪虐非道の限りを尽くし30万人の中国人を虐殺した、という説をとるジャーナリストや学者である。
一方に、東京裁判、中国共産党、大新聞の「大虐殺」説に疑問を抱く人々もいる。阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫、2001年)は、その疑念を晴らすために、当時南京にいた日本軍人、外交官、ジャーナリストから直接証言を求めたものである。ジャーナリストの櫻井よしこは、同書に寄せた「推薦のことば」で「関係者の体験談を集めた第一級の資料」と評している。 ひるがえって『中国の旅』『ザ・レイプ・オブ・南京』などが証拠としている写真は、はたして「第一級の資料」であったかどうか。本書の著者、東中野修道たちのグループ「南京事件研究会写真研究分科会」が、平成14年春から3年間をかけて、虐殺派の書物に掲載されている写真を検証しようとしたのは、「大虐殺説」に納得できなかったからだった。
著者たちが見た写真は3万枚を超える。この中から南京事件の証拠とされている約140枚を選び出し、撮影者、撮影場所と時期、キャプション、出所・提供者など写真の特性を洗い出しているが、科学的とさえいえる検証作業の結果、南京大虐殺の「証拠写真」として通用するものは1枚もないことがわかった。
虐殺派が証拠とする写真の源流は『外人目撃中の日軍暴行』(編者は国民政府顧問ハロルド・ティンパーリ)と『日冦暴行実録』(国民政府軍事委員会政治部編)とされている。この2冊は1938年8月、国民政府が戦争プロパガンダ用に刊行したものだった。著者は「私たちは『虐殺があったか、なかったか』を検証しようとしたのではない」と言っているが、写真は必ずしも第一級の歴史資料たりえないことを証明した意義は大きい。(伊藤延司)
出版社 / 著者からの内容紹介
「南京大虐殺」とは、昭和12年12月の南京戦のさいに、6週間にわたって日本軍による虐殺、暴行、略奪、放火が生じたとの主張だ。近年の研究によってその根拠は揺らいできた観があるが、先日、南京市にある「南京大虐殺記念館」をユネスコの世界文化遺産に登録申請しようという構想が報道されたように国際社会では史実として定着しつつある。これについては今日まで「大虐殺の証拠写真」として世に出た写真の果たした役割が小さくない。本書は東中野修道・亜細亜大学教授と南京事件研究会写真分科会がこうした写真143枚をとりあげ、3年がかりでその信頼度をはかった検証報告だ。いわゆる「証拠写真」の総括的検証がなされたのは初めてのこと。延べ3万枚を超える関連写真との比較検証・照合からわかったことは、これらの写真の半数近くが、南京戦の翌年に中国国民党中央宣伝部が戦争プロパガンダ用に作った2冊の宣伝本に掲載されたものだったことだ。しかもそのうちの数枚は『支邦事変画報』など、当時日本の写真雑誌に載った従軍カメラマン撮影の写真をそのまま使い、略奪や無差別爆撃、強制労働の写真であるかのようなキャプションに付け替えられていた。「日本兵」の軍服の細部や被写体の影の有無から合成あるいは演出写真と判明したものもある。さらに戦後、南京裁判に提出されたという16枚の写真については、写っている人物の身長と影の比率から、撮影時期を5月末か6月初めと特定。「大虐殺」発生時との矛盾が判明した。また16枚の画面サイズの計測によってフィルム本数を割り出し、写真提供者の証言との食い違いを明らかにしている。こうして著者たちは、あらゆる角度から検証を加えたうえで「証拠として通用する写真は1枚もなかった」との結論を導き出した。本書の公正な検証プロセスを読めば、この結論には誰もが頷かれることだろう。
内容(「BOOK」データベースより)
南京事件とは、昭和12(1937)年、南京で行われた日中の戦いのさいに、6週間にわたって日本軍による虐殺、暴行、強姦、略奪、放火が生じたとの主張であり、今ではこれが「南京大虐殺」という言葉で語られ、その証拠と称する残酷悲惨きわまりない写真が世界中に流布している。だが、それらの写真は、はたして真実を伝えるものなのか。本書は、東中野修道教授を中心とした南京事件研究会写真分科会が、「南京大虐殺」の証拠として使われている写真143枚を取りあげ、初めて総括的な検証を加えたものである。写真分科会は、そこに写された影の長さを計測して季節を特定し、関連刊行物との照合によって写真の初出をつきとめ、さらには近年公開された中国国民党中央宣伝部の極秘文書を援用して、国民党の戦争プロパガンダとこれらの写真との驚くべき関係を明らかにしてゆく。3年の歳月をかけた公正かつ画期的研究成果である。
内容(「MARC」データベースより)
南京事件研究会写真分科会が「南京大虐殺」の証拠として使われている写真143枚を総括的に検証。写真の初出をつきとめ、中国国民党中央宣伝部の極秘文書から、国民党の戦争プロパガンダとこれらの写真の関係を明らかにする。
著者について
東中野修道(ひがしなかの・しゅうどう)
1947年生まれ。鹿児島大学法文学部卒、大阪大学大学院博士課程修了。ハンブルグ大学客員研究員等を経て、現在、亜細亜大学教授。日本「南京」学会会長。主な著書に『東ドイツ社会主義体制の研究』『「南京虐殺」の徹底検証』など
小林 進
昭和21年生まれ。電気通信大学卒業。通信機メーカー勤務。南京事件研究会会員
福永 慎次郎
昭和20年生まれ。北海道大学卒業。鉄鋼メーカー勤務。南京事件研究会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』
レビュー
出版社/著者からの内容紹介
●戦争プロパガンダの視点から再検証
本書は、16年にわたって、さまざまな角度から南京事件の検証をつづけてきた著者が、平成15年に台北の国民党党史館で発掘した党の極機密文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』に照らして、南京事件の根拠として多大な影響力を発揮した二つの史料、(一)南京陥落直後に「南京大虐殺」を報じた『シカゴ・デイリー・ニューズ』『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事、(二)陥落から半年後の昭和13年に英米で出版された書籍、H・ティンパーリ編『戦争とは何か』(英語版)に検証を加えたものです。『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は、国民党の対敵宣伝戦を担って南京陥落の直前から活動を始めた党中央宣伝部国際宣伝処が、昭和13年から昭和16年までの三年半のあいだに、どのような工作を行ったかを総括した内部文書ですが、この新史料を得たことで、戦争プロパガンダという新たな視点から南京事件に光をあてることができたのです。
●新史料から何が判明したか
昭和48年に、南京の日本軍の暴行を目撃したという欧米人の匿名の記録を載せた『戦争とは何か』が発掘されて、これが大虐殺の根拠として提示されることとなりました。今回の検証での大きな発見の一つは、『戦争とは何か』が「対敵宣伝本」であると極秘文書に明記されていることでした(19頁および第六章)。
「南京大虐殺」の第一報をアメリカに発信した前述の二つの記事については、第五章で詳しく検証されていますが、極秘文書に照らしてみれば、中央宣伝部が取材に協力した記者のなかに、これらの記事を書いたスティールとダーディン両記者の名前が何度か出てくることが判明しました。また、記事中の「南京における大規模な虐殺と蛮行により」等々の表現は、南京在住の欧米人が組織した国際委員会が、南京の日本軍の不祥事を日本大使館に届けた「市民重大被害報告」の内容(陥落から三日間の全事件のうち、目撃された殺人はゼロ)や、同じときに南京にいた欧米ジャーナリストの証言とはかけ離れていることから虚報であると見て間違いないこと、記事の描写は右にあげたベイツ教授が、「12月15日に南京を離れようとしていた特派員に利用してもらおうと準備して、新聞記者に渡した声明」の内容と酷似していることが突き止められました。
●真実の報道ではなく、宣伝工作の材料
軍事面で劣勢だった蒋介石の国民党は、宣伝もまた勝敗を決する一つの要因であると考え、これを受けた中央宣伝部では「宣伝は作戦に優先する」を合言葉に、総力をあげて宣伝戦を展開していました。極秘文書からは、それがいかに巧みなものであったかがうかがえます(第一章~第三章)。特徴的なのは、宣伝工作にあたって、中央宣伝部は黒子に徹し、各国新聞記者と連絡して、彼らを使って「わが抗戦宣伝と」していたことでした。このような大方針のもと、「首都(南京)陥落後は、敵の暴行を暴」くことを工作活動の主眼としていたことに鑑みれば、二つの史料が果たした役割が自ずと浮かび上がってきます。すなわち日本軍の残虐さを世界に喧伝し、日本を貶めることを狙った戦争プロパガンダであったということです。『戦争とは何か』の内容説明を含めて、極秘文書のどこにも、「南京において日本軍の虐殺や殺人があった」とは出てきません。それは国民党自身、虐殺はなかったと認識していたことの証左であると著者は分析し、このことからも、二つの史料は事実を伝えるものではなく、日本を貶めるためになされた宣伝工作の材料と見なさざるを得ないと結論づぁています。地道な検証作業がもたらした画期的な研究成果であり、本書によって、南京事件の真相解明の道筋はいっそうはっきりと見えてきたと言えましょう。
内容(「BOOK」データベースより)
1937年12月、南京陥落直後、アメリカの大手新聞に「南京大虐殺物語」がトップ記事として掲載され、その7カ月後、南京の日本軍による暴行の目撃談をまとめた『戦争とは何か』がニューヨークとロンドンで出版される。これが源流となって、南京大虐殺は東京裁判へと引き継がれ、歴史的事実として語られることになった。だが、果たしてその内容は真実を伝えるものだったのか。台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作概要』をもとに、これを検証。数々の疑問点、矛盾点を衝き、これらの報道が、中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていく。南京大虐殺の根拠を突き崩す画期的研究成果。
内容(「MARC」データベースより)
南京大虐殺の源流は、虚報とプロパガンダ本だった! 台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘機密文書「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」をもとに南京事件を検証。南京大虐殺の根拠を突き崩す研究成果。
出版社からのコメント
1937年12月、南京陥落直後、アメリカの大手新聞に「南京大虐殺物語」がトップ記事として掲載され、その7カ月後、南京の日本軍による暴行の目撃談をまとめた『戦争とは何か』がニューヨークとロンドンで出版される。これが源流となって、南京大虐殺は東京裁判へと引き継がれ、歴史的事実として語られることになった。だが、果たしてその内容は真実を伝えるものだったのか。
台湾の国民党党史館で新たに発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作』をもとに、これを検証。数々の疑問点矛盾点を衝き、これらの報道が、中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていく。南京大虐殺の根拠を突き崩す画期的研究成果!(本書カバーより)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
東中野 修道
昭和22年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学法文学部、大阪大学大学院博士課程修了。西ワシントン大学客員教授、ハンブルク大学客員研究員を経て、亜細亜大学法学部教授(政治思想史、日本思想史)。文学博士。日本「南京」学会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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