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2006.10.4(その2)
森田実の言わねばならぬ[401]
マスコミを信用してはならない――日本のマスコミは政治権力と合体し国民を支配し圧迫する凶器と化した【13】
田村秀〔しげる〕(新潟大学大学院助教授)著『データの罠――世論はこうしてつくられる』(集英社新書、2006年9月20日刊)【1】
マスコミが報道する世論調査のデータは信用できない。巷には危うい情報が跋扈している。
「曲学阿世」(『史記』儒林伝)
[正道から外れた学問を修め、世俗におもねって人気を得ようとすること。「曲学」は不正の学問、「阿世」は世間におもねる意。通例「曲学阿世の徒」と用いる(竹田晃『四字熟語成句辞典』より引用)。政治権力の走狗となり、世論を権力の側に誘導し、独裁政権の確立に協力しているマスコミ内の新聞記者・報道記者は「曲学阿世の徒」である]
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本書『データの罠』のカバー裏にこう記されている。
《巷にはデータが溢れている。「視聴率」「内閣支持率」「経済波及効果」「都道府県ランキング」等々…新聞、テレビ、雑誌に何らかのデータが掲載されていないことはまず無い。そして私たちは、これらのデータからさまざまな影響を受けている。しかし、肝心のそのデータにどれほどの客観性があるのだろうか。実は、かなり危ういデータが跋扈(ばっこ)しているのである。本書は、さまざまなデータを検証することで、データの罠を見抜き、それらに振り回されない“正しい”情報の読みとり方−データリテラシーを提案する。》 ここに本書の狙いがある。
現在の日本の政治は「世論調査政治」である。政治権力は、テレビ局と新聞社を支配し、広告全体を利用して、世論を「現政権支持」の方向に誘導する。その上で、世論調査を実施して、現政権の人気を数字化する。この数字を基礎にして、独裁的政治運営を合理化し、強権政治を強行している。これを小泉前内閣と安倍新内閣が実際に行っている。
極言すれば、国民は、政治権力と一体化したマスコミ(テレビと大新聞)と広告(電通)によってマインドコントロールされ、政治権力(自民党・公明党と官僚とマスコミ)に支配されている。
民主主義の体裁をとりながら独裁政治を確立する――これが世論誘導の独裁政治である。
政治権力と合体し、政治権力による国民マインドコントロールの道具と化したマスコミほど、社会にとって有害なものはない。政治権力に隷属するマスコミは、人類の魂を破壊する悪魔的凶器である。悪魔的マスコミを克服することは、人類文明が直面している最大の人類史的課題である。
著者・田村秀氏は述べる(「序章/巷に氾濫する危ういデータ」)。
《数値データは客観的なものであると思いがちだが、実際には、客観性を装ういかがわしいデータが数多く跋扈している。都合のいいデータを使い、自分の考えや特定の政策へ導こうとしているものが少なからず存在するのである。》
《「世論調査」という言葉を聞けば、誰もが世間一般の平均的な声を集約したものと考えがちだが、対象者に偏りがあって、とても一般的な声とは言い難いにもかかわらず、一定の方向に導くために世論の声とカモフラージュされているものさえある。》
世論調査の専門家のなかには、自分たちが行っている世論調査がいかがわしいものであることに気づいている者もいる。しかし、これらの“良心派”は、大新聞社、大テレビ局、大広告会社の経営陣によって追放されるか、圧迫され沈黙させられている。
その結果、いかがわしい欠陥だらけの世論調査を、全マスコミが一致してあたかも欠点のないもののように公表し、強引に“世論”をでっち上げている。
著者は言う。
《マスコミなどが提供するデータを常に額面どおり受け取ってもいけないが、逆にこの手のデータはすべてまやかしであると断ずるのももちろん早計である。データのなかには明らかな誤りやウソと糾弾されるべきものもあるが、むしろ巧妙にトリックが仕掛けられているケースのほうが多いからだ。》
マスコミが提供するデータには巧妙に仕掛けられたトリックがある、との指摘は重要である。田村秀氏の著書は多くのことを教えてくれる。(つづく)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02952.HTML
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