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2006.9.27(その2)
森田実の言わねばならぬ[383]
マスコミを信用してはならない――日本のマスコミは政治権力と合体し国民を支配し圧迫する凶器と化した【7】
視聴率至上主義によるテレビの堕落・荒廃。人類社会が長期にわたって育ててきた道義と常識を破壊するテレビは悪の権化である
「テレビは人間にとって危険である。アルコール中毒やおしゃべりや政治がすでに人間を愚かにしている。またこの上に何かをつけ加えることが必要だったのだろうか。悪はなされた……。もはやだれもこの地獄の機械の進行を妨げることはできない。仕事よ、さらば! 明日になれば人々は努力せずに考えるようになるだろう。そしてさらにはもはや考えることもなくなるだろう。そしてもっとも悲しい人生を送って死ぬのだ」(ルイ=フェルディナン・セリーヌ)[『世界毒舌大辞典』大修館書店、1988年刊]
テレビは人間にとって危険なものだ、と私も思う。
私が初めてテレビ局から出演を求められてから約30年が経過した。最初の仕事は日本テレビからきた。月刊誌『現代』に官僚批判と行政改革論を書いたのがきっかけだった。その頃、福田赳夫首相が行政改革を強調していた。テレビ局には福田首相の行政改革を応援する意図があった。私がテレビの解説者として仕事をし始めたのは、1970年代後半期だった。
日本テレビに出演すると、他のテレビ局からも声がかかるようになった。フジテレビ、さらにTBS、テレビ朝日とつづき、テレビ東京からまで声がかかるようになった。80年代にはNHKラジオにも出演した。テレビにほとんど毎日出演するようになったのは80年代末だった。ある著名な政治評論家がリクルート事件との関連でレギュラー解説者を降りたあとにレギュラーコメンテーターとして出演することになった。TBSの深夜の報道番組だった。それから約15年間、テレビの仕事をつづけてきたが、2005年8月の小泉首相による衆院解散を「憲法違反」として批判して以後は、テレビ局から声がかからなくなった。90年代後半になると、政府・自民党から私の出演するテレビ局に圧力がかかるようになった。その過程でテレビ局は政府・自民党に近づいていった。
テレビ局内の知人からの連絡によると、「森田さんが出演したあとは、いつも政府・自民党筋から圧力がかかり、社内で森田さんに出演をお願いすることができなくなりました」とのことだった。また、最近はこんなメールをいただいた。「森田さんが電通批判を始めたために、出演を依頼できなくなりました」と。それまでも政府・自民党サイドからの圧力は、その都度、耳に入っていた。
10年以上前のことだと記憶しているが、ワイドショー的番組にも何度か出演した。親しくなったテレビ局員に、私のテレビへの疑問を話したことがあった。
「毎朝、同じ時間に各テレビ局が同じような番組をやり、同じ人物のインタビューを放送しているが、これでは、テレビ局がいくつもある意味はないと思う。それぞれの局が独自の判断で番組づくりをやるべきではないか」
すると、意外な答えが返ってきた。
「かつて、私も若い頃、同じことを考えて、独自の個性的番組をつくろうとしたことがありました。するとすぐに上司から叱られました。『そんなことをしたらクビだ』とまで言われました。『独自の番組が成功するとは限らない。失敗したら、視聴率競争に負ける。視聴率競争に負けないためには他局と同じことをやれ。同じことを徹底的にやりつづけろ』と上司から怒鳴られました」
いろいろなテレビ局で、私は、テレビ局が独自的な見識をもって番組づくりを行うべきだと、そのテレビ局のスタッフに話したが、すべて拒否された。
テレビ局は視聴率絶対主義なのである。日本のテレビ局が恐ろしいのは、すべての民放が、視聴率絶対主義をとり、同じ放送を同じ時間に行うことに、なんのためらいもないことである。
さらに恐ろしいのは、人気タレントが登場するとすべてのテレビ局(最近はNHKを含めて)が出演させようとして激しい競争になる。常識に反する下品な毒舌タレントが人気を上げると、全テレビ局が下品な毒舌を毎日繰り返し放送する。これによって、日本人の常識が歪んでしまうのである。
テレビ局の仕事は、ごく少数の社員エリートと下請けのプロダクションから動員される大多数の派遣社員によって行われている。少数の社員エリートは下請けプロダクションの殺生与奪の権を握っている。テレビ局の内部は、ごく少数の王侯貴族と大多数の奴隷という古代奴隷社会に似ている。下請け企業からの派遣社員はただ黙々と社員エリートの命令に従うだけである。もしも、小プロダクションの社員が、テレビ局社員エリートを少しでも批判すれば、即刻クビが飛ぶのである。
テレビ局の少数の社員エリートは、一部に真面目で清潔な人物もいるが、ほとんどが傲慢である。気に入らないことがあるとすぐに開き直ったり居直ったりする小泉純一郎タイプの人間が少なくない。反省力がないのである。
約30年の間テレビ局を内部から観察してきて、テレビ局の堕落は急速に進んでいる。そして私はテレビは危険であると痛感し心配しつづけている。とくに小泉首相が登場してから、テレビ局員の“真面目さ”が急激に低下した。道徳・常識が軽視されるようになった。小泉純一郎的開き直りが横行するようになった。そして、みんなが「考える」ことをしなくなった。(つづく)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02934.HTML
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