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September 22nd, 2006
突然のお知らせですが、、、
Eyes On Japan が来週29日で終了します。
10月2日から新しい番組がはじまります。
今日、番組内で正式発表です。
といっても、これまでMorning Freeway も6 Senseも「終了」してまいりましたが、
私は2003年四月から三年間6時〜9時、4月からの半年は5時〜8時半の
パーソナリティをつとめつづけてまいりました。今回の改編では私自身も9月一杯です。
10月からは私七尾藍佳は、違う場所で新しい活動を始めます。
これまでのラジオの朝の情報番組を担当してきた経験、報道に携わってきた経験を活かすことのできる場所です。
こちらについては、来週火曜日以降ご報告申し上げます。
これまでたくさんの叱咤激励本当にどうもありがとうございました。
今日を含めて残り6回の放送になります。
いままでの放送分をいれると、私は900回近い放送をしてきたようです。
取り急ぎご報告まで。
長い間、本当にどうもありがとうございました〜!
御愛聴感謝!
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September 24th, 2006
ありがとうございます。
これだけたくさんのメッセージを頂いて、なんだか
「ただのラジオ番組」以上に、強い思いを持って聴いてくださっているかたがたくさんいたんだ、と改めて感動しています。
力みすぎとか、意見言い過ぎとか、私に対してそういう批判があるのは十分理解できます。実際そうですし、苦笑。なるべく肩の力を抜いて、緩急をつけて、朝の時間帯に負担にならないような表現方法をずっと模索してきました。
でもやっぱり常に命がけでした。
これだけは譲れない、そのためには番組をいつ降ろされても構わない、
というひとつの覚悟は、フリーとして、ある種の「個性」を失わないために絶対必要なものだと、ずっと思ってきました。
私は「意見」なんらかの主義主張、それは世界への視点の持ち方、でもありますが、それがないジャーナリズムはあり得ないと思います。
だからこそ余計、「意見」を言うためには相当の勉強と覚悟と訓練が必要です。私なりに模索してきた結果、私の姿勢を評価してくださるかたがいらっしゃるのはとってもうれしいことです、ありがとうございます。でも、私は、自分自身にまったく自信がありません。それは至極自然なことだと思います。なぜなら私は自分の足で情報を集め、ニュースを書いているわけではないからです。番組をはじめたときは24歳だったこと、終わる今でもまだ28歳であること。そんな人生経験もまだまだないコムスメが、一体全体老若男女全国津々浦々できいてくださっている方々に何を偉そうに能書きたれているんだと、自分でずっとそう思ってきました。実際そうだと思います。
それでも言わないといけないことがあって、言うことを求められる。ときにはほんの少しの誤差によって、ものすごく個人攻撃もうけるし、バッシングもされるし、自分でも悩む。だぁれも味方がいなくって、一人ぼっちで何を戦っているんだろう(大分ただの「独り相撲」だったこともあると思いますよ、苦笑)、しんどいなぁ、と思うこともあり、何度も「辞めよう」と思いました。そのたびに、信頼できる友人や、仕事関係のかたから、「まだキミは放送の本当の「面白さ」をわからずに、苦しんだままやめることになってしまうよ、それではあまりにももったいない」、きっと自然と、次の方向性が見える時期がくるから、それまで踏ん張れ、となだめすかされ(苦笑)なんとかここまでやってこれました。もちろん、番組を聴いてくださっているかたからの多くの励ましのメッセージも。
おかげさまで、私はずっと放送に関わっていきたいと思えるところまでどうにかこうにかやってくることができました。
私は、本来立つべきでないところに、私なんかではおこがましいところに立たせていただき、多くの方の寛容さに甘える形で言葉を発してきたようにも思えるのです。それはひとつの奇跡のようなものだったのかもしれません。
今の時点では「ニュース」の場で「意見」を前面に出すのはもう止めよう、と思っています。
もちろん、批評文や、エッセーなどではもちろん表現していきます、私の「意見」を。それは「表現の自由」だからです。大事なのは、「報道」における「表現」と、アートや、批評文における「表現」には質的な違いがあるということ。
(ここでいきなり宣伝ですが、『ダカーポ』現在発売中の号の「本のプロが薦める本」書評欄にて、鷲田清一著『「待つ」ということ』という本の書評を書いています。あと来月号の月刊『現代』の「私と皇室」という特集に<他の執筆者には瀬戸内寂聴さんなどがいらっしゃいます、ひぇぇ>寄稿しています。そんな感じで色々<表現>しとります、これからもつづけます。)
三年半、報道色の強い番組をFMラジオでやってきて、
「報道」ってなんだろう、と日々考えてきました。わかったことは、私は「報道」が何たるかを全く知らない、ということです。結果として自分の未熟さと無知を思い知りました。それは非常に、恵まれたことだと思います。気づけてよかった、と思います。
私は訓練を現場で積んでいない。
たとえばピーター・ジェニングスだって、ABCのスタジオに生まれたときからいたような雰囲気だけど、彼はベトナムや、中東や、世界中のありとあらゆる『現場』で「取材」をして、それを「伝えて」きた。
今、私に一番必要なもの、それは「現場」をしること。スタジオを飛び出すこと、人々と会うこと。現実をみること。どろどろになること。足をつかって、汗をかいて、誰かが書いてくれて通信社が配信したのではない情報を入手すること。
そういうことなんだと思います。
この三年半いろんな事件がありました。アフガン空爆、イラク戦争、日本人の人質問題、北朝鮮ミサイル危機、多くの自然災害、郵政改革、親王誕生、安倍政権誕生へ。
いろんなことを私は電波で言ってきました。それなりに勉強した上で言ったつもりでも、つきつめて追及されれば論理矛盾を指摘されるようなこともあったことと思います。たくさんの批判もありました。同時にたくさんの応援もありました。そう経験してきたなかで、
「これだけは自分で調べてみてきいてきたことだからお伝えしたい」
と自信を持って、伝えることをしたい、どんどんそんな気持ちが強くなっていきました。
「報道」はただの「情報」ではないと思います。
「新聞」と「ラジオ」の成立と「近代市民社会」の成立が同時期であったことを、ベネディクト・アンダーソンという学者が『想像の共同体』という本のなかで説いています。ひとつの村、全員が顔を知っているというような前近代的なコミュニティーを超えた、顔も見たことのない人間を同じ国家に属す「同胞」としてとらえることができるようになったのは、「メディア」が発達したからです。ひとつの「出来事」を、同じメディアを共有する人々が追体験することによって、「国家」あるいは「市民社会」が成立する。
だからこそ、不幸な歴史に貢献してしまうことだって往々にしてあります。
「メディア」は「民主主義」の根幹を成しているものだと思います。
政権交代だって、台風だって、殺人事件だって。それをみんなが、同じ社会に属している人間として、どうみて、どう考えるのか。
それを伝える側にはどんな責任があるのか。どう伝えるのがベストなのか。それはずっと模索しつづけられるべきものだと思います。
でも私は何も知らない。ニュースがどう生まれ、どう伝えられるのかの基本をわかっていない。私はただニュースを「読む」だけだったのかもしれない。だから今、ニュースを「作る」現場に身をおいて、修行しないといけない。
私はTFMで番組を担当させていただいたことで、本当に多くのことを学びました。
発つ鳥後を濁さず。
ただもう感謝するばかりです。
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※コメント:
残念の一言に尽きる。
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