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□竹中氏議員辞職報道が盛り上がらない訳 [JANJAN]
http://www.janjan.jp/media/0609/0609181402/1.php
竹中氏議員辞職報道が盛り上がらない訳 2006/09/20
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麻原彰晃(本名・松本智津夫)被告の死刑確定のニュースと重なったためか、あるいは既に過去の人という訳か、9月15日に竹中平蔵総務大臣が参議院議員辞職を発表したことに関するマスコミ報道は、盛り上がりに欠ける感じがすることは否めません。
毎日新聞と日本経済新聞は翌16日にそれぞれ「この転身はほめられない」「『竹中後』も民生かす改革継続を」と題する社説を発表した。朝日新聞が「改革の成果と限界と」とする社説を発表したのは翌々日の17日。読売新聞と産経新聞に至っては、社説はおろか一面コラムでもこの問題を取り上げていません(繰り上げ当選するプロレスラーの神取忍氏との“抱き合わせ報道”に関しては、タレント議員の存在意義を問うという意味で、一概に否定すべきではない、と考えます)。
それにしても、読売・産経が今回の竹中氏の辞職を社説などで論じないのは、いささか不可解、と言わざるを得ません。いくら郵政民営化法案成立後に影が薄くなったとはいえ、「小泉改革の推進者」「市場原理主義の推進者」として評価が二つに分かれる程の存在感を持つ以上、小泉改革を総括する意味でも、竹中氏に対する評価は避けては通れないはずだからです。
また、まさに竹中氏が辞職を発表したその翌日の9月16日に発売された週刊ポスト9月29日号が竹中氏の金銭スキャンダルを取り上げていることも考えると、新聞・テレビの論調が“優等生”的に思えてなりません。
週刊ポストの記事によると、竹中氏は政治資金を所轄する総務大臣でありながら、政治資金パーティーの収入を政治資金収支報告書に記載していないとのことです。任期途中での竹中氏の議員辞職を批判するのなら、この点に関してもマスコミは追求すべきではないでしょうか。
ただ、週刊ポストのこの追求記事によれば、竹中氏の“裏献金パーティー”主催団体は、安倍晋三官房長官の後援会関係者が支えているとの事です。更に週刊ポストは別の追求記事で、「非姉歯物件」である耐震偽装マンションの問題の“封印”に安倍氏が関わっている、とも追及しています。
もしマスコミが、「竹中氏辞職⇒“次期首相”安倍氏疑惑」に波及するのを遠慮して、“優等生”的にしか取り上げないだけならまだしも、読売・産経の様に論ずる事すら放棄したというのでしたら、これは自らの首を絞めた、と言う事になりはしないでしょうか。
ジャーナリストの立花隆氏が故田中角栄首相の金脈問題を追求した時にマスコミは、そんなの知っている、といった態度を取っていた“前科”があるのですから、あの時と何ら体質は変わっていない、という事になるでしょう。
<参照1:竹中氏議員辞職に関する主要紙社説>
毎日新聞 9月16日「社説:竹中氏議員辞職 この転身はほめられない」
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060916ddm005070165000c.html
日本経済新聞 9月16日「社説:『竹中後』も民生かす改革継続を」
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20060915MS3M1500H15092006.html
朝日新聞09月17日「社説:竹中氏降板 改革の成果と限界と」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060917.html#syasetu2
週刊ポスト9月29日号より(ページ順に):
「安倍晋三『集金マシーンにもうひとつの耐震偽装人脈!』」
「竹中平蔵よ『ヒルズ族献金』はどこへ消えた!」
(森下泰典)
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□毎日新聞 9月16日「社説:竹中氏議員辞職 この転身はほめられない」
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060916ddm005070165000c.html
社説:竹中氏議員辞職 この転身はほめられない
竹中平蔵総務相が15日、小泉内閣の退陣と同時に参院議員を辞職する考えを表明した。議員任期を4年弱余しての政界引退である。今後は大学のシンクタンク代表に就任し、新内閣にも協力していくという。閣僚を続けられないのなら大学に戻った方が影響力があると考えたのだろうか。だが、これでは、議員バッジは実に軽いものだったと言わざるを得ない。
竹中氏が小泉改革の制度設計者であり、国民に対する広報役として大きな役割を果たしたのは間違いない。学者から政治の中心へと華麗な転身ではあった。
最大の成果は銀行の不良債権処理を強力に進めたことだ。景気回復が支援材料になったとはいえ、数値目標を設定し削減を迫る手法なしには、大手行トップを本気にさせることは難しかった。歳出改革も時宜を得たものだった。経済財政諮問会議の民間議員と一体となった規制改革や産業再生などでの提案も、構造改革を進める上で有効だった。
ただ、問題もあった。第一は、デフレ脱出にこだわるあまり、日本銀行の金融政策への介入と受け取らざるを得ない発言を繰り返したことだ。結果、量的緩和政策は今年3月まで長引き、経済正常化を遅らせた。第二は、郵政民営化担当大臣として、官営金融業である郵便貯金や簡易保険の廃止や規模圧縮を断念したことだ。
それどころか、07年10月以降、民営化される郵貯や簡保は積極的な規模拡大に乗り出すことも可能だ。郵政改革の基本が棚上げされたということであり、ここに竹中氏が推進役となった小泉改革の限界があったともいえよう。
残された課題も多い。総務相として取り組んできた新たな地方分権の枠組み作りは、新政権に受け継がれるが、あれもこれも手をつけた揚げ句、「後は勝手に」と投げ出した印象はぬぐえない。
政治家であれば、閣僚を辞めた後でも党の政調会などの場で政策実現に携わっていくのが通常の姿だ。ところが、小泉純一郎首相に厚遇され続けた竹中氏に対する自民党内の目は今も厳しい。要するに一介の議員として党に残るのは、竹中氏にとっては耐えられなかったのではなかろうか。
元々、議員になったのは便宜的なものだったのだ。04年7月の参院選。竹中氏に自民党比例代表での出馬を要請した小泉首相は「民間人を大臣にするのはけしからんという声も国会議員になれば起きないんじゃないかと思ってね」とあからさまに語ったものだ。
しかし、参院選で竹中氏が獲得したのは自民党ではトップの72万票。竹中氏が15日、「投票してくれた人には申し訳ない」と語ったように、有権者は竹中氏に6年間の任期を託したのである。
民間人を重用する一方、党内に敵を作ることで人気を浮揚させてきた小泉首相。竹中氏の引退表明は異例ずくめだった小泉劇場の終わりを象徴している。だが、「竹中さん、ご苦労さま」と簡単に済ませるわけにはまいらないのだ。
毎日新聞 2006年9月16日 東京朝刊
□日本経済新聞 9月16日「社説:『竹中後』も民生かす改革継続を」
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20060915MS3M1500H15092006.html
社説2 「竹中後」も民生かす改革継続を(9/16)
竹中平蔵総務・郵政民営化担当相が、小泉純一郎内閣の次の政権が発足する26日付で参院議員を辞職すると発表した。5年半前の小泉政権発足時に、大学教授から経済財政担当相に起用され、経済政策の司令塔の役割を果たしてきた。民間出身の大臣が打ち出す改革は様々なあつれきを生んだが、従来の官僚主導のやり方にとらわれずに効果をあげた政策も多い。「竹中後」も政策に民の知恵を生かす構造改革を失速させてはならない。
小泉首相は重要な経済政策課題の大半を竹中氏に任せた。2001年の中央省庁改革で発足した経済財政諮問会議の機能を定着させたのは、竹中氏の大きな功績だ。諮問会議の民間議員4人と組んで、首相主導の政策決定に道を開いた。
02年秋には金融担当相も兼ね、少人数の民間有識者チームで従来の金融庁の路線を転換する新方針を決め、不良債権処理を促進した。公的資金注入をテコに大手銀行に厳しい不良債権処理を迫る手法は、当初は金融界などから強い反発を浴びたが、最終的には大手銀行の不良債権比率を半減させる目標を達成した。
04年には、小泉政権の重要公約の郵政民営化の担当相に就任し、民営化法の成立に尽力、05年秋には総務相に転じた。
竹中氏は、従来の霞が関や永田町のやり方にとらわれずに政策原案を少人数の側近チームで決めることが多かった。このため、「独断専行」「実態がわかっていない」などの批判も浴びた。不良債権処理では過激な当初案から修正を迫られ、郵政民営化でも与党との調整で妥協する場面も何度かあったが、官主導ではできない政策作りに成果をあげたのは確かだ。
経済政策を取り仕切ってきた竹中氏も、昨年秋に総務相に転じてからは、その影響力に陰りが出たようにも見える。諮問会議の取りまとめ役という立場を外れ、民間議員と政策で対立する場面もあった。竹中氏以外にも小泉内閣では社会保険庁長官など民間人起用を進めたが、あまり実績はあがっていない。官僚・族議員主導を排し、民間の知恵を政策にどう生かすか。次期首相にとっても大きな課題である。
□朝日新聞09月17日「社説:竹中氏降板 改革の成果と限界と」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060917.html#syasetu2
竹中氏降板 改革の成果と限界と
小泉改革の軍師役、竹中総務相が参院議員も辞職する。構造問題の地雷原を歩んだ竹中氏の5年半は、改革の光と影、成果と限界を映し出している。
政官業の「鉄のトライアングル」にたじろがず、郵政民営化や不良債権処理を仕上げた。並の政治家では太刀打ちできない剛腕ぶりだった。
だが、手つかずだったり、竜頭蛇尾に終わったりした難題も少なくない。財政改革や地方分権、さらには競争社会の副作用とされる格差問題などだ。
慶応大教授だった竹中氏は、01年4月に発足した小泉内閣に経済財政担当相として迎えられた。首相を後ろ盾に経済財政諮問会議を取り仕切り、「骨太の方針」をまとめ上げた。
02年9月、金融相を兼務。金融再生プログラムを発表し、問題を先送りにしてきた銀行に厳しい処理を迫った。りそな銀行や足利銀行の実質的な国有化やペイオフの実施などを推し進め、金融をめぐる混乱はひとまず鎮まった。
「学者が日本経済をおもちゃにしている」といった批判は与党内でも強かった。その逆風に立ち向かうように04年7月の参院選に挑み、比例区で当選する。「抵抗勢力」と戦う足場を固め、9月からは郵政民営化担当相として国会審議の矢面に立った。
だが、いつしか政策の重心は、与謝野経済財政相や中川政調会長に移る。竹中氏に残された仕事である地方改革の動きも鈍くなった。小泉氏が落日に近づくにつれ、その影も薄れていくように。
竹中氏は「小泉内閣が終わるのに伴い、政治の世界での私の役割は終わった」と述べた。では72万票を投じた有権者の期待をどう考えているのか。無責任な退場といわれても仕方がない。
それにしても、このあっけなさはなぜなのか――。
即断即決を貫けた不良債権の処理と、小泉政権の表看板である郵政民営化が一段落した先に、めざす目標は見つからなかったということだろう。
構造問題に本気で取り組む政権といいながら、目先の懸案をこなした先に待ちかまえる本格的な行財政改革の設計図を持ち合わせていなかった。構造改革のめっきがはげたとも言える。
小泉氏の後継者を選ぶ総裁選は安倍氏支持でほぼ一色になり、もはや「抵抗勢力」も見当たらない。郵政造反派の復党さえささやかれる。
霞が関復権の足音も聞こえる。来年度の予算編成では安倍政権を当て込んだ再チャレンジ関連の項目が並び、国土交通省の要求額が膨らんだ。「官から民へ」の流れは「官への回帰」へ逆流しそうだ。竹中氏の居場所はない。
債務を減らしつつ、少子高齢化への備えをどう固めるか。成長戦略をどう練り上げるのか。多くの宿題が残された。竹中氏の退場は、しょせんは既得権に安住し、成熟社会での負担と分配の姿を描けない自民党政治の限界も示している。
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