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2006.8.26(その1)
森田実の言わねばならぬ[297]
質問に答えます――「森田さん、あなたはどうして日本のマスコミをきびしく批判しているのか」(その3)戦争を煽るマスコミは、平和と言論の自由の敵である
「言論の自由を殺すのは、真理を殺すことである」(ミルトン、イギリスの詩人、1608-74)
戦争は言論の自由を殺す。戦争をしている政府は、言論の自由の敵である。今日のアメリカのブッシュ政権といえども例外ではない。
ブッシュ大統領は「テロとの戦い」を名目にして戦争を始めた。戦争する政府は言論の自由を認めない。自由な言論を弾圧する。ブッシュの戦争とともに、アメリカの言論の自由はつぶされた。戦時体制下では言論の自由はない。マスコミは政府の手先になる。
小泉政権はブッシュ大統領の戦争に加担した。これとともに日本は準戦時体制に入った。ブッシュ政権の日本担当部門と小泉政権は一体化し、言論を統制し、日本国民から言論の自由を奪い取った。日本のマスコミはブッシュ・小泉の手先となった。
言論の自由を奪うにあたっての有力な協力者が「電通」という巨大な広告独占企業である。小泉政権は、政府・自民党の力を使ってマスコミを抑えるとともに、電通を頂点とする広告組織を通じて言論の自由を殺したのである。マスコミは小泉政権と電通の手先となった。
平和を守ること、言論の自由を守ること、国民の利益を最優先すること――これが、ジャーナリズムの最低の義務であり責任である。
ところが、民放テレビは、平和を大切にする意識を捨ててしまった。言論の自由を自ら放棄し、多様な言論を否定し、ブッシュの戦争と小泉首相の対米従属路線を讃えつづけている。民放テレビは、日本国民全体からすればごく一部にすぎない「勝ち組」の手先になり、「勝ち組」だけの利益の擁護者に成り下がっている。民放テレビは日本国民の大多数を占める「負け組」の存在そのものを無視している。民放テレビには、恵まれざる人々に対する健全なヒューマニズムが欠けている。
テレビ放送(政治は小泉政権の監視下にある)で健全なのは「電通」と無関係なNHKだけである(政治以外の放送)。
大新聞は、民放テレビほど破廉恥ではないが、やはり、堕落の道に転落し、政治権力の手先という恥ずべき役割をつとめている。大新聞社の記者の中には、健全な批判精神の持ち主はいるが、彼らは地方支局や週刊誌など傍流に追いやられてしまっている。
日本のマスコミ内部のジャーナリストは、ジャーナリズムの三大任務(平和=反戦争、言論の自由=批判の自由、国民のための報道=恵まれざる大多数の人々へのヒューマニズム)を忘れ、小泉政権(自民党と公明党・創価学会)と電通の顔色をうかがいながら、平成版大政翼賛会の一翼を担う方向へ進んでいる。そして、ブッシュの戦争と小泉首相の自発的日本植民地政策に協力している。
このような権力のためのジャーナリズムは国民の敵である。このようなジャーナリズムは百害あって一利なしである。
なかには産経新聞のように日本と中国との対立を煽り、中国と敵対しようなどという物騒なことを主張する新聞も出現した。産経新聞の記者たちは、戦争をしたくて仕方がないように見える。戦争が甘美なものに見えるのであろう。平和より戦争を好む好戦的な新聞ほど有害なものはない。この原因の一つは歴史への無知にある。無知というのはおそろしい。
「縁なき衆生は度し難し」である。
繰り返す。戦争を煽り平和を破壊するジャーナリズムは悪の権化である。日本のマスコミ全体が産経新聞的になってしまっている。許してはならないと思う。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02848.HTML
森田実の時代を斬る:
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/TEST03.HTML
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