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(回答先: 嘘ばっかり [Sage's Blog Returns] 【これも『印象操作』の一例なのかな】 投稿者 white 日時 2006 年 8 月 08 日 22:33:48)
□秋田児童殺害事件に見る「犯人扱い」報道のあり方 [Another Aquatic Zone]
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/aquaticzone/eid/348932
秋田児童殺害事件に見る「犯人扱い」報道のあり方 / ニュース随想録 2006.08.08
秋田鬼母「なんで私が犯人なの」 またホラ吹き (イザ!:事件ですニュース)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/14116/
だが、最近になって「違う。何で私が犯人なの」といきなり容疑を否認し、「彩香は、事件であやめられた」と再び第3者による殺人事件を主張し始めたという。
創作ストーリーは、今に始まったことではない。米山豪憲君(7)殺害事件では当初、「買い物に行っていた」とアリバイを主張。逮捕直前には「自宅の周りに携帯電話の電波を調査する不審な男がいた」と不審者の目撃談を語り出し、地元住民から失笑を買った。
この記事を見て、すごく違和感を覚え、何か釈然とせず、いろいろこの事件についてネットで情報漁っていたら、下のような記事を見つけた。
[ゴーログ]異論あり!秋田県藤里町児童殺害事件 (週刊!木村剛 powered by ココログ)
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b60c.html
“任意”で16時間の取調べで“自供”? (観劇レビュー&旅行記と日記)
http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/c3f5afc7e7adc03f4d36a2bdb96e54ce
観劇レビュー&旅行記と日記さんのほうは、何部にも渡っていて長いが、読み応えがあり、私の覚えた違和感の原因をはっきり示してくれた。読み終えて、何か良く分からないでいたもやもやが晴れたようなすっきりした気分。
何がって、この「容疑者」は本当に「犯人」なの?まだ「容疑者」の段階で、容疑は確定していないでしょ?それを、さも確定したかのように報道して良いの?
自白をしたと報道されてるけど、上の記事の内容が正しいとすると、長時間ろくに休みも与えられず取り調べを受け、犯人だったんだろ?と自白を迫られると、なんとかその場から逃れたいという追い詰められた精神状態から、犯人でなくても自分が犯人かのように“自白”をしてしまうこともあるらしい。
もしそうならば、動機もはっきりしないし、殺害の方法や時間などについての供述が二転三転することも当然。気持ちが落ち着いて正気に戻った時、「一転否認」もありえる話。
これまで事件の報道はテレビや新聞・ネットなどでも見ていて、ぼんやりと違和感がありつつもその報道を鵜呑みにしていたけど、一番上に載せた「イザ!」の記事で、記事タイトルに「秋田鬼母」とまで書かれているのを見て、違和感がとてもはっきり見えてきた。「創作ストーリーは、今に始まったことではない」って、買い物に行っていたことまでもが創作だという証拠はあるのか?それはこの「容疑者」が「犯人」であると決め付けた前提での話じゃないのか?
買い物に行ったという話だって、完全に“創作”では無く、豪憲君が殺害されたとされる日に、この「容疑者」は実際に宝くじを買いに行ったり、弟とレンタルビデオショップに行ってビデオを借りたりしているらしく、目撃もされている。これらもマスコミ報道では『殺害前の不可解な行動』とされているようだが、逆に殺人事件とは結びつかないごく日常的な行動じゃないの?
この「容疑者」がいかにも二面性を持った凶悪は「犯人」であるとの印象を強く植え付けるために、テレビのワイドショーではこの「容疑者」がテレビクルーに向かって罵声を浴びせたシーンが流されているけど、これだって何日も前から、この時点では「容疑者」にすらなっていないのに、半ば犯人と決め付けたマスコミが家の周りを取り囲み、姿を見せるたびに質問攻め。これでは、犯人で無かったとしても怒鳴りたくなっても不思議ではない。
もちろん、私にこの「容疑者」が犯人では無いなんて証拠は持っていないわけで、ここで「この容疑者が犯人じゃ無いでしょ?」なんて言いたいわけじゃない。実際犯人かもしれないけれども、それも確定しない、あいまいな点が多い「容疑者」の段階で、報道機関が「犯人」扱いして良いのかってこと。しかも実名出しで。
マスコミとしては、他社よりも出来る限り早く新しい“事実”をスクープとして報道したいのだろうし、それを受け取る視聴者も一刻も早く「犯人」が分かって捕まってくれたほうが嬉しいには違いない。特に、事件現場に近い地域に住んでいる住民の方々からすれば、1人「凶悪な犯人」が捕まってくれれば、安心できることだろう。
でも、「容疑者」として「逮捕された」のは事実としても、それでこの「容疑者」が「犯人」と決めてかかって報道するのは、報道機関として安易に過ぎないか?
こき下ろすにしても、それは有罪が確定してからにすべきでは?これはこの事件に限ったことでは無いけどね。
マスコミの報道を観る我々も、マスコミの垂れ流す情報を頭から鵜呑みにせず、良く自分で考えて取捨選択したいものだな。
(2006/08/08 21:5)
▽この記事に対するコメント
悩める河童
以前、騒音おばさんの事件がありましたが、あれもビデオを撮っている隣人が挑発した後に、録画しているという話もありますね。
(挑発している部分は、当然映っていませんが)
現に、あのおばさん、他の人に対しては、至って普通の態度なのだとか。
フィルターのかかった情報は、一方向からではなく多角的に見ないと、真実が見えてこないのでしょうね。
(2006/08/08 22:45)[返信]
∴∵
マスコミが寄ってたかって犯人扱いしたので有名なのは、松本サリン事件がありましたよね。あれは、普通に河野さんが犯人だとばかり思ってしまったので、報道の恐ろしさを感じました。
騒音おばさん、そんな話もあったのですか。マスコミとしても、絶対的な悪を作ったほうが分かりやすいですし、そういう悪を叩けば視聴者もすっきりしますし、そういう「いかにもな絵」をマスコミが欲しがるのは分からんでもないですが、スクープ・センセーション一辺倒で真実から外れてもらってはこまりますね。
(2006/08/08 22:50)
▽関連記事
□異論あり!秋田県藤里町児童殺害事件 [週刊!木村剛]
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_b60c.html
2006.08.04
[ゴーログ]異論あり!秋田県藤里町児童殺害事件
皆さん、こんにちは。木村剛です。秋田県藤里町における児童殺害事件について、マスコミと真っ向から対峙するブログから発信がありました。「観劇レビュー&旅行記と日記」さんは、「一人の女性が、秋田県警の意図的な情報操作と、これに載せられているマスコミの無責任な報道によって、人権を蹂躙されているばかりか、人格的にも社会から抹殺されようとしています。ことによると、警察施設内で “自殺” と称して生命さえ抹殺されかねません」と警告を発しています。
残念ながら、私は、当該事件の報道については当初より不快に感じていたため、事情を詳細に知ってもいませんし、「観劇レビュー&旅行記と日記」さんから寄せられた情報が正しいか否かに関して、識見を持ち合わせておりません。
ただ、当局からのオコボレ情報によって一方的な見方を押し付けがちのマスコミに騙されないためには、違う見方をしている方々の意見を聞くことは重要だと常々感じています。したがって、秋田県藤里町における児童殺害事件に興味のある方は、「観劇レビュー&旅行記と日記」さんのブログを読んでいただくことには、少なからぬ意義があるかもしれません。
この中で、「観劇レビュー&旅行記と日記」さんは、「マスコミは『報道』ではなく、やりっぱなしの『放道』です。被疑者の人権に対する配慮は全くありません」と嘆いていますが、その点に対しては全く同感です。「『推定無罪』『疑わしきは、被告人の利益に』という【憲法】や【刑法】の基本」を踏まえない「報道」のどこが「公正で客観的」なのか、誰かに教えてもらいたいものです。
過去に「松本サリン事件」に典型的にみられる「冤罪事件」が数多く発生し、無実の方が死刑に処せられたこともあります。 死刑に処せられない場合でも殆どの方々が、その後の人生を普通に生きられず、無実が証明されたあとでさへ全うな生活ができないというのが実際です。このような冤罪事件の温床が『代用監獄』であり、孤立無援状態での長時間に亘る取調べであったことは歴史的事実です。
世界的にも、日本の刑事事件の手続は、基本的人権を踏み外していると批判され続けています。この前近代的なやり方が変わることはないのでしょうか。
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