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なぜテレビ局は消費者金融のCM規制に反対するのか?なぜ新聞はガンが消えるという広告を平気で載せられるのか?
http://www.asyura2.com/0601/hihyo3/msg/411.html
投稿者 TORA 日時 2006 年 8 月 05 日 15:04:54: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu125.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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なぜテレビ局は消費者金融のCM規制に反対するのか?
なぜ新聞はガンが消えるという広告を平気で載せられるのか?

2006年8月5日 土曜日

◆テレビや雑誌の情報を鵜呑みにするな! 千年王国
http://d.hatena.ne.jp/millennia/20050819#1124418992

世の中にそんなにうまい話はないということで…。人間はもっともらしいことを聞かされるとどうしても信じてしまいがちだが、その「もっともらしい」ことが大嘘ということも多い。一番いいのはテレビなどのメディアの情報だけでなく実際に自分の目や耳で確かめることだが、全てを確かめるわけにもいかず嘘を見抜くのは至難の業だ。

ガンが消えるという広告を新聞でよく見かけたが(最近は新聞を見てないので知らない)、あんな明らかに「嘘、大げさ、紛らわしい」広告をよく載せるなと子供ながらによく思っていた。もし本当にものすごい効果の新発見なら世界的ニュースになってるかノーベル賞ものだ。

なぜテレビ局は消費者金融のCM規制に反対するのか?なぜ新聞はガンが消えるという広告を平気で載せられるのか?答えは簡単。マスコミなんて「広告・宣伝媒体」にすぎないから。民放は無料で番組を放送してくれる慈善団体じゃない。広告収入あってこその民放でそのために番組を作る。そう考えると広告主(スポンサー)の意向で番組を捏造して情報操作するなんて朝飯前だろう。

現在は科学技術や情報伝達技術の発達により1人1人の知識量は大きくなっている。しかし、その知識がすべて正しいとは限らないのだ。曖昧な科学知識が増え曖昧な情報に触れる機会が多くなるなら、嘘を鵜呑みにする危うさも増すのである。

今のところネット(特に個人がやっているサイト)はテレビなどの既存メディアほど利権に絡んだ汚染は進んでないと思うが、情報の送り手の匿名性が高い上に集団意識も働いて洗脳もされやすくなっている。何のしがらみもない個人が情報を唯一発信できるネットというツールの汚染が今後も進まないことを望むが、それとは別に「嘘を嘘と見抜く力」もいっそう必要になってくるだろう。(やっぱりここはひろゆき落ちで)


◆洗脳という言葉による洗脳
http://www.wakhok.ac.jp/~saitoh/mind-1

「統一協会の素顔」のなかで洗脳は「新しい思想や考え方を繰り返し繰り返し吹き込み(サブリミナル効果)、それを無条件で最高のものとして受け入れさせ、それ以外の考え方を捨てさせること。批判精神があっては成立しないので、自分が最高のものとして受け入れた思想に対しては「なぜ?どうして?」の疑問まで消滅し、その思考に関する限り検討を加えることは一切できなくなる。」というように定義されている。統一教会ではこうした洗脳を5段階で行い、これを「スリカエ5段階洗脳方式」として提示されている。

 原理に触れるきっかけは、多種多様である。それらは漠然とした不安、空白を抱える青年のニーズに答えるかにみえる。例えば、生きる目的を知りたい、自己啓発をしたい、温かい人間になりたい、芯の強い人間になりたい・・・といったニーズである。だれもが一度は真剣に考え、悩み、誰かに導いてもらいたい、と思うようなことであり、サークルでこれらについて考えましょう、と誘われればついていってしまう人もいるだろう。そして、サークルに一足踏み入れると、次のような段階をふんで洗脳される。

  《スリカエ5段階洗脳方式》
 1.サークル
 2.聖書の学び
 3.原理講論
 4.文鮮明
 5.霊界

〜スリカエの経緯〜
 5→4 “霊界”が文鮮明をメシヤと認めている。神も文鮮明によって救われた
     い。切望している。だから文鮮明はメシヤである。
 4→3 この文鮮明によって公認されている『原理講論』に間違いのあるはずが
     ない。
 3→2 だから聖書は、『原理講論』に示されているように読めばよい。聖書は
     原理を理解する上での補助的教科書にすぎない。
 2→1 サークルは、2の段階にもっていく有名無実、実体のない釣る餌である

 というように、洗脳し、スリカエによって統一教会の信義を信じ込ませている。主観的に思い込むことによって、考えることを放棄させられている。“洗脳”とは、思い込みと実感から出発した確信である。思い込みは“実感”によって強められる。活字となったものは疑わないという習慣が人にはあるため、『原理講論』をもっともらしい本として丸暗記し、のめりこみ活動と生活のなかで、矛盾を乗りこえ“実感する”ことによって“洗脳”はますます磨きがかけられ、確信に至るとしている。

 “洗脳”にたいする処方箋として著者は、洗脳の最大の敵は「なぜ、どうして」であるといっている。しかし、一度足を踏み入れると、信者は、「考えるという行為は罪」、考えることは、物事をつきはなして客観的に批判的に眺め、理論と実証で検討することで、批判の目は疑いの目である。疑うことは不信仰になり神への反逆となる。だから彼らは罪を犯すことを恐れて考える権利を放棄してしまうのである。

 いちど足を踏み入れる、その前に、我々は世の中のさまざまな事象にたいして「なぜ、どうして」と自分自身で考え、自分自身の見解を打ち出していかなくてはならないのだろう。そうすることによって、あらゆる思想に“はまってしまう”ことを自分で防御していかなくては、世の中の情報に踊らされてしまいかねない。

 統一教会の信者とその家族によるトラブルのケースのいくつかが「統一教会の素顔」の中に現在家族が入信して困っている人たちのために、という形で紹介されていたのだが、私にとっては、問題が自分のものとして捉えにくかったので今年の3月頃から起こったオウム真理教の事件から洗脳ということを私なりに考察してみたい。

 オウム真理教が引き起こした一連の事件から洗脳という言葉が取り沙汰されているが、我々は今、洗脳という言葉によって洗脳されてはいないだろうか。

 洗脳という行為によって信者はその生涯において獲得した信義、思想を消し去られ、かつてそれらが存在した心の真空にオウムの教義を詰め込まれた。そのうちの何人かは罪さえも犯した。果たして洗脳とはオウム真理教社会にのみ存在しているのか。

 オウム真理教にいわゆる「よくできる」若者が多かったことは周知の事実である。彼らはオウム真理教においてだけでなく我々の最も身近にある洗脳、管理教育においても洗脳のより良い受け手だったのである。

 フーコーは主体化するということは服従する事だという。学校教育において生徒は教師に内面を打ち明け、内面までをも管理される。国家・社会の規範に基づいて主体形成、自我形成を促される。生徒はコントロールしやすいようにコントロールされるが、生徒を管理している教師も結局は国家権力によって管理されている。管理教育や両親によって自分で生き方を選択したり、考えることを去勢された人間は無意識的に洗脳を待っている。義務教育という洗脳に疑問を感じる、あるいはその呪縛を解かれた時に彼らに限らず我々人間は洗脳を自ら欲する存在になりつつあるのかも知れない。

 我々人間は社会的動物であるがゆえに生まれたときから否応無しに常識、慣習といった社会のフィルターを通し、社会適応という名の下に洗脳される。個々人の集まりである社会集団は、程度の差こそあれ組織的集団であるから洗脳は必要なのである。管理教育とは社会に存在している洗脳の一例にすぎないのだ。我々は「洗脳」という言葉を表層的、現象的にとらえることによって洗脳されずに、日常生活に洗脳が存在しているという事実、そして自分自身が多かれ少なかれ洗脳されていることを認識すべきである。さらに洗脳を自己の責任で分析、判断する力を身につけ、それを受けるかどうかを選択していかなくてはならない。

 参考文献:「統一協会の素顔〜その洗脳の実態と対策〜」川崎経子著 教文館

(私のコメント)
昨日はテレビ局とヤクザと政界との癒着問題を書きましたが、何よりもスポンサーとの関係がテレビ局とっては一番重要だ。テレビ局とっては視聴率さえ高ければコマーシャル枠が高く売れるから、視聴率稼ぎに夢中になる。亀田選手の試合も視聴率が50%近く取れるからTBSのドル箱になった。

しかし最近は景気の低迷でテレビ局の営業も厳しくなり、最近はサラ金の会社のコマーシャルや外資系保険会社のコマーシャルが増えてきた。いずれも社会的に顰蹙を買っている業界ですがテレビ局も背に腹は代えられなくなっているのだろう。

コマーシャルはスポンサーが広告代理店に大金をかけて製作させて放送されるものだから、視聴者に訴えかけようとありとあらゆるテクニックを用いてコマーシャルは作られている。そして何度も何度も見ているうちに商品の信用性は高まってゆく。テレビでCMを流すだけで信用が増してゆく。

ホリエモンなどがテレビによく出たのもライブドアの知名度と信用を増すためであり、それが株価などにも反映した。これはコマーシャルのみならずニュース報道も一種のコマーシャル的な効果を持つものと言うことも出来る。だからこそテレビ局は高い見識と中立性と公正さを求められる。

小泉首相が毎日テレビに出るというのも、テレビの政治利用の手段であり、只で全国ネットのテレビに毎日3,4分出るというだけでも、数十億円のコマーシャル効果であり、上手く利用すれば政権の支持率も高められる。このように政治のテレビ利用の工夫は年々高くなってきており、内容は計算しつくされてきているようだ。

このような状況だからテレビコマーシャルもニュースやワイドショーなども、スポンサーや様々な政治勢力に利用されているのではないかと言う疑いの目を通してみないといけないだろう。だからテレビのニュースキャスターやコメンテーターの見識の高さが要求されるのですが、亀田選手の世界タイトルマッチを見ても公正中立の世界とはかなりかけ離れた放送をしている。

テレビ局の放送が巧妙になるにつれて視聴者も騙されないように見なければならない。さらにカルト宗教の信者やヤクザと深い関係のあるテレビ局員が紛れ込んでいたら視聴者はとんでもない番組を毎日見る羽目になってしまう。一番酷いのがTBSですが、カルト宗教の信者やヤクザの巣窟になっている。

テレビ局のみならず政界も統一教会やヤクザと深い関係のある議員がたくさんいてその親分が政権派閥の会長をしている。亀田の世界タイトルマッチのテレビ中継はその意味で象徴的な出来事なのですが、もっぱら試合結果の方にだけ関心が高まっていますが、政界のボスとヤクザのボスがリングサイドで席を並べて見ているという光景は寒気がする。

安倍官房長官へのサブリミナル報道も統一教会への祝電報道もカルト宗教が政界に深く浸透している事を伺わせますが、献身的な洗脳された美しいい女性信者を使って政治家を凋落することは山崎元幹事長の一件でも明らかだ。

確かに政界もマスコミもヤクザやカルト宗教団体の助けを借りれば何かと都合がいい。しかしそんな事をしていればマスコミは視聴者に見放されるし、政治家は有権者から見捨てられるだろう。それは既に起きておりネットからの非難が続出している。今のところはネットはマイナーなメディアだからマスコミも無視できるのだろう。

しかしネットも玉石混交でありどれが玉でどれが石だか分からぬ段階ですが、マスコミとは違って公正中立ではなく疑って見てから選別すべきだろう。しかしテレビや新聞よりも信頼できるブログやサイトも出てきて、ニュースはネットでしか見ない人も増えてきている。

いずれにしろマスコミに洗脳されないためには「なぜか?どうしてか?」と考える習慣を身に付けることだ。最近のテレビ報道を見ると考えさせずに結論だけを押し付けてくることが多い。テレビは報道機関と言うよりも広告宣伝媒体でしかない。それは教祖と信者の関係に近くて、疑問を持つということは神を疑うことであり、テレビを神としてしまうことになる。それは間違っている。

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