★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評3 > 398.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060804k0000m070136000c.html
これほど物議を醸したボクシングの判定は近年ない。亀田興毅選手(19)がフアン・ランダエタ選手(27)=ベネズエラ=に判定勝ちした世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦(2日、横浜アリーナ)。中継したTBSには「判定に納得がいかない」など5万件を超す抗議電話やメールが殺到。日本プロボクシング協会や亀田選手の所属する協栄ジムにも抗議が相次ぐなど、異常事態になっている。
平均視聴率が42・4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)という数字が示す通り、普段はボクシングを見ない人も観戦した。多くの視聴者は亀田選手が最初にダウンし、最後はフラフラになるという試合経過と判定結果の落差に驚いた。
この落差の原因の一つには世界戦で採用されている採点システムがある。「ラウンド・マスト・システム」といい、なるべくラウンドごとに優劣をつける方法だ。わずかな差のラウンドも、明確に差があったラウンドも、同じ「10対9」。引き分けを防ぐため採用されたシステムだが、試合全体の印象と採点結果が異なるケースが出てくる。賛否は分かれており、国内では採用されていない。
私は学生時代、ボクシング部だったが、プロ経験はない。それを承知で私の採点を公表すれば、115対112でランダエタ選手の勝ち。審判の一人、グスタボ・パディージャ氏(パナマ)と同じだが、ラウンドごとの内訳は4ラウンドも違っていた。
元世界王者でも、ガッツ石松さんのように「7点差でランダエタ」と見る人もいれば、輪島功一さんのように「引き分け」と見た人もいる。記者席でも大半はランダエタ選手を支持したが、「亀田勝ち」と見る記者もいた。元世界王者の浜田剛史さんは「審判がランダエタの右ジャブを(有効打と)評価したかどうかが判定が割れた理由」と解釈する。中盤の亀田選手のボディー攻撃を評価すれば、亀田選手の採点は見た目ほどひどくはなく、2〜3点差と接近していたと思う。
誤解を恐れず言えば、採点競技に「偏っている」との批判は付き物だし、地元選手に有利な「地元判定」は程度の差こそあれ、ボクシングなど関係者であればある程度は織り込み済みといえる。私が見てきた中にも、今回以上に不可解な判定はあった。ただそれでもやはり、今回の「ランダエタ有利」は動かないと思うし、「不可解」との印象はぬぐいきれない。
ボクシングでは、試合役員の諸費用などは通常、興行主が負担する。買収するわけではないにしても、審判の心理に何らかの影響がないとは言い切れない。
今回、亀田選手が「ベルトはおやじに渡したい」と発言したことを受けて、WBAは亀田選手の父史郎トレーナー(41)に対する特製チャンピオンベルトを事前に用意し、試合後にプレゼントした。こんなことをすれば、「亀田寄り」と指摘されてもやむをえない。
問題は、こうした興行のあり方や地元判定を、さほど「おかしい」と思わなくなっているボクシング界の感覚のまひだ。この点は私自身も自戒を込めて思う。
ボクシング界で、亀田選手は特別な立場にいる。アマ時代から父とともに「亀田3兄弟」としてテレビに取り上げられ、人気が先行した。人気低迷のボクシング界の「救世主」的な受け止め方をされる一方で、下り坂の外国人選手ばかりとのマッチメークで、実力に疑問符が投げかけられてきた。そして今回の判定−−。「最初からシナリオがある茶番劇で、『作られた王者』ではないか」と怒る人が出るのも当たり前だ。
しかも従来のファン以外を巻き込んでブームにまでなっている亀田選手がこうした微妙な判定で王座を獲得したことで、ボクシング自体が疑惑の目にさらされてしまった。
ボクシングで久々に国民的関心を呼ぶカードだったからこそ、誰もが納得できる判定でなければならなかった。日本人世界王者第1号・白井義男さん(故人)の防衛戦で「白井負け」の採点をした日本人審判(当時は3審判とも日本人)の自宅に「非国民」とカミソリが送られてきたという。今は国民意識も変わり、何より公正さが求められている。興行主に配慮するような審判の意識は一掃しなくてはならない。もっといえば興行のあり方自体を見直していかないと、信頼回復は難しいと思う。ただ批判がこれほど集中するのは、ボクシングがまだ「ショーではなく、スポーツ」と見られている証しでもある。今なら間に合う。
最後に一つ。判定に関して亀田選手に罪はない。この苦い経験を糧に、真の王者に成長してほしいと願わずにはいられない。
(運動部)
▲このページのTOPへ HOME > マスコミ・電通批評3掲示板