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□商業主義の行く先の一例 [Hold up the RED CARD against Mr. Kawabuchi!]
http://redcardkawabuchi.seesaa.net/article/21863401.html
2006年08月03日
<コラム6> 商業主義の行く先の一例
今回はサッカーから離れてみよう。昨日、ボクシングでちょっとした「事件」があった。
亀田興毅]立ち上がりにダウン 判定に疑問の声も
◇ガッツ石松さん「まいったね。なんで」
テレビで観戦した元WBCライト級チャンピオンのガッツ石松さんは開口一番に「まいったね。なんでこの人が勝ちなの」と判定に不満を示した。ガッツさんの判定では、ランダエタが7ポイントもリードしていたという。
そのうえでガッツさんは「亀田兄弟は人気があるかもしれないけど、この試合で勝てるのなら、ボクシング界は何をやっているのかと思われる。日本人は立っていれば、チャンピオンになれるの? 全世界のボクシング関係者に見せて、判定してもらえばいい」と首をかしげた。さらに「日本のボクシングはタレント養成所ではない。これがまかり通るなら、僕はボクシング関係の肩書は何もいらない」と怒っていた。
この試合を見た訳ではない。しかし、半ばタレントと化した亀田選手への判定をめぐってかなりの反響があるようである。この試合、電通がプロモーションを行っているのも日本サッカー協会と同じである。
選手の人気と儲けのためには、どんな八百長でもやるというなりふり構わない風潮をつくり出しているのが電通である。トリノ五輪ではアイドル化したタレント選手が惨敗であった。唯一、マイペースで望んだ荒川静香選手がメダルを勝ち取った。すでに商業スポーツは純粋な意味での競技という点から見て限界である。つまり、竹中総務大臣に代表されるような、「儲かっている人が頑張っている人」というのが、少なくともスポーツでは否定されつつあるのである。
その結果、ついに八百長疑惑まで生まれてしまった。金の為なら審判も買収する。たかがスポーツと言われるかもしれないが、スポーツこそフェアプレーの精神を貴び、人々の模範になるものはない。ジダンの頭突きが問題視されるのも、そういう視点があるからである。
今回の騒ぎにもう一点共通する点がある。それは川淵キャプテンの再選のプロセス同様出来レースであるという点だ。つまり、日本サッカーは単に商業主義で選手のタレント化によるレベル低下のみならず、それが八百長体質を生み出しているという点である。
世間では「実力があるんだから、多少の汚い所には目をつむるべき」という意見もあろう。しかし、実際には汚い所を正当化すれば、人気はもちろんのこと、実力も低下してしまうのである。
ジダン事件については、「(何を言ったか)事実が判明していない」という不満の声もある。しかし、一方でケジメをつけている。それに対して、日本サッカー協会は、W杯の結果の総括も、失言問題も、さらには問題あるといわれる協会内部の体質にもケジメがつけられていないのである。
川淵キャプテンが責任を取らないというのであれば、それも結構だ。だが、取らなくても、取りたくなくても、取らざるを得ない日が必ず来るものなのである。公益法人を利用して儲けようとする限り。
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