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□朝日新聞と東京大学の緊密な関係 [JANJAN]
http://www.janjan.jp/media/0607/0607278610/1.php
朝日新聞と東京大学の緊密な関係 2006/07/29
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地方在住の市民記者である私は、4月25日付『JanJan』「私はこう思う」欄で、「朝日新聞に見る全国紙の東大偏重と日本の教育」と題して投稿した。そこでは、特に朝日新聞社発行の各種週刊誌における東大特集の多さと、それが日本の教育に及ぼす弊害について、私見を述べた。
しかし、「やはり!」と言うべきか、朝日新聞社は、一介の市民記者の批判に動じる筈もなく、その後も東大偏重報道を続けている。例えば『週刊朝日』は、「一流校に入る」と題する臨時増刊号を7月3日に発行。この増刊号ではいくつかの特集を組んでいるが、相変わらず東大に強く偏った記事が満載で、たとえば「東大合格者100人の家庭力」、「難関私立(中高一貫校のこと、市民記者注)でなくても東大に合格できる」などと。
あるいは『週刊朝日』7月28日号の特集【主要18大学の「入りたい」VS「入れた」会社ランキング】。『アエラ』7月31日号特集「一流校をあきらめない」、等々。これら朝日新聞社系週刊誌と他の新聞社系とを比較しての際立った差異は、朝日系がとかく学歴にこだわり、東大を別格的に扱う特集記事が著しく多い点にある。
そして最近の極め付きは、7月25日の朝日新聞朝刊の一面に「朝日新聞と東京大学が、今後5年間にわたり連続国際シンポジウム「知の拠点サミット」を共催して、世界の主要大学の学長らを東京に招いて開く」という社告が出ていたこと。
今回に限らず今までも、朝日新聞は、他大学と比べて圧倒的に東大とは緊密な関係にあり、例えば2003年度より、朝日新聞創刊25周年記念事業の一環として、東大法学部に寄附講座「政治とマスメディア」を開設するとともに、東大―朝日新聞共同世論調査を行ってきている。
市民記者が問題とするのは以下の点である。長い間、日本の教育の混迷が叫ばれてきたが、その大きな原因のひとつが、「国家の意思」としての、文部科学省によって助長されてきた東大を頂点とする日本の大学のピラミッド構造と、東大の別格性の証拠としての中央官庁での圧倒的な東大閥、そして中央官僚の天下りを含めての日本の政―官―産―学―報道からなる「ペンタゴン構造」の存在。これが、日本の親たちをして、小学時代からの受験地獄へと自分の子供たちを追い立てている元凶であり、最近頻発する、教育熱心で裕福な家庭における受験にまつわる親殺し事件、子殺し事件の原因ではないか?
新聞社といえども民間企業であり、「儲け」を至上命題にせざるをえないのはわかる。しかし、新聞を含めマスメディアは、その存在の公共的重大性から、他の民間企業に比べて種々の優遇措置を受けている、と聞く。読者からすると、新聞は本来、国家権力の監視に怠り無く、権力から市民を守り、市民の「幸せ」の増進に向けて努力することが求められているのではないか?決して権力と同じ側にいてはいけない筈だ。
権力は中央集権を好む。権力にとっては、管理の必要上、日本の諸組織はそれぞれピラミッド構造であることが望ましい。従って、日本の大学も、ピラミッド型が望ましい。一部の裕福で教育熱心な家庭に限られるとはいえ、ピラミッドの頂点に向けて親も子も死力を尽くす姿は、権力にとっては、結果として世界に伍していける人材の育成につながる、という意味で、また、自分もかつて受験地獄を勝ち抜いてきた結果として権力側に立てた、という意味においても、むしろ歓迎すべきことなのだ。東大を頂点とする日本の大学のピラミッド構造の維持と更なる鋭角化は、従って「権力の意思」である。そういう意味で、朝日新聞と東大の緊密な関係は、朝日新聞が、市民の側ではなく権力の側に立っていることを示す。
更に、朝日新聞が、その設立の経緯からして日本の国家権力と強く結びついている大学である東大だけに肩入れすることは、別の視点で見ると、世界レベルで見たときの日本の大学の低い研究能力に鑑み、他の全ての大学を切り捨ててでも、東大だけでも世界に伍しうる日本の唯一の高等教育研究機関にしたい、という、いわば「国家の意思」と同じ視点に立っていることを意味する。
しかし、こういう社のいかなる企画も、決して予期したとおりにはならないだろう。「一般」を切り捨てて「特定のエリート」のみを優遇することは、単に裸の王様群をつくるだけで、裸の王様の間では競争が無くなり、なあなあの仲間褒めが横溢し、権力が本来求めていた筈の「国益」の低下を更に加速するだろうことは、既に長年似たようなエリート育成法を実施しているフランスにおける科学技術が、それをやっていないアメリカ、ドイツ、イギリスなどと比較して低迷していることを見れば、一目瞭然であろう。
それに、そもそも東大は本当に日本の「知の拠点」なのか?市民記者は、高校まで東京で過ごしたあと、憧れてある地方大学に入り、今、研究を職業としているが、30年ほどの研究生活で、率直に言って、東大出身の研究者で筆者の研究分野で尊敬に足る大きな成果を挙げた人物を知らない。
これは、中には東大出身者がやらない分野もあるさ、とか、お前の分野は世界が血道をあげて競争しているような重要な分野ではないからさ、とか、お前が井の中の蛙で、広い研究分野の本当の最前線を知らないためさ、とか批判は何とでもできようが、今までに欧米の専門誌に90ほど自分で論文を書いてきて、最近、日本人としてはかなり珍しいことと思うが「自分の仕事「だけ」の総括論文」をイギリスから出版し、そこそこの専門家にはなれたかな、と自負している私の個人的な感想は、そうである。
従って、朝日新聞が共催する「東大「だけ」の「知の拠点」」シンポジウム企画は、これはお笑いだ。私に言わせてもらえれば、日本の教育や研究が低迷しているとすれば、それは「大学間で競争がなく、ぬるま湯につかっていて、世界的な競争から日本の大学が抜け落ちていた」ためではなく、「東大だけを優遇し、東大に入ったことで人生の目標を達成した、と考える多くの裸の王様を量産し、その連中が日本の権力を構成し続けた」ことによる日本の高等教育の劣化現象による、と確信する。
研究評価の指針のひとつである日本の競争的研究費配分のやり方も、アメリカなどと比べて全く公正さに欠け、満足なチェック機構がなく専門分野のボス教授の好き勝手、といって言いすぎではない。東大出身教授がボスになる確率は高く、これが日本の他の研究者の意欲を更に低下させてもいる。最近早稲田大学で起こった研究費不正処理事件も、東大出身のボス教授を取り込むことで研究費配分率を上げたかった大学当局のやり方が裏目に出た事件である。
最後に、市民記者がマスメディアに望むこと、それは
(1)これ以上東大を偏重することで、子供たちに「日本の支配階層は東大出身者であり、それになれなかった人間は人生の落伍者」と信じこませ絶望させるような、言い換えると、教育における「勝者」(東大)とその他大勢の「敗者」(他大学)間の峻別を目指している,としか見えない朝日新聞が現在やっているような動きを批判し、子供にとって進路はいくつも用意され、たとえある進路で挫折しても、別の路線に容易に乗り換えうるような、そういう「日本人として生きてて良かった、と死ぬまで夢を持ち続けられる人生」が可能な社会になるように支援すること。
(2)中央官庁がなぜかくも圧倒的に東大閥なのか?そもそも公務員試験は本当に「公正に」なされているのか?また、官僚の天下りはなぜ無くならないのか?こういった問題をこそメディアは追求して欲しい。
(3)日本ではマスメディアの大半が、東京の全国紙のどれかの系列に入っており、その結果として、情報が極端に東京発に偏っている。そもそも国会議員は村会議員より偉いのか?新聞記事で、地方ニュースは世界ニュース、あるいは国レベルのニュースよりも下に位置づけられるべきか?かつて市民記者が欧米で見た多くの新聞の第一面は、しばしば全国ニュースではなく地方ニュースであった。それに、そもそも全国紙の本社が全て東京にある必要性が、市民記者には判らない。全国紙のA社の本社は名古屋に、B社の本社は仙台に、であってもいい筈。日本社会における「地方の衰退と東京の一人勝ち」という悲しい現実は、マスメディの東京一極集中と密接な関係にある。朝日新聞の東大偏重もこの延長線上にある、とみてよかろう。
(土井彰)
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http://www.asyura2.com/0601/hihyo3/msg/140.html
投稿者 white 日時 2006 年 5 月 25 日 16:44:02: QYBiAyr6jr5Ac
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