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[日中戦争を煽った新聞が仕掛けた悲劇「爆弾三勇士」]--(反米嫌日戦線「狼」より)
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投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 6 月 18 日 22:35:02: syFUAx3Wc1pTw
 

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2006年06月17日

[日中戦争を煽った新聞が仕掛けた悲劇「爆弾三勇士」]--(反米嫌日戦線「狼」より)


「爆弾三勇士」の勇姿。
いまも靖国の社頭に壮麗な青銅のレリーフとなって残され、見ることができる。

死を恐れない「愛国心」にあふれた、3名の軍神美談は、新聞が煽った国民の熱狂が醒めると共に、誹謗中傷の対象とされてしまった……

ホリエモンや村上ファンドを時代の寵児と持ち上げ、逮捕されるとなると、そのことを忘れて、叩きにまわる。

いまも、マスゴミに継がれている、負の遺産の原点が「爆弾三勇士」にある。
1932(昭和7)年1月18日、上海の日本海軍が中国軍と市街戦を開始。
(第1次)上海事変である。

当時、上海では、日本の侵略に対して、日貨排斥、日本人居留民との対立など排日運動が展開されていた。
中国の上海市の路上で、通行中の日本人僧侶5人が中国人に狙撃され死傷者が出た。これが、端緒となって、海軍が出動したと言われているが、実は裏で関東軍が動いていた。

満州事変に対する諸外国からの批判をかわすために、関東軍の板垣大佐が上海公使館付陸軍武官補佐官であった田中隆吉に仕組ませた謀略だったのだ。

1965(昭和40)年4月8日放送のテレビ番組「私の昭和史」(司会三國一郎)にて田中本人が自分の仕出かした謀略であったと言っている。

関東軍は資金として2万円を田中に渡した。
田中は鐘紡(現カネボウ)上海出張所より10万円を借りて、買収した中国人に日本人僧侶を狙撃させたのである。
実行者は憲兵大尉の重藤憲史と「東洋のマタ・ハリ」川島芳子であった。
1月20日にはナイフや棍棒で武装した特務機関の右翼団体に死傷者を出す騒ぎを起こさせた(三友實業社襲撃)、というのが真相である。

当初、日本側は、これまでの支那軍閥と同様、支那人が簡単に遁走すると予想していたが、中国第19路軍の前に、日本海軍陸戦隊(2000人)は敗れ、空閑昇陸軍大隊長までもが捕虜にされる始末(生きて俘囚にされたのであった)。

あわてた日本は、陸軍を増派して戦闘中止、5月5日、停戦協定に持ち込んだのである。

停戦を急いだのは、苦戦の上に、欧米列強と国際連盟からの停戦勧告を受け、事実上の日本植民地である「満州国」デッチあげのすぐ後で、これ以上、国際的に孤立するのを恐れたからであった。

さて、その上海事変の最中の2月22日、上海市呉淞河近くの廟行鎮(びょうこうちん)で、中国軍陣地の鉄条網を破壊するため、3名の工兵が爆弾と共に突撃して戦死した。
中国侵略戦争を煽った新聞は「帝国万歳と叫んで我が身は木端微塵」「肉弾で鉄条網を撃破する」「忠烈まさに粉骨砕身」と報道。

義援金、毎日新聞は三勇姿の歌の歌詞を募集した。

選ばれたのは与謝野晶子の夫、与謝野鉄幹の作品!

 新聞やラジオ、映画や演劇にて「爆弾三勇士」として賞賛され、記念碑が建ち、教科書にも掲載された。

爆弾三勇士とされたのは、作江伊之助、江下武二、北川丞の3名で、久留米第12師団の中から編成された混成第24旅団の工兵1等兵であった。

上海事変謀略工作の首謀者田中武官は、前述のテレビ番組「私の昭和史」にて「爆弾三勇士」の真相も語っている。


司会者であった三國一郎の著書「戦中用語集」(岩波新書)によれば、真相は、3人の捨て身の美挙ではなく、指揮官の不覚の過失によるもので、廟行鎮の中国軍の鉄条網を爆破するための爆薬の火縄の寸法を必要な長さ1メートルの半分に計算してしまったための事故死であった、という。

そしてその過失を隠滅し、美談に作りかえたのは当時の陸軍大臣荒木貞夫であり、「爆弾三勇士」の命名者も荒木陸相であった、と田中はテレビカメラの前で堂々と語った、というのだ。


作られた美談「爆弾三勇士」には、醜いオチがある。
「戦争と差別と民衆の歴史」によれば、軍部や新聞によって軍国美談の英雄に祭り上げられ、戦意高揚に利用された彼らに、やっかみ半分の批判が登場する。

3名の生い立ちや職業が炭鉱夫であるとか、さらには、戸籍まで掲載して、1名には「さすが士族」(当時からサムライとは卑怯な輩に好まれた表現だったのだ)と延べ、他の2名には黙する差別的な内容の本が出版された。

そして、3名の中に部落出身者がいるとの誹謗中傷が流され、「部落の者でもあれだけの献身ができる」と戦意をそそり、あるいは「部落の者を軍神として拝めるか」などと差別されたのだ。

遺族は、「轟く武名、輝く偉勲」と持ち上げられたが、ブームが去ると卑しい「賎民」だったとして、無残にも捨てられていったのであった。

3人は、日支事変「肉弾三勇士」として、いまも京都市西本願寺の墓に一緒に葬られている。

「軍国美談はこうして作られた」
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040228_bakudannsannyuushi.pdf

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