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朝日新聞に見る全国紙の東大偏重と日本の教育 [JANJAN]
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投稿者 white 日時 2006 年 5 月 25 日 16:44:02: QYBiAyr6jr5Ac
 

□朝日新聞に見る全国紙の東大偏重と日本の教育 [JANJAN]

 http://www.janjan.jp/media/0605/0604283528/1.php?PHPSESSID=2e668180f9c871ce3ae09b1231373197

朝日新聞に見る全国紙の東大偏重と日本の教育 2006/05/25
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 2月9日付けの朝日新聞に、「現役の東大生が書いた解説本の出版が相次いでいる」という特集記事が掲載された。そこでの説明では、「東大は全国ブランドだから」。

 確かに昔から東大は全国区であった。しかし、東大生あるいは東大卒というだけでもてはやす風潮が新聞、テレビなどで最近ますます目立つようになっている。単に東大生あるいは東大卒というだけでちやほやされている「タレント」を、あなたもすぐに何人も数え上げることができるだろう。

 ライブドアの堀江氏も、仮に彼が東大と無関係だったらあれほど「マスコミの寵児」になれたかどうか。本人自身が言っていたではないか、「東大に入ったことが大事なのだ」と。朝日を筆頭とするいわゆる「全国紙」に、識者あるいはコメンテーターとして登場する専門家の圧倒的多数は東大の先生あるいは東大卒の先生、そして東京あるいは東京近郷の大学の先生ばかりである。日本の全国紙でもてはやされる「学術的権威」を構成しているのは彼らであって、地方在住の学者ではない。

 市民記者は名古屋に住んでいるのだが、朝日新聞名古屋版の1月21日付け夕刊9面のセンター試験の写真を見て、つくづく朝日は東大がお好き、と痛感させられた。そこでは東大と名大での入試風景が掲載されていたのだが、勿論、東大の写真は全国区で全国に配信し、名大の写真は東海地区のみの配信である。

 朝日は各地の「本社」(と称する支社)でこのような構成の新聞を発行している。他の例としては、去年10月10日付けの週刊朝日のトップ記事は「東大対医学部、誰が勝者か」。あるいは最近の例では、週刊誌「アエラ」2月6日号の特集記事のひとつは、「受験家族必読」と題して「東大脳つくった家庭力」。

 なんと、東大に入学できるような人間にはそれに相応しい家庭があり、そういう家庭がそういう「東大脳」をつくっている、と。「週刊朝日」3月31日号では、恒例の東大を別格とする大学合格者一覧記事とともに、特集「「東大脳」育てるピアノと専業主婦」。どうも朝日は「東大脳」ということばを普及させたくてたまらないようだ。

 さらに「週刊朝日」4月21日号ではまたもや特集「医学部vs.東大」。「アエラ」5月1・8合併号では特集「東大生の6割は美人である」。そして「アエラ」5月29日号では筆頭特集として、「一人勝ちの虚実」という副題のもと「「最強東大」の品格」。このように、特に朝日の週刊誌上では、ほぼ毎週のように、こういう東大だけを別格扱いする特集記事を掲載している。

 その一方で、新聞紙上では、「東大と入試」のテーマで二人の記者が話し合った、として、他人事のように「受験の世界で一種の東大ブームが起きている。週刊誌の力の入れようはすごい。」と。そして、その原因として「日本社会で実力主義が広がり、その結果として東大志向が進んでいる」と結論付けている(4月23日「あんてな」欄)。

 これはお笑いだ。市民記者から言わせてもらえば、日本社会で東大志向がますます進んでいる、あるいは日本の大学の中での「東大の一人勝ち」が本当に進行しているとすれば、その原因の大きなひとつが、文部科学省をはじめ中央官庁の幹部が東大出身者で占められ続けている、という異常さとは別に、マスコミのオピニオンリーダーたる朝日新聞社による上記のような東大偏重の編集方針にある、つまり朝日本紙のたとえば4月23日の記事は、朝日のマッチポンプの結果、と言ってもいいのではないか?

 マスコミの役目は、権力へのたゆまぬ監視と、国民がより幸せな生活を送れるように助力することだと思うが、朝日が日常的にやっている東大偏重記事で、国民は本当に幸せになれるのだろうか?しかも国民自身が、こんな報道に対してちっとも異常と感じていないようなのも情けない。

 しかし、こんなことは、「社会の公器」あるいは「ジャーナリスト集団」を自称するマスコミとしてはおかしくないか?朝日を筆頭とするマスコミの「東大偏重あるいは別格化」は、日本の教育に重大な害悪をもたらしているのではないか?東京都区内では小学6年生の多くが(私立)中学受験あるいは中高一貫校受験するという。体をつくるべき子供時代に、眼や体を悪くしてまでしてなぜ机にしがみついて勉強しなくてはならないのか?

 理由は簡単だ。親は自分の子供が将来、生活に困らないようにとそれのみを願っている。そのためには、出来れば東大に入ってほしいのだ。東大に入ればバラ色の将来が約束されるわけではないが、バラ色の将来の「可能性」が飛躍的に高まることを日本人の多くは体験的に知っている。

 いまでも官僚機構のトップは圧倒的に東大卒で固められ、天下りによって、普通の人間が経験できないような恵まれた経歴と普通のサラリーマンの3倍にもなる生涯賃金をうることができる。天下り先を含めて何百とある国の息がかかった組織の長の大半は東大卒だ。(参考文献:堤和馬著「巨大省庁天下り腐敗白書」講談社、2000年、ISBN4-06-210463-8)。

 東大を出れば(経済的に)恵まれた人生を送れる可能性が大である以上、親が自分の子供をできれば東大に入れたいと願うのは自然な感情なのだ。九州から北海道まであちこちに、東大合格を謳い文句に生徒を集めている中高一貫校があるのもそういう事情のためだ。

 しかし、これで日本は本当にいいのか?時間的にも気分的にもゆったりした幼少年時代を送れる欧米の子供たちと比べて、過酷な受験戦争を勝ち抜いて「エリート」になるべく尻を叩かれている日本の子供たちはかわいそうだ。

 マスコミは、東大偏重の記事づくりをやりながら、一方で他人事のようにそれを分析する。マスコミのやるべきことは、朝日がやっているように、日本における「エリート」とは東大卒なのだよ、と繰り返し繰り返し読者にアピールすることで、勝ち組と負け組の格差を広げることではないだろう。

 どこの大学を出てもいいし、早い時期に挫折を味わった子供たちには、何歳になっても人生の選択肢が複数用意されているような社会を目指すことではないのか?そして、そういう社会を目指してもっと政府を監視し続けることではないのだろうか?

参考文献:カレン・ヴァン・ウォルフレン著「人間を幸福にしない日本というシステム」(毎日新聞社・1994年)

(土井彰)

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