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知ったかぶりをするな
「知らない」と言う方がまだまし
知ったかぶりをしてその場は凌いだつもりでも、早晩ボロは出る。たまたま思いやりに欠けた意地の悪い、あるいは日ごろから敵意を抱いている人間が居合わせた日には、即座に揚げ足を取られ、とんだ赤っ恥をかくことになる。
「知らない」としか言えないのは癪だし、口惜しい限りだが、知ったかぶりを暴露されてバツの悪い思いをするよりはまだしも後味は良い。
痛恨の思い出
私は最初、産婦人科に入局した。列車や飛行機で乗り合わせた妊婦が急に産気づいたとき、とっさに赤子を取り上げるくらいの技術はマスターしておきたいと思ったからだ。ところが大学は全国の医学部を席巻した青医連運動の渦中にあって、医局にいられなくなり、体よく関連病院に出された。
医長は太っ腹の人だった。半年ほどたったとき、そろそろ外来に出てみるか、と言われた。自信はなかったが、「はい」と答えてしまった。
ある日、診断に窮した患者に出くわした。しかし、分かったようなふりをして、「かくかく」と思われるから「これこれ」の薬を出しておきますよ、と言った。刹那、横から年配の看護師Aが口をさし挟んだ。
「『かくかく』ということだったら、『これこれ』の薬はおかしいじゃないですか」
私は無論、座っていたが、立ち往生となった。恥ずかしさに顔面は紅潮し、腋の下にはぬるっとしたものが伝わった。
Aは60歳に及んでいただろう。外来看護師の最古参で、海千山千だった。日ごろから年下の看護師をいびる意地の悪い人物だったが、その矛先がよもやこちらに向けられるとは思わなかった。
Aが思いやりのある人だったら、その場は黙って見過ごし、外来が引けたところで自分の意見を述べるか、どうしても看過できないと思ったらメモにしてそっと差し出すかしただろう。
その日の外来は、私と10年も先輩のB医師の担当だったが、診察室が2つあったわけではない。一つの部屋で机を挟んで相対していたのだった。
Aは茫然自失の体でいる私を尻目に、ご丁寧にも別の患者を診察中のB医師に、
「ねえ、B先生、そうですよね?」
と、己の正当性を訴えたのだった。
私はB医師の反応にいちるの望みをつないだが、助け船は出してくれなかった。それどころか、Aに同調して、「そうだよ」と素っ気なく返したのだった。私の知ったかぶりな物言いを不快に感じていたのかもしれない。
A は、「それ見たことか」と言わんばかり、勝ち誇ったように私を見据えた。そのときだった。廊下が狭くてソファも二つあるばかり、おまけに中待合がないから、あふれた患者は診察室の入り口の受付から一部は診察室にまではみ出して、先の患者とわれわれ医者とのやり取りを眺めながら、今や遅しと順番を待っていたのだったが、突如、パニックが生じたように騒ぎ出した。
「私のカルテ、B先生に回してください」
「私も」「私も」
と入り口でカルテを振り分けていた主任看護師をせっつき出した。
私は屈辱感に打ちのめされた。患者の現金さへの幻滅、大人気ないAのふるまいへの憎悪、それにも増して、知ったかぶりをしたために大恥をかく始末に至った己の不甲斐なさを苦く苦くかみしめながら。
ただ悪夢を見ていたとしか想起されないこの修羅場からどう逃れたのか、今となってはもう思い出せない。
謙虚に教えを請うべし
ではその時、私はどうしていればこの屈辱を味わずに済んだだろうか。
言うまでもなく、あやふやで自信がなかったのだから、謙虚に上司の指導を仰ぐべきだったのだ。目の前の患者のみならず、何人もの患者が注視している中でB 先生に助言を求めればこちらの未熟さを露呈し患者の不信を買いかねない、そんな邪念が知ったかぶりに走らせたのだ。そして、思いも寄らぬカウンターパンチを食らった。
そのダメージに比べれば、いっとき上司の指示を仰ぐくらいの恥は、取るに足らぬものだったはずだ。N先生もまた、部下が謙虚に教えを請うてきたら、あのように無愛想な反応は示さなかったに違いない。
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