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(回答先: リハビリ日数制限から1年 治療求めさまよう患者 (河北新報) 投稿者 天空橋救国戦線 日時 2007 年 2 月 28 日 08:25:18)
http://blog.goo.ne.jp/bebe2001pe/e/b8c757c9d9e3714f4b854d57ef9a81ca
〈4万5000人のリハビリ難民〉
河北新報に、「リハビリ日数制限から1年 治療求めさまよう患者」という記事が掲載された。昨日「Yahoo!ニュース」の国内トピックス欄に上げられていたので、読まれた方も多いと思う(私も河北新報を取っているわけではなく、むろんそこで発見した)。記事の一部を、次に引用してみる。
【医療制度改革の一環として、厚生労働省が昨年4月、保険診療で受けられるリハビリに日数制限を導入した。ところが、日数制限後、リハビリ継続が必要な患者の受け皿となる訪問リハビリや病院外施設の整備、専門職の育成が進んでいない。このため、「リハビリ難民」とも呼ばれる患者が生まれ、治療打ち切りに対する不安や悲痛な叫びが広がっている。(中略)厚生労働省が、リハビリ患者の受け皿とみていた介護保険適用のリハビリサービスは、認知症予防や自宅に引きこもりがちな高齢者のレクリエーションが中心だ。「身体機能の回復を目指すものになっていない」と指摘する関係者は多い。(以下略)】
同記事によれば、リハビリを打ち切られた患者は全国で推計4万5000人にのぼるという(全国保険医団体連合会の昨年9〜11月の調査)。
昨年、「リハビリテーション診療報酬改定を考える会」
(※注)が署名運動を展開した。それに応じて、多くのブロガーが署名の呼びかけをおこなったことも、まだ記憶に新しい。そして44万人の署名が集まり、6月30日に厚生労働省に提出されたのだが、それから250日近くを経ても未だに厚労相は知らぬ顔である。
※注/上記の会のHPには、打ち切り被害実例の報告や、患者・家族・医療関係者のメッセージなども寄せられている。
〈75歳以上の高齢者を分離する医療制度〉
リハビリ日数制限の話を考えている最中に、ふと思い出したのは2008年度から導入されることに決まった「後期高齢者医療(保険)制度」。75歳以上の高齢者を独立した健康保険に加入させる仕組みである(むろん、それまで加入していた国民健保などは脱退)。保険料は年金などからの天引きで、厚労省の試算によると月額平均6200円ほどになるそうだ。
この制度は「医療制度改革」(!)の一環としてかなり前から検案されていたもので、政府・与党社会保障改革協議会の「医療制度改革大綱」によれば、「高齢者自らが負担能力に応じて保険料の負担をすることを基本としつつ、保険制度間の公平な負担が確保されることを目指す」ものであるという。
大雑把な言い方をすれば、医療を受ける人達の中では高齢者、特に後期高齢者と呼ばれる75歳以上の人達の割合が非常に高い。そんなのは不公平だから、彼らは彼らで別の保険制度を使ってもらおうぜ、ということである。
しかも、である。厚労省は後期高齢者医療制度において、「定額制」を中心とする方針を固めているという。 定額制というのは、病気の種類によって決められた額だけ払うというもの。ちなみに現在の診療報酬は診察や投薬などの診療行為を加算していく「出来高制」が中心で、ごく一部に「定額制」が採用されている。
定額制にすれば、大して必要のない薬まで出したりしなくなるので医療費の抑制に効果があるし、「薬漬け」が無くなるから患者にとっても大いに結構、と言われている。それはある意味で正論なのだが、問題はそれは「どんな考え方を背景にして(またはどんな考え方と結びついて)出て来たのか」である。
意見というのは、何でもそうだ。たとえば「信仰の自由は保障されるべきだ」というのは誰が聞いても納得できる正論である(納得できない人もいると思うが、まあ大多数は納得すると思う)。でも、それを「首相が靖国神社に参拝するのも信仰の自由。とやかく言う筋合いはない」という話と結びつけて語られると、ちょっと待てよと言わざるを得ない。
うーん、たとえがちょっと変かも知れない。ではこんなたとえはどうだろう。「健康管理は大切。自分の体は自分で守らなきゃね」というのは、ほとんどの人が頷くであろう正論。でも、「生活習慣病になるのは本人が悪い。自己責任なんだから、そんな病人の医療費を保険でまかなう必要はない」と思っている人が言うのと、「健康管理は大切だが、どんな病気でも、誰もが罹患する可能性はある。第一、生活に追われている人ほど健康管理だって困難なのだ。メタボリック・シンドロームだって、職業性ストレスの高い人は平均の2倍だと言うし。病気になった時は、皆で支え合うべきなのだ」と思っている人が言うのとでは全然違う。(ついでだがこのあたりの話を2月6日のエントリ
http://blog.goo.ne.jp/bebe2001pe/d/20070206
にも書いた)
〈病人や老人はお荷物なのか〉
これも変かもしれないが、言いたいことは何となくおわかりいただけただろうか。私は厚労省が後期高齢者の医療を定額制にしたがっているのは、ひとえに「安上がりにしたいから」だと思っている。多くの方が既に言われたり、新聞などでも書かれたりしているはずだが、定額制にすれば、病院側はその範囲内でなるべく安上がりにしようとするのは火を見るより明らか。むろん良心的な病院(や医療者)は大勢いると思うけれども、いくら良心的でも、自腹を切ってまで治療に当たることはできまい。いや、たまにはそういうこともあるだろうが……自腹切ってばかりでは病院が潰れてしまう。
要するに、国にとって後期高齢者は「お荷物」なのだな。いや、金と社会的地位があり、さらに政府を支持してくれる後期高齢者は別だろうが。厚労省は、さすが「産む機械」うんぬんと豪語した大臣をトップに抱く官庁だけある。子供作りにも労働にも役立たなくなった(兵士にも役立ちませんね)お荷物には、あまり長く生きて欲しくないのだろう。リハビリ日数を制限したのも、本当はリハビリテーションの必要な人達は「国家のお荷物」だと思っているからだ。
誰だって障害を持つ可能性はあるし、生きていれば間違いなく1つずつ年を取る。そして高齢者になれば、誰だってあちこち故障が出てくるのは当然の話ではないか。それを支え合うために、私達は皆がそれぞれに金を出しているのだ。ちなみに私は今のところあまり病院に行くことはなく(ちょくちょく病気はするが、たいてい2〜3日寝込めば治ってしまう程度の軽い病気だ)、健康保険料は払う一方に近い。しかしそれを惜しいとか、バカらしいと思ったことは一度もない。いつか私も大きな病気をするかも知れないし、私はしなかったとしても、母や、友人達が医療を受けるかも知れない(あ、母はもういろいろと受けているのだった。近々、白内障の手術をすると言うし)。
すべての人間が、出自や性別や年齢や、そして健康状態によって差別されない国。美しい国というのは、そういう国を言う。
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