★阿修羅♪ > 不安と不健康12 > 399.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.bund.org/culture/20061205-2.htm
フィールドワーク
自然に即した生活の危うさ
------------------------------------------
現代農法を否定する自然農法の可能性
片山義次郎
能勢アイガモ・プロジェクトで米作りなどにはげんでいる。そこから学んだことだが、現在行われている一般的な農業は、毎年土地を耕し農薬をまき肥料を与えて作物を育てている。
こうした現代農業とまったく異なる農法が自然農法だ。特色は土地を耕さないことだが、農薬も使わない。肥料も与えないのに作物は育つ。
この自然農法の創始者は福岡正信さんだ。福岡さんの著書『【自然農法】わら一本の革命』では「科学技術の農法というのものを否定した」と語っている。なぜ自然農法が成り立つのか考えてみる必要がある。
現代農法を生物や生態と言った視点から見ると、現代農法の畑や田んぼは特定の種類だけを育たせる場だ。例えば米なら米だけがつくられる。それ以外の植物は雑草としてあつかわれる。目的の植物の成長を妨げる植物は邪魔なので、除草剤や薬をまいて育たないようにする。収穫のときにはその植物だけしか育っていない。わかりやすく簡単に収穫ができるとも言えるし、目的の作物のための環境を作っているともいえる。
それに対し、自然農法は目的の作物以外の植物を雑草とは考えない。自然農法の四大原則は、不耕起・無肥料・無農薬・無除草である。自然農法という名前の通り、福岡さんであれば自然であることを田んぼや畑に求めるのだ。
ここで問題になるのは、「自然」とは何かである。何もしないで放任するのも「自然」だし、里山保全や林業のように、人の手で自然を維持するのも自然だろう。
その自然を作っているのは、動植物などが生きる環境=生態系だ。
土の中には微生物もいれば、空中には昆虫が飛び、それを餌とする小動物もいる。小動物や昆虫が死ねば微生物が分解して土に返す。そういった関係性が生態系である。
こういう関係性なしに生物が生きることはできない。生きる場所やエネルギー源(餌)が無ければ生物は生きられない。当然と言えば当然のことだ。
ここで重要なことは、人間が「自然」=生態系を選択しているということである。人間が関係しない森などに行って、なっている実などをとって生活する方法もある。しかしそんな生活では、今の人口は養うことはできない。
そこで田んぼや畑は、より多くの実りのために生態系を管理する。現代農法はその作物だけに特化した生態系を作っているのである。特化したため、薬や肥料によって補う形となり、その結果ゆがみが出てくるのだ。
豊かな生態系と自然農法
自然農法を成り立たせるためには、豊かな生態系を成立させるのがカギだ。そこでは農薬を使わないから、さまざまな虫が生息する。しかし草取りもしないからさまざまな植物がはえる。そのとき虫は作物だけを狙うことは無いのだ。虫も本来餌とする植物は決まっている。
農薬を使わなければ、そうした虫を餌とする小動物も生息できる。その結果作物の被害は少なくなっていくのだ。
さまざまに発生した植物も、枯れてそのままにすれば土地の栄養となる。虫や小動物が生息していれば排泄物を出すが、微生物がそれを分解してくれる。肥料は必要なくなるのである。
豊かな生態系ができれば、自然農は可能なのだ。 そこでの問題は、育てる作物が他の植物よりも成長できるかどうかだ。それぞれの種は自分が生き残るために成長する。つまり人間の思い通りに植物が成長するわけではない。目的の作物が生存競争に勝てる程度の生態系の管理はしなければならないのだ。
また動植物の生存は、一年の流れで決まっている。当然作物は旬の物を育てていかなければならない。
つまり自然農法の普及は、自然な流れへのライフスタイルの見直しと直結する。生態系が作り出す作物を食べると言うことは、夏には夏野菜を食べ、冬には冬野菜を食べると言うことなのである。夏に冬野菜を食べる生活から変わらなければならないのだ。
現在の農業は、消費者である私たちのニーズに答えて、現在の生産体制になっている。虫の食べた跡が無い野菜やきれいな形状をした野菜。とにかく安い野菜が求められ流通に回る。夏も冬もなく1年中同じものも求められる。
私たちの食生活が変わったとき、自然農法は真に普及するだろう。
--------------------------------------------------------------------------------
野菜づくりのために超音波防虫器を製作した
戸坂零一
畑に超音波防虫器を設置 去年の秋から、埼玉にある見沼田んぼで畑を借り野菜作りをしている。石油減耗時代における農業のあり方を考えようと、無農薬、有機肥料でやっている。大根とホウレン草と白菜を植えた。秋から冬にかけてなので、雑草もほとんど生えないし、虫もほとんど付かなかった。出来は悪かったが、掛けた手間はほとんどなかった。今年の春から夏にかけての作付けでは雑草や虫の対策が大変だった。特に虫については、私は虫を見ること自体が苦手なのである。外骨格のある昆虫や成虫の蝶や蛾はいいが、ミミズなど環形動物や、外骨格がまだ出来あがっていない幼虫段階の昆虫はぜんぜんダメだ。ミミズは地面にもぐっていてお目にかかる機会も少ないからまだいい。でも、蝶や蛾の幼虫は葉っぱの上にいるし、収穫した野菜の中にいる。環境問題はどうにかしなければと思うが、だからといって、私は昆虫と触れ合うことが好きなわけではないのだ。
いっそのこと農薬をばら撒いてやろうかと思ったが、そういうわけにもいかない。考えたあげく超音波防虫器を作ることにした。
コウモリが近づくと、蝶や蛾は捕食されないように回避行動をとるそうだ。蝶や蛾はコウモリの出す超音波を感知しているのである。調べてみると周波数帯は40kHz〜50kHzだ。この周波数帯の超音波を出すことにより、蝶や蛾を畑に近づけず、卵を産ませないようにすることはできないものか。
かく考えて、40kHz〜50kHzの発振をする回路をインターネットで見つけた。秋葉原で部品を買ってきて組み立てた。電源は太陽電池にした。低い電圧でもなるべく動くようしなければならない。ネットで見つけた回路では電源電圧は9Vだったが、ICの動作範囲が5V〜15Vだったので、6Vに変えてみた。太陽電池にはバッテリーを繋ぎ、曇りの日や夜でも動作するように工夫した。
4月下旬に茄子と水菜の種を撒いた。5月下旬に畑に行ってみると、イヤなことに水菜に小さな黒い幼虫が数匹付いていた。軍手をして幼虫たちを手でつまみ、畑の外へ放り投げた。超音波防虫器が万能ではないことが証明されてしまった。
しかし、モンシロチョウなど他の種の幼虫はいなかった。モンシロチョウなどに対しては効き目が有ったのかもしれない。その後は幼虫系の虫は見かけることはなかったし、水菜に虫はつかなかった。
茄子は7月下旬に最初の収穫をした。小振りだったが、虫は付いていなかった。虫が付かなかったのは防虫器の効果の他に、勝手に生えてきたシソの影響もあるのかもしれない。シソから出るベリルアルデヒドという物質には防虫効果があるそうだ。シソを植えるなどいろいろな方法と組み合わせれば、家庭菜園ぐらいなら農薬に頼らなくとも大丈夫だということがそれで分かった。作る野菜やその土地の生態系との関係で、よい方法を見つけていけばいいのだ。昔は誰もが各々工夫しながらやっていたのだ。
今や生態系自体もだいぶおかしくなっている。虫を食べてくれる野鳥の数が減っている。人間が野菜に付く虫を極力減らそうと農薬をばら撒いた結果、野鳥も減ってしまったのだ。その分、虫が増え、更に農薬をばら撒くという悪循環に陥っている。
見沼には昔、サギが多く生息していた。近くにサギ山と呼ばれる所があるが、最盛期には親鳥だけで1万羽もいたそうだ。ところが1960年代になって、サギ山に集まるサギの数は急激に減り、1972年からはサギはまったく繁殖しなくなった。サギは基本的に水生動物を捕食するが、中には昆虫などを常食とするものもいる。これも農薬のせいである。この先技術的解決を突き詰めていって、サギ形ロボットを作ろうかなどとも考えている。
--------------------------------------------------------------------------------
自然に即した暦(旧暦)を使っているのだけれど
鈴木 郁
数年前から我が家では旧暦のカレンダーを使用している。何年か前に旧暦に関する本を読み、日本の四季の移り変わりに即した暦は自然の季節感により近いのではと思いそうした。
さて、その感想である。旧暦は4000年位前から中国の黄河流域で使われ始めた「農暦」をもとにした暦だ。日本に入ってきたのは604年、まだ古代である。その後日本独自に改良が加えられ、明治維新後の1872年まで使われていた。
それで立春や夏至、大暑といった「暦の上で…」と言われる二十四節気や、「梅の実黄ばむ」「半夏(毒草)生ず」などという、あまり聞いたことがない七十二候などが記入されている。新暦の方が小さく書かれていたりして、時々混乱をきたすが、普通のカレンダーよりも見ていて楽しいとは言える。
旧暦は天候予測に役立ち、暑い夏や寒い冬は旧暦にしてみるとよく分かり、服飾の販売などで活用されていると、旧暦の本にはあった。
旧暦は月と太陽の運行を基にした太陰太陽暦である。月と太陽では1ヶ月の長さにずれが生じるため、何年かに一度「閏月(うるうづき)」を入れてずれを調整する。閏年は2月が1日多いのだが、閏月は1ヵ月がまるまる入り、1年が13ヶ月になる。
どこに入れるのかは二十四節気の中気(雨水、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、処暑、秋分、霜降、小雪、冬至、大寒)の日との関係で決まる。しかしこの二十四節気がいつになるのかを決める方法にも種類があったりする。それで暦上の論争や変遷が過去にはあったという。閏月がどこに入るかで、その年の夏が長くなったり、冬が長くなったりするのだ。
例えば2001年である。この年は閏月が4月であり、4月が2ヵ月ある年だった。4月は旧暦では夏になるので、夏が4ヵ月ある年だった。そして実際この年の夏は暑く、残暑が続いた。
記憶をたどると、2001年は7月から暑い日が続いていた。記録を調べてみるとこの年の東京の7月は、最高気温の平均が33度であり、平年平均の28・9度よりも断然高かった。
本には何年か続けて旧暦のカレンダーを使ってみて、実際の季節と、新暦とのずれを確認してみると良いとあったが、旧暦はそうした点で実際の季節の移り変わりを写しているような気がする。
しかし、もちろん外れる時もある。2004年には閏2月があり、春が4ヵ月ある年だった。春が長いので夏が短かく、あまり季節の移り変わりがはっきりしない年になるのかと思った。実際はこの年は猛暑だった(東京の7月の最高気温の平均は33・1度、平年平均は28・9度。8月は最高気温平均が31・0度、平年平均は30・8度)。
今年2006年は、旧暦での春は1月29日に始まる。2005年が2月9日だったことから、暖冬で春が早くやってくるのではと思った。記憶にも新しいが、今年の冬はとても寒く日本海側では記録的な大雪となった(東京の1月の最高気温の平均は8・4度、平年平均は9・8度)。
また今年は旧暦での春が早い分、夏も早くなるのかと考えられた。今年の旧暦での夏は4月28日に始まり、7月25日までとなっている。しかし今年は梅雨が長引き(6月9日頃〜7月30日頃まで、平年よりも10日ほど長かった)、7月もそんなに暑くはなく、肌寒い日もあった(東京の7月の最高気温の平均は28・5度)。
7月25日から旧暦での秋が始まっている。今年は閏7月があるので、秋の訪れが早く、かつ長いのではと考えられるが、梅雨明け後は暑い日々が続いている。その長い秋が終わるのは11月21日で、冬に入るのは遅い方だ。これは外れるのか当たるのか、どうなるのだろうか。
さて、何年か使ってみての素朴な感想だが、猛暑や暖冬、厳冬は昨今の異常気象による影響の方が大きくなっているように思う。長い年月を農耕とともに生きてきた暦だが、人間が与える自然への影響の前にズレが出るようになっているのだ。
最近のニュースで、冷害に悩まされていた北海道の稲作が好調になる一方で、九州では従来の稲の品種がうまくできなくなっているというのがあった。日本各地の平均気温が昔と比べると上がってきているためだ。日本海側の大雪も、日本海の海温が上がっているためだといわれる。日本の自然とそこに住む我々の関係が崩れつつある現状こそ憂慮すべきものだろう。
------------------------------------------------------------------------------
http://www.bund.org/culture/20061205-2.htm
▲このページのTOPへ HOME > 不安と不健康12掲示板