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プライマリ・ケア崩壊へ(米国)
インセンティブ(incentive)なる言葉、経済用語として用いる場合は批判がない。ところが、医者が、経済的なインセンティブを口にすると批判されることが多い。”
“24時間診ろ”
“医者は赤ひげになれ・ゆとりなど持つな”
“まちがいは一つも許さない”
と、医者たちの“人間の能力の限界を超越した要求”と、インセンティブ無視しつづける報道が続いている。 その結果、医者たちの、特定の領域・地域からの逃避が始まり、その分野の崩壊が始まり、特定の分野だけでなく多くの分野にひろがるおそれがある。
アメリカのプライマリ・ケアは崩壊の方向へ進んでいるらしい。日本では遅まきながらプライマリ・ケア教育が進んでいく中で、皮肉な現象である。
この図の下降甚だしいのが、米国Family Medicineレジデンシーの数である。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200609/01/42/a0007242_1235838.gif
将来的に危機感を持たざる得ない状況といわざるえまい。
・Primary Care ― Will It Survive?
NEJM Volume 355:861-864 August 31, 2006 Number 9
http://content.nejm.org/cgi/content/full/355/9/861
・Primary Care ? The Best Job in Medicine?
NEJM Volume 355:864-866 August 31, 2006 Number 9
http://content.nejm.org/cgi/content/full/355/9/864
プライマリ・ケアは、米国の国家医療体制のバックボーンであるが、崩壊の危機に瀕していると米国内科学会(ACP)が警告している。
専門医にとっても、その専門分野である疾患の診断治療はできても、プライマリ・ケアが崩壊すれば、他の分野の医療の調整、急性・慢性疾患を有する患者の心理的問題にまで対処しなければならなくなるだろう。
・患者自体が、ケアそのものと、アクセスのタイミングの困難さに対する不満。
・プライマリ・ケア医側は、仕事に対してunhappyであり、うわべだけの困難な仕事への不満、ケアの質が均一でないこと、保険者の支払いが不適当であることなどによるものである。
結果、この分野に進路を選択する医学生が少なくなってきた。
多くの患者たちは、スペシャリストよりプライマリ・ケア医をまず好む。だが、当のプライマリ・ケア医はフラストレーションに陥っている。期待される知識・技量が人間的な能力を超過し、全ての患者にベストなケアをすることの限界を超えているのである。
合併症のない単純な気道・尿路感染から糖尿病、冠動脈疾患、関節炎、うつを有する老人の長期経過まで、そして患者たちは英語が十分とはいえない場合もある。
仕事の質より量を強いられ、踏み台にのせられ、専門的職業の価値を下げられる。
患者の不満の原因となる多くの訴えをもって短期で急がされた受診が医師たちにフラストレーションを生じさせる。
primary care taskは指数関数的に増加しているが、taskのパフォーマンス能力により支払われる。2500名の患者の平均パネルに対して、慢性疾患患者へ推奨されたケアを全て行うのに1日10.6時間必要で、エビデンスに基づく予防治療に7.4時間(2300)かかると推定されている。
この過剰需要が、長い待ち時間と患者のケアの質の低下をもたらしている。
多くの患者が、医師とアポイントメントが取れないと訴える。そして、救急へ殺到する。
米国では、糖尿病、高血圧、他の慢性疾患患者のほとんどが適切な臨床的ケアを受けていない。これは患者の半数が医師の言ったことを理解せずに放置するからでもある。
2003年の専門医の収入はプライマリ・ケア医の約2倍で、そのギャップは、年ごとに広がっている。
http://content.nejm.org/content/vol355/issue9/images/large/02f1.jpeg
そして、本来プライマリ・ケアを担うべき看護師や医師アシスタントは、むしろ、専門的な分野で活躍する自体となっている。・・・皮肉な事態であり、結局、彼らはプライマリ・ケアにうまく貢献しないのである。
Medical Practice Characteristics by Selected Specialty: 1990 to 2001
http://www.infoplease.com/ipa/A0931269.html
も参考になる。
日本では、プライマリ・ケアを中小規模の勤務医・それとおおかたの開業医が担ってる。日本では医療のアウトカムにより刑務所に入れられる可能性が出てきたため、その蓋然性の高い分野からこのプライマリ・ケアへの医師の流入が見込まれるという事態になってきた。しかし、流入しつつあるプライマリ・ケア医師が、プライマリ・ケアに本来必要とされるシステミックな学習・経験にうらうちされているかどうか疑問である。しかしながら、米国に比べれば贅沢な悩みなのかも知れない。
日本独特の“主治医制”とか、“かかりつけ医”制があるが、これに、医師の診療義務が加わると、医師側への超人的時間的拘束そして、心身への負担につながるのである。
医師会側の一部は安易にかかりつけ医というが、プライマリ・ケア医への超人的な過剰労働態勢を強いることとなる。今年4月からの“在宅支援診療所”はまさにそれで、通達行政により作成されたものであり、医師側の人権的配慮がなされていない。対する医師会幹部の見方は近視眼的であり、医師会解釈の方がさらに医者の立場を悪くするものでも含まれたのである。
一人の患者に対して、全人的な医療を要求され、米国に比べ遙か多くの患者と相対さなければ経営そのものが成り立たない日本のプライマリ・ケアは悲惨である。
医師が医療上の過失致死で刑務所に入れられるのであれば、行政官僚の失政に関しても個人責任が大きく問われるべきだが、薬害HIV訴訟の如く、批判は官僚にではなく、一意見をのべたはずの専門家にほぼ全ての責任が転嫁されているのである。
背後の経営危機、職員の労務管理などがこれに加わる・・・日本の開業医・・・あんまり、開業医をいじめるとそれさえ・・・
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