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いつの時代も同じような問題があるということですね。
この時代に当てはめれば、高速道路の普及に関してと類似しています。
新聞記事文庫 鉄道(18-119)
時事新報 1922.12.1(大正11)
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無謀の鉄道建設
時代錯誤の経費生産説を排斥す
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明年度の鉄道特別会計予算案を編成するに当り、鉄道省当局者は飽くまでも既定の事業計画年度割を其まま継続実施するの方針を固持し、建設費の財源に充つ可き公債の明年度に於ける募集予定額八千万円の全部を、是非とも募集せねばならぬと主張するに対し、大蔵省の当局者は、財政を緊縮するの趣意に基き、且つ明年度に於ける金融事情が寧ろ本年度よりも一層募債に不便なる可きを予想し、極度に楽観的な見積もりをしても尚且つ募集予定額中、六千万円以上を引受けることは出来ないと力説し、双方互に其主張を固執して相譲らず、此予算案の査定に着手して以来、既に一箇月近くを経過せんとする今日、未だ其解決を見るに至らないと云うことである。
斯様に政府部内に甚だしい扞格を生ぜしめた其問題たる
明年度の新線建設計画が、其程までに緊急を要するものであって、
一箇年若しくは数箇月の遅延さえも許すことが出来ない程であるかと云うに、
実は之を敷設する方面の住民もしくは其方面に特殊の関係を有する者の外は、
殆ど聞いたこともないような、山村僻邑の支線に過ぎないのである。
然るに其れにも拘らず、
当局者は申すに及ばず、
政府党も又其反対党も、
殆ど挙って鉄道省側の主張を支持し、甚だしきに至っては、
其財源に充てらる可き公債の募集額を過大なりと非難しながら、
尚お且つ新線敷設の急務を力説するが如き矛盾をさえ、
敢てする者も少くないのである。
而して裏面の内情は兎も角も、
表面上、新線の敷設を急務とするの理由なるものは、
帰する所、鉄道の敷設を以て地方の産業を開発する生産的事業なりと
為すに在ることは勿論である。
然も所謂生産的事業なるものの根本観念に見当違いの節がありはしないか
と思われるから、此点に就て一言するの必要があると思う。
本来鉄道の敷設が生産的事業であるは、
恐らくは何人も異存のない程に明白なことであるけれども、
併しながら之を財政上の実際問題として処理するに当っては、
所謂経費生産説の解釈、
言い換えれば生産事業の意義に対する観念の相違に由って、
実際上の効果に甚しい懸隔を生ずるのは、
固より当然の道理と云わねばならぬ。
蓋し見様に依っては、国家の事業なるもの、
一として不生産的なものはないと云うことが出来るかも知れぬ。
例えば国防にしても警察にしても、
之に依て間接もしくは消極的に一般の生産的事業の発達を
助成するものである以上、
是等をも所謂生産的事業の中に包括して了って差支えないではないか
と云うが如き類である。
要するに斯くの如きは国務の目的を過重視したもので、
所謂家長主義の財政観念の余弊を免れない。
苟くも斯様な精神を以て国政を処理するに於ては、
政府の事業なるものは、
只際限もなく其範囲を広め其規模を大きくしさえすれば可いと云うが如き、
見当違いの積極政策と為る其結果、
事業の実際の効果が、多くの場合に於て、
民間の経済事情もしくは社会状態に順応しないのみならず、
之が為めに支弁せられた経費は、
恰も不生産的に消費せられたと同様と為り、
過度に通貨を膨脹せしめ、
延いて物価の騰貴を来し、
遂に財政の基礎をも動揺せしむるに至らねば已まないのである。
以上は家長主義に基く所謂生産事業もしくは履き違えたる
積極政策の弊害を、一般的に解説したるものであるが、
現に鉄道の新線敷設計画を急施せんが為に、
財政計画全般の事情、言い換えれば国民全体の利害関係を無視して、
過大の募債を強行せんとするが如きは一任趣意に於ては
生産的事業なりと云うことも出来ようけれども、
要するに根本の観念に於ては、
家長主義的財政時代の旧思想に拘われて居るものと評するの外はないのである。
思うに政治の目的が国民全体の最大福利を増進するに在るは、
言うまでもないことであって、即ち交通不便な地方の住民にも、
亦都市の住民と同様に、一日も速く鉄道を利用せしめ、
其文化の向上と産業の開発とに資する所あらしめんことを希望するが如きは、
何人も同一である可き筈である。
併しながら、主として一部僻遠の地方民のみの利益を増進するが為めに、
莫大なる公債事業を強行する其結果、
財政の整理を妨げて、
国民全体の負担の軽減を阻止する一方、
収益の伴わざる資本の投下に依って、通貨の不当なる膨脹を致し、
之が為めに物価の低落を困難ならしめる其弊害の少小ならざるに顧みたならば、
帰する所、
小の虫を殺しても大の虫を生かすの方□を採るより外に致し方ない筈である。
尤も斯く言えばとて、
我輩は根本的に鉄道建設事業其ものを不可とするものではない。
否、
出来ることならば一日も速かに其完成を期したいのは勿論であるけれども、
要するに斯様な事業の緩急軽重は、
専ら実際上の経済的効果を目標として判断す可きものである。
殊に歳計を緊縮して、根柢より財政の整理を行うの一事こそ、
此際に於ける国家の大目的たる可きを思うときは、
一二地方鉄道の開通を延期する位のことは、
問題にもならないと云わねばならぬ。
若し夫れ見当違いの積極政策論と時代遅れの経費生産説とを唱導して、
無理にも既定の鉄道建設計画を強行せんとするが如きは、
余りに世間と掛離れ、又世間を愚にしたるものと云わねばならないと認める。
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