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http://www.boj.or.jp/type/ronbun/ron/research/ron9904a.htm
90年代入り後も日本の家計貯蓄率はなぜ高いのか?
−家計属性別にみた「リスク」の偏在に関する実証分析−
1999年 4月28日
中川 忍*
(日本銀行から)
本稿における意見等は、全て筆者の個人的な見解によるものであり、日本銀行および調査統計局の公式見解ではない。
* 日本銀行調査統計局経済調査課(E-mail:shinobu.nakagawa@boj.or.jp)
以下には、(要旨)を掲載しています。全文(本文、図表)は、こちら (ron9904a.pdf 231KB) から入手できます。なお、本稿は日本銀行調査月報 4月号にも掲載しています。
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(要旨)
わが国の家計貯蓄率は、80年代において、社会保障制度の充実や人口の高齢化が進む過程で低下傾向を辿ったが、90年代入り後は、緩やかな上昇に転じている。この背景としては、日本経済全体として、将来に対する様々な不確実性(「リスク」)が高まる中、家計が予備的な意味合いの貯蓄を増やしていることが考えられる。
一口に家計といっても、実際には、年収、年齢、職業など、性格は様々であり、家計全体として貯蓄率が高まったとしても、個々の動機は異なっている可能性がある。本稿は、総務庁「家計調査報告」や「貯蓄動向調査」、貯蓄広報中央委員会「貯蓄と消費に関する世論調査」といった、家計に関する様々なサーベイ・データを用いて、いかなる家計がいかなる「リスク」を主に認識し、貯蓄動機を高めているかを分析したものである。
まず、家計の年収や年齢別に平均貯蓄率の推移をみると、90年代入り後、足許にかけて、相対的に貯蓄率を高めているのは、低所得者層や高齢者層である。さらに、所得階層別に、いかなる要因が貯蓄率に影響を与えているかをみるために、被説明変数として、年収階級別にみた平均貯蓄率、説明変数として、(a)年収階級別にみた今後半年間の所得見通し(=名目期待所得の伸び)、(b)カールソン・パーキン法を用いて計算した年収階級別の所得リスク(=実質期待所得成長率のバラつき具合)、(c)実質金利、の3つを用いた関数推計を行った。結果は、近年、とくに低、中所得者層において、所得リスクが貯蓄率を高める要因として働いていることが確認される一方、実質金利については、全体としては貯蓄率に対して有意な関係を見出すことはできなかった。
低所得者層が「リスク」を感じる理由を詳しく分析するため、低所得者層を年齢別に分類した上で各々の貯蓄率の推移をみると、最近では、中高年層が最も貯蓄を増やしていることがわかる。この点、90年代入り後、中高年層における失業率の上昇スピードが相対的に高まっていることを考え合わせると、中高年の低所得者が「リスク」を感じる要因としては、主に足許の雇用不安があると考えられる。
一方、老後に関する各種のアンケート調査をみると、「老後の生活に不安を感じることがある」と回答する割合が、とくに若年層において、急速に高まっている。また、年齢別に年金問題に対する受け止め方をみると、最も深刻に受け止めているのは、20〜30歳代の若年層であり、その理由として、「年金支給金額の切り下げ」や「年金支給開始年齢の引き上げ」が挙げられている。このように、若年層は、年金給付など遠い将来の所得に対する期待の低下から、貯蓄動機を高めていると考えられる。
次に、高齢者層が貯蓄率を高めている理由を考える。一般的なライフサイクル仮説によれば、代表的な個人は、勤労時に蓄積した資産を老後に取り崩して消費するため、高齢者層の貯蓄率は、家計全体よりも低めになるものと考えられる。しかしながら、日本の高齢者層の平均貯蓄率は、むしろ平均を上回っており、中年層をピークに高齢になるほど貯蓄率が低下する米国と対照的な姿となっている。因みに、年齢階層別に1世帯当りの資産保有状況をみても、米国と異なり、日本の場合、60〜64歳が保有する金融資産残高と65歳以上が保有する金融資産残高とがほとんど変わらず、高齢者が貯蓄を取り崩すという姿は窺われない。
高齢者が容易に資産を取り崩さない理由として、個別には、遺産動機が考えられる。しかしながら、アンケート調査によれば、自らの貯蓄を遺産として子孫に積極的に残したいという人の割合は、60歳代、70歳以上とも6%に過ぎない。一方、遺産を受ける側の20〜40歳代の意識をみても、親からの遺産を期待している割合は1割程度に過ぎないなど、遺産の問題は、各年齢層の貯蓄行動に、少なくとも事前的には、それほど大きな影響を与えていないと考えられる。
高齢者が資産を取り崩さない次の理由としては、高齢者が今後の生活に何らかの不安を感じているため、貯蓄を取り崩さないことが考えられる。事実、年金制度がかなり充実した今日においても、約半数の高齢者が「年金だけではゆとりがない」と感じており、その理由として、「高齢者への医療・介護費用の個人負担が増えるとみているから」を挙げている。また、大半の高齢者が、貯蓄目的の中に「病気や不時の災害への備え」を挙げている。このように、平均余命の長期化が進む中で、高齢者は、自らが要介護となる可能性を含め、高齢化に伴って増加する様々な負担等に対する不安を強め、このことが、貯蓄を増やす、ないしは、少なくとも取り崩さない行動につながっていると考えられる。
以上のように、90年代入り後の家計貯蓄率上昇の背景を仔細にみていくと、(a)中高年の低所得者層は雇用に対する不安、(b)同若年層は年金に対する不安、(c)高齢者層は介護に対する不安、といったように、各々が異なる「リスク」を抱え、いずれも貯蓄動機を高めていることがわかった。今後、わが国において高齢化がさらに進行していくことを考えると、いかに高齢者が安心して貯蓄を取り崩せる環境を作るかということは、日本経済全体を考えていく上でも重要となる。この点に関し、いずれ高齢者層の中心となる現在の50歳代や60歳代に対して、老後(今後)の生活イメージを尋ねると、「できる限り長く仕事を続けていたい」と回答する人の割合が最も高い。したがって、まず、高齢者が働きやすい雇用環境を整備することが、家計の貯蓄志向を和らげることにつながると考えられる。さらに、高齢者の資産の大半は、住宅・宅地等の実物資産で占められていることに照らすと、実物資産の流動化を促進し、老後のキャッシュ・フローを容易に確保できる体制を整備しておくことも必要である。この点、具体的な対策としては、リバース・モーゲージ(逆抵当ローン)の活用が考えられよう。