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[第六十講]アマルティア・セン『貧困と飢饉』を読む(2002/02/17)
標題と直接関係がありませんが、まず最近のニュースから話を始めましょう。
アフガニスタンのカブール空港で2月14日夕、メッカ巡礼への出発が遅れていることに激高した多数のアフガン巡礼者が暫定政権の航空・観光相を取り囲んで撲殺したというニュースです。
巡礼者たちは、サウジアラビアのビザ発給が遅れ、空港で長時間待たされ、凍死者も出る状況の中で、航空・観光相がインドの家族に会うために航空機を一人で利用しようとしたことに怒りを爆発させたものだということでした。
後日の記事では、実は航空・観光相は他の政府高官によって暗殺されたのだ、といいます。
いずれにしろ、私の関心はそれとは別なところ、すなわち、そのとき3000人に及ぶ巡礼者が空港で航空機を待っていたという、そのことです。その人数の多さに、です。
そういえば、2、3日前の新聞記事に、メッカ巡礼のためアフガニスタンからサウジアラビアに向かうはずの1万5000人がビザ発給の遅れのために出発できない恐れが出てきたとありました。
巡礼はイスラム信者の一生に一度の大事な行事で、この人たちは1500ドルという大金を既に払込済みだとのことです。そのときも、1万5000人という数に驚きました。
あのアフガニスタンで、戦禍も癒えない苦難の状況の中で、これほど多くの人たちがメッカ巡礼に出掛けようとするとは、その信仰心の強さは、私にとって大きな驚きです。
一方でまた、今もなお数十万の難民が国外の難民キャンプで生活していることでしょう。
まだ戦いの最中にあって、多くの人たちが苦難の果てに国外に逃れていた頃、それすらもできない人たちが国内で難民化しているということを知り、心を衝かれた記憶はいまだに鮮明です。
私の言いたいことは、次のようなことです。
アフガニスタンはおそらく世界でも極貧国に位置づけられるでしょう。そのような国にあっても、人間として最低限ぎりぎりの生活水準に置かれている人ばかりでなく、何とか工面してでも巡礼に出ようとする人もいるのです。
逆も真なり。ほとんどの人が生活していける経済状況にある国にあっても、人間として最低限以下の、何か少しでも異変があると、たちまち飢餓の状態に陥る水準にある人も少なからず存在するという事実です。
それは、何も驚くことではない当たり前のことです。にもかかわらず、上のようなことに私が驚くのは、極貧国には貧しい人ばかりと思い込んだり、統計数値の、特に平均値ばかりに注目する私の貧弱な発想に由来するのでしょう。
そのことを心におきながら、アマルティア・セン『貧困と飢饉』を、いま、読んでいます。
2年程前に購入していながら、今日まで本棚の片隅に放置してあったものです。
そして読み始めて魅入られてしまいました。これは、まさに衝撃の書です。最近、これほどまでに深く私の心を揺さぶった本はありません。
著者のアマルティア・セン氏は、1998年のノーベル経済学賞を受賞したインド生まれの経済学者です。この『貧困と飢饉』の原著は、実は20年前の1981年に刊行されています。
「人はなぜ、飢え、餓死するのか」
それは、食料が不足するからか。セン氏は、貧困を「権原(entitlement)」という概念を用いて分析し、飢餓と飢饉の究明へと議論を進め、ベンガル大飢饉、エチオピア飢饉、サヘル地域の旱魃と飢饉、バングラデシュ飢饉の事例について研究しています。
1943年のベンガル大飢饉では、150万人とも300万人ともいわれる人が飢えと伝染病のため亡くなったといわれます。
その年あるいは前年に発生したサイクロン、洪水、かび病害、戦争による分断などが原因で、「平常時に利用可能な総供給量に比べ、ベンガルでの消費可能な米の総供給量が大幅に不足した」とする説に真っ向から反論しています。
そうではなくて、戦時経済の全般的インフレ圧力――軍事および民間の、類をみない規模の建設工事による――によって、漁民、運輸業労働者、籾摺り、農業労働者など最下層の人たちの権原(購買能力)が奪われたためであり、米の総生産量が落ち込んだだけが原因ではないことを明らかにしています。
1972〜74年のエチオピア飢饉では、エチオピア北東部の旱魃によってこの地域の農民や遊牧民が飢餓に陥りましたが、エチオピア全体としては決して食料供給量が異常に低下した証拠はありませんでした。
そして、ここでは穀物の価格もほとんど上昇しませんでした。にもかかわらず、農民や遊牧民はなぜ飢えたか。
農民は自らが消費する穀物すら生産できず、土地や家畜を売って穀物と交換しようにも土地や家畜の値段の急激な落ち込みによってほどんど売ることができない。旱魃の状態で土地を買う人はいないし、肉は穀物ほどには生きていく上で必需品ではないからです。
同じ理由で、遊牧民は、家畜の穀物に対する交換条件の悪化、更にその地域での商業的農業の成長によって伝統的な乾季の放牧地を失ったことが重なって、彼らは食料を手に入れる手段を失ってしまったのです。
旱魃で打撃を受けた牧畜民は、市場メカニズムによって殺されたのである、とセン氏は述べています。
旱魃、洪水など自然災害によって食料供給量が不足し、1人あたりの供給量が低下する場合に飢饉が起こるというのではなく、誰が、どこで、なぜ死んでいったか、それを理解することこそが飢饉の解明の鍵である、というのがセン氏の主張です。
単にどのようにして国内に食料をもたらすだけでなく、被災者がどうすれば食料を手に入れられるかにも関心を払う必要がある。旱魃と経済的困難の影響を最も強く受けた人々が、経済のさまざまなメカニズムを通じて食料を手に入れる能力をもてるような方法を考案する必要がある。
商品作物栽培の増加は、その国の全体的な稼得能力を強めたが、特定階層の交換権原の低下を招いたと見られる。
平均的・総体的思考だけでは、何の役にも立たないし、いつまでも同じ失敗を繰り返だけだということを教えられました。
この本はまだ読み終わってないのですが、今、どうしても書きたくて急遽、講義しました。読み終わって、また別の考えが生まれたら、そのときこの問題をもう一度考えてみます。
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