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職場から
現場がこのクニを支えている
http://www.bund.org/culture/20060525-2.htm
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ハイテク技術はローテク技術あってこそなのだ
当麻宗一
最近、うちの営業部は会議ばかりやっている。社長は「こんな売り上げでは今期の目標は達成できない。どうするつもりだ」「待ちの営業ではダメだといつもいっているだろう、新規のお客を開拓しろ、うちの営業はなっていない」と、会議のたびにカミナリを落とす。
たしかに10年前なら、大手の取引先からだまっていても仕事が入ってきた。だが今は親会社が安い労働力や市場の拡大をもとめて、中国や東南アジアに生産拠点を移したことや、中国や韓国のメーカーが国際競争力をつけてきたことから、国内のみならず、国外のメーカーとも競争しなければならなくなっている。工場では量産品の注文より試作品のみが多くなっている。
今や日本の中小製造業は大量生産にこたえることより、注文に応じて柔軟に対応できるかが、潰れるか生き残れるかの別れ道になっている。
今までの中小企業は親会社と下請けの関係が深く、新製品の開発から量産品にいたるまで、一つの下請けに受注がもらえた。しかしいまはより低コスト短納期でできるところに仕事をとられてしまう。
また、日本の中小企業は金型、プレス、板金、素材、塗装と、それぞれの業者が地域に集まっていて、コストは考えずにそれぞれたとえ同じ業種だとしても、競争相手でありながら協力会社でもあるという関係だった。この関係がくずれてきている。今まであたりまえのようにきていた仕事がコストに合わずになくなってしまったり、短納期すぎて協力会社以外に仕事を回すようになっているのだ。
このような、低コスト、短納期に対応するために、金型メーカーのキメラは徹底したNC化をおこなった。もともとキメラは神奈川県の横浜にあった従業員5人の小さな工場で、技術力は高いもののコスト感覚がなく、とにかく仕事をとってくるのに必死だったという。このままではいけないと、宮崎秀樹社長は北海道の室蘭に工場を移転するとともに、積極的にCAD・CAMシステムを導入した。低コスト、短納期で精度の高い製品をつくることに成功し、いまでは100人の従業員をかかえる工場にまで成長している。
キメラは、NC化を進めるなかで、金型加工での職人の技術や技能への依存度を減らす道をえらんだのである。それとは対照的にNC工作機械の能力を一定認めつつも、最後にはやはり職人の技術や技能がものをいうと考えるのは、プレス加工の深絞り技術で有名な岡野工業の岡野雅行氏だ。
ローテクの雑貨が肝だ
岡野工業は、これまでプレス加工ではできないと思われていた、リチウムイオン電池の深絞りや、蚊の針と同じくらい細い注射針を、金属の板をプレス機で丸めて加工することに成功してきた。岡野工業の製品は、どれもNC工作機械だけではできない深絞りの技術が使われている。それはなぜなのか。岡野氏いわく、結局、最後はローテクだという。
岡野工業の技術は、日本の製造業がNC化される前に、鉛筆のキャップや、ライター、シガーケースなどを手がけてきた成果なのである。このような基本的な技術や技能を応用して、注射針を手がけたのだという。岡野氏はローテクの雑貨をやっている人は、そのノウハウをすぐハイテク製品に転用できる、けれどハイテクばかりやっている人は雑貨ができない、つまり自分の創造力をいかしてものをつくることができない、図面どうりのものしかできない、と言う。
日本の製造業は、それこそ岡野氏のような1930年代生まれから、戦後すぐに生まれたいわゆる団塊の世代がささえてきたものだ。うちも現場を支えているのは60歳の人だ。来年、2007年は団塊の世代の定年退職がはじまる。多くの製造業の現場では、次世代への技能やノウハウの継承が円滑にいくのかどうかリアルな問題だ。NC世代が岡野氏のように職人の域にまで技能を高められるかが、日本の製造業の行く末を決めていくだろう。
私は、これからの日本の製造業は、中国市場の拡大にふりまわされて消費財の大量生産をめざすのではなく、省エネ技術、ゴミ処理技術、リサイクル技術に力を入れていく必要があると思う。日本の製造業にはその潜在能力はおおいにあるはずだ。岡野工業はその深絞りの技術で新製品を生み出しつづけているし、H2ロケットにはへら絞りといわれる、金属の板を雄型に密着させて回転させ、へら棒を使って成型させる技がつかわれている。
また、工作機械の部品がこすれあう面には、キサゲによる手仕上げがかかせない。キサゲとは長い柄のついた彫刻刀のような工具を使って、精巧な平面をだすことだ。鉄同士がすれる面はただ磨き上げればいいというものではなく、ぴったり合わさると逆に摩擦熱が大きくなり、ゆがみが生じてしまうのである。キサゲによって、微妙にきざまれたミクロン単位の溝が油だまりとなり、正確な作動と耐久性が確保できるようになる。
要は、ハイテクはローテクにささえられているのである。このことを理解しない人ばかりだと、この国の未来は暗い。
(製造業労働者)
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苦労して買収した道路は地滑り地帯の疑いがある
清嶋康伸
年が明けてすぐ、地質調査の仕事で南房総のK市へ出張した。現場はK市の中心部から人里離れた山の中。農家が疎らにあるだけの地域の斜面上に、広い道路が建設されていた。入口がバリケードで塞がれていて、まだ工事関係の車以外は通していない。その道路の脇でボーリング調査をやった。
客先の会社から聞いた話では、地すべり地帯の疑いがあるという。実際に現場を見たところ、道路のアスファルトに多くのひびが入っていた。道路の上部斜面からは湧水が出ていた。湧水が出る所と聞くと、○○の名水だと、有難く飲みたくなるかもしれない。しかし土木工事の技術者にとっては、地下水による事故が多いので厄介な所なのだ。特に斜面上の湧水は斜面崩壊の原因になる。こういう所には土石流や地すべりが多いのである。
工事を担当した建設会社によると、ここは盛土をせず地山の斜面を削った(切土)ところに道路を造った。山側の斜面には崩壊対策工事を施したという。仮に盛土地盤上の道路にひびが入っていれば、盛土の沈下を疑う。地山に直接建設した場合は、地山の緩みや崩壊が問題になる。既存のボーリングデータを客先から見せてもらったところ、浅い深度に破砕帯と思われる軟弱な地層があるのがわかった。
地すべり地帯は山岳地帯など周辺に比べて緩やかな斜面を形成し、雨水や雪解け水などの浸透を受けて、地盤の土塊ごとゆっくりと滑っていく。通常一日に0・01o〜1p位の速度で滑るので、日常的には気にならないのだ。しかし梅雨や台風などの降雨の多い時期や、地震などの外力によって大きく滑ることがある。
房総半島南部の地盤は比較的硬いが、活断層が存在するので、地震の際には斜面が崩壊しないという保証は出来ない。地すべりが活発化する可能性は十分にあるのだ。地すべりが活発化する前には、以下の予兆がある。@地すべりの頭部(土塊の上側)付近の滑落崖、開口亀裂、陥没、A地すべりの端部(土塊の下側)付近の圧縮性亀裂や表層崩壊、B地すべりの末端や側部からの多量の湧水・流水である(土木学会編『知っておきたい斜面のはなしQ&A―斜面と暮らす―』)。
現場について言えば、道路のひびが、@の開口亀裂に当たり、Aの端部は見ていないが、Bの湧水は多量に見られた。 調査を始めた頃に雪が降ったので、多量の湧水によりボーリング用水を十分に確保出来て非常に有難かったが、同時に近いうちに地すべりが活発化する危険性を感じた。今回の調査では破砕帯が見られなかったが、降雪の影響で地下水、湧水が多くなるために地盤のどこかが緩み、その上部層が滑ることは十分考えられると思う。
ボーリング調査の最中に、発注機関の役所の担当者が何度か見に来た。担当者が手に持っていた書類をちょっと覗き見すると、用地買収の議事録がまとめられていた。役所が周辺住民から苦労して土地を買収し、建設された道路だとわかった。
同時に、そこまでして建設しなければならない道路かと疑いたくもなった。資材の買出しや旅館への移動などでこの道路の周辺を仕事用のトラックで走ったところ、近くで渋滞する所は殆どなかった。強いて言えば渋滞する所は、K市の中心部と海沿いのレジャーランド周辺位で現場からは離れている。道路は渋滞緩和のための道路とは言い難いのだ。泊まった旅館の主人が言うには、この道路は必要性のわからない金食い道路だという。
現場が地すべり地帯だと危惧されたのは、おそらく工事が進んでからのことだろう。役所にしてみれば、まず道路建設が先にあって、その必要性を周辺住民に訴えて苦労して用地を買収し、早期に工事を進めたものと考えられる。工事が進んだ段階で異常を認め、あわてて地質調査を依頼したのかもしれない。地質調査の結果から工事を進めるか、計画を見直すかは、役所と建設会社次第だ。私の仕事上からいえば、場合によっては地質調査が無駄ともいえる公共事業に手を貸している場合もある。
2月にフィリピンのレイテ島で地すべりにより、何千人もの住民が被害を被った。このような災害の二の舞にならないように、斜面での道路建設の必要性など、社会への説明責任や技術者倫理が今や問われると思う。
(地質調査技師)
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老後の時代は掛け算で!
太刀川 海
埼玉県ふじみ野市にあるOさんの運営するグループホームを訪問したことがある。
私も今は保育所に移動になってしまって、介護の現場から離れてしまったが、その頃は老人ホームに勤務していた。介護ヘルパーの免許を取ったときの研修で、特別養護老人ホームなどで寝たきりや痴呆症の老人の介護も経験し、高齢者介護というものを少しは知っているつもりでいた。
そんな私にとってOさんの運営するグループホームは「なんじゃ、こりゃ!」で、「こんな所が在るなら年をとることは怖くないぞ」という嬉しい場所だった。
グループホームなのに玄関に鍵がかかってない!
Oさんの説明によると「若い人が命に危険のある登山をするといっても誰も反対しないのに、痴呆老人が一人で出掛けたいというと体を張って反対される。痴呆老人であっても自分のやりたいことをやる権利があるのだから、いつでも出かけていいことにしている。だから玄関に鍵は掛けない」という。
「でも本当に一人で出かけさせて大丈夫なんですか?」と心配になって聞くと、別に放っているわけではなく「出かけていったら、そっと離れたところから付いていって、迷ってしまっているのかな? と思ったら偶然出会ったふりをして一緒に帰ってくるというようにしている」 「不安な思いも経験して、でもいつでも出かけられるという思いがあれば、人はそんなに出かけたいとは思わないんですよ」という。
Oさん自身、寝たきりの痴呆症の老人ばかりが入院する病院に勤めていた経験があった。そこでは夜間の職員の手薄な時間は、患者の手足をベッドに縛り付け拘束をしていた。縛り跡の残らない拘束の方法なども、先輩の介護者から教わったそうだ。
拘束をしない、ゆっくりと関わりが持てる介護がしたい。そのような介護を実現するためには自分でやるしかないと、ふじみ野市のグループホームに参加したと話してくれた。
引き算には掛け算で対抗する人生観
Oさんの様な「拘束しない介護」を目指している介護者は多いという。そんな人達に絶大に支持されていて「拘束しない介護」を提起し、執筆・講演活動を行っている三好春樹さんの『関係障害論』(雲母書房)という本がある。副題に―老人を縛らないために―と書いてある。拘束が介護の仕事に携わる人々を絶望させ、拘束を克服する価値を獲得することが介護する人達の大きな課題だったのだな、と改めて思った。そこでは老人は個体として存在するものではなくて、社会的関係、家族的関係、自分自身との関係の中に存在できなければ駄目になるものとして捉えてほしい、と訴えている。
社会的関係とは仕事や地域など契約的で合理的なもの、家族的関係とはもっと情緒的に作られてきた甘えられる人がいるかどうかというような関係、自分自身との関係とはプライドとか自信とかいえるようなものだ。
例えば脳卒中で倒れたお父さんに適応してみると、仕事への復帰の見込みがなくて社会的関係の値がゼロになる。が、家族の手厚い介護があり家族的関係が高得点だったら、全体として足していった時に、それなりの点数になる気がする。
が、そこで足し算ではなく掛け算にしなければ、介護の方針を間違えるというのだ。その三つの関係のどれかがゼロなら、掛け算だから全部がゼロになる。社会に帰れるようリハビリしても、無理だったら違う社会的関係をつくらなければだめだということだ。三好氏は地域の老人クラブに通いづらくなった老人のために「障害老人クラブ」というものを作ってきたという。
Oさんの施設には、入所して一ヶ月間もお風呂に入らなかった人がいたと聞いた。入所するまで何ヶ所かの施設を移る間に、職員の帰る時間との関係でむりやりお風呂に浸けられ、それがトラウマになってお風呂に入らなくなってしまったらしい。それとなくお風呂を勧めても絶対に入らなかった人が、無理に入らせるような事をしなければ、一ヵ月後には自分からすすんで入り、その後はいつでも入浴するようになったという。無理強いはされないのだと社会的関係を取り戻すことで、自身との関係も取り戻すことが出来た例だと思う。
老人病院などでオムツの中に排便・排尿をするお年寄りは、尿意や便意を失ったからオムツを着用するようになるのではない。人手不足などを理由にオムツの中で用を足すことを強要され、その不快感に無感覚になろうとして、精神や感覚を変えられ、感覚が喪失してしまう結果なのだ。
寝たきりになっても、だんだん筋肉の萎縮や感覚が失われていくのではない。ある日突然、力が出なくなる。ある日突然、目の輝きがなくなる。ある日突然、ご飯を食べなくなるのだそうだ。関係障害が身体障害をもたらすのである。
老・老介護の重圧から社会的関係の希薄な介護者が孤立し、寝たきりの家族を殺して自殺するというような悲惨な事件が後をたたない。でも今夜もどこかで「社会や制度が変わるのなんて待っていられない、この患者さんにとっては私が社会の代表だ」と、一人でもたくさんのお年寄りのオシメをはずせるように一生懸命に働きかけてくれている人がいる。
その後、Oさんは体調を崩し、職場を離れたと聞くが、どうしているのだろうか。
(地方公務員)
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(2006年5月25日発行 『SENKI』 1213号6面から)
http://www.bund.org/culture/20060525-2.htm