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「定住してくれる人には、土地を無償で差し上げます」。サケの水揚げ日本一の町、オホーツク海に面した北海道標津(しべつ)町が、“移民”を呼びかけている。一区画百二十坪、条件は三年以内に家を建てて住むこと。なかなか魅力的な話だが、クマが出没するような原野では困ってしまう。どんな土地なのか、見てきた。 (宮崎美紀子)
これが地吹雪というものなのか…。強風が積もった雪を巻き上げ、一瞬目の前が真っ白になる。地元の人たちは口をそろえて「『彼岸荒れ』というんですよ」。春が近づく彼岸のころに天気が一時荒れるのだ。
標津町は漁業と酪農の町。北方領土の国後島は目と鼻の先だ。東京から中標津空港は直行便で一時間四十分、路線バスで空港−中標津(十分・二百三十円)、中標津−標津(三十分・五百九十円)。「北の最果て」を覚悟していたが、簡単にたどり着いた。地形は平野で、広い幹線道路沿いに商店や家が並ぶ。意外に「街」だ。冬の最低気温はマイナス二〇度だが、雪は少なく、屋根の雪下ろしは必要ないそうだ。
「『電気通ってますか』と聞かれます。辺ぴなところだと思われているんですね」と標津町企画振興課の山口将悟さんは苦笑する。
計画発表後、全国から問い合わせがあり、テレビで紹介された日は電話が鳴り続けた。通常一万件の町役場のホームページのアクセスは、二日間で百十万件を突破した。
土地はタダの「町営定住促進団地」は、町の中心地に近く、町立病院、特別養護老人ホーム、保健福祉センターまで徒歩五分。幼稚園、小、中、高校も二キロ圏内。クマがすむような山間地ではない。晴れの日は知床連山が見える。
一区画百二十−百四十坪、全五十八区画のうち、二十八区画を今年十月から分譲する。インターネットはADSLが利用できる。町内に土地がない町民も対象だ。保証金百万円が必要だが、三年以内に住民票を移し、定住すれば保証金は返還される。五年間は賃貸、売却ができない。
■町「税金などで7年で元とる」
「町の人口は昭和四十(一九六五)年の八千五十一人から、昨年は六千六十二人に減った。人口は地域経済の大きな支え。自然が豊かで食べ物も水もおいしいので、こういう所での定年後の生活を提供するのも田舎の役割では」と山口さんは説明する。無償提供とは大胆だが「インパクトあるPRが必要、相場は一坪二、三万程度なので、住民税、固定資産税が入れば七年ほどで元はとれる」。
町内には信用金庫、郵便局が各一店。路線バスは本数が少ないので車は必需品。住宅は寒冷地仕様で一坪五十万円と都会より割高だ。町立病院は内科と外科のみだが、隣の中標津町には総合病院がある。一方、無料温泉(高齢者対象)、サケ、ホタテ、バターの無料配布などユニークな特典も。
移住者に話を聞いた。妻子とペンションを営む安田高章さん(66)は大阪府出身。五十六歳で公務員を辞め三年間、飛騨高山で暮らした後、同町に移り住んだ。
「どんな町か一切知らずに土地を見に来たが、たまたま天気がよく、牧草地が広がり、知床連山が見えて、家内が気に入った」。まだ町に支援体制がなく、仮住まいの確保などで苦労は多かったが、「近所の酪農家の方たちが親切で、歓迎会を開いてくれて、いろんな人を紹介してくれた」という。町の計画については「土地無料は魅力的だが、仕事を探したい人のサポートや、家が建つまでの住宅のケアなどが必要でしょう」と話す。
町も相談員制度など、今後はソフト面の体制を整える方針だ。
■「外から来る人 拒まない土地」
町営施設で歓談中の漁師三人組に話しかけたら、「人口が増えるのは大歓迎。ただ、外から来る人に、町がどう対応するかが大事なんだ」「体験ツアーで厳しい季節も見てもらった方がいい。希望者には安い飛行機のチケット出してやれよ」と次々と提言が飛び出した。そしてこう付け加えた。「標津は人情味のある町だよ。横のつながりがあって面倒見がいい。北海道はもともとみんな移住民族なんだから、外から来る人を拒まないよ」
■あこがれだけでは後悔も
二〇〇七年に団塊世代の大量定年が始まると、大移動が起きるかもしれない。移住の注意点は何か。
福島県小野町で農業を営む斉藤光生さん(63)は千葉県出身。自然農法を志し、同町に六年前に移住した。
「何をバカな、と随分言われました。家庭菜園の経験はあっても、最初は先が読めず、分からない事だらけ。地主さんからいろんな事を教わりました」
定年後の完全移住を前に、週末に“プチ移住”する人もいる。東京都内の会社員男性(57)は「あらゆるアウトドアが好き。定年後は田舎暮らしをすると決めて、温泉のある田舎を探してきた」。近所付き合いの不安があったので、伊豆の交流型の共同住宅を購入。まだ職場には移住計画は伏せている。
東京・銀座の「ふるさと暮らし情報センター」で移住希望者の相談にあたる近山恵子さんは「ある意味選び放題、生活設計に多様性が出てきた。あこがれだけで飛び込まず、まずお金の計画、そして自分がやりたい事ができる基盤が、その土地にあるのか考えて」とアドバイスする。
例えば妻は都会に残る半別居、神奈川や千葉など近場への移住、介護が必要になるまでの時限移住、夏・冬だけの季節移住など「自分の価値観にあった生活を選択してほしい」。
自治体側も「高齢者はお荷物」との考えを捨てつつある。北海道庁「北の大地への移住促進事業」担当者は、こう話す。
「高齢者にはさまざまなサポートが必要になるが、それを民間のビジネスベースでやりたい。地元の人も高齢化するので、サポートの充実は、もともとの住民にとっての魅力にもつながる。短期滞在の緩やかな移住でもいい。人の動きが生まれれば、消費が生まれる」
来年度から移住促進を本格化させる福島県の担当者は「過疎化が激しく、集落が消滅しかねない。一方で、田舎志向が強い団塊世代が六百八十万人も退職する。黙って手をこまねいていることはない」という。
国交省は、一週間から数カ月単位で二カ所に住み分ける「二地域居住」が一〇年に百九十万人に達すると予測。専修大学の江崎雄治助教授(地理学)は「今までも一定割合で定年後は自然豊かな所へ行く人がいた。団塊世代はボリュームが大きいので来年以降、地方で暮らす人が増えることは間違いない」と指摘する。
田舎暮らし希望者に、標津町の安田さんは「何があっても、自分の選んだ人生だと思うこと。例えば事故や病気で『都会だったら助かったのに』と後悔するのなら、田舎暮らしは考え直した方がいい」。小野町の斉藤さんはこう一言。「ここに住みたいという気持ちを真剣に伝え、都会のことをひけらかさないこと。カルチャーショックを素直に感じ取ることです」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060322/mng_____tokuho__000.shtml