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職場から  公務員の下流社会化が迫っている  【池永博士 】
http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/222.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 2 月 09 日 21:01:40: ogcGl0q1DMbpk
 

職場から

生活格差が拡大する社会

http://www.bund.org/culture/20060215-1.htm

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公務員の下流社会化が迫っている

池永博士

 「公務員は労働基本権が制約されており、その代償機能を担う機関として人事院が設けられています」。この言葉は、人事院のホームページに掲げられているものである。だがそれは年々形骸化し、現在では死語になっているに等しいと私は思う。

50年ぶりの大「改革」案

 労働基本権とは良く知られているように、団結権・団体交渉権・団体行動権(つまりストライキなどを含む争議権)のことである。公務員にはこのうち団体行動権がない。公務員の組合は正確には「職員団体」と呼ばれ、一般の労働組合に比べ交渉権も制約されている。警察や消防には「団結権」つまり組合を結成する権利もない。

 そのかわり、公務員には「身分保障」制があり、原則的に解雇されるということがない(従って雇用保険には加入できない)。給与に関しては人事院、地方にあっては各地方人事委員会が、民間に準じて給与の引き上げを勧告している。公務員の職員団体における賃上げ交渉とは、人事院勧告を前提として、その完全実施を当局に迫るというものだった。

 しかし人事院と地方人事委員会は、ここ数年ベースダウンとなる勧告を出し続けている。給料表の改定そのものを見送り、給料が上がりも下がりもしなかった一昨年の勧告では、私は正直ほっとしたものだった。だがそれもつかの間、昨年の人勧では日本の公務員史を塗り替えるような勧告が出された。

 政府・自民党が主導で進めている公務員制度改革の概要を確認しておこう。2002年の通常国会に向け、自民党が準備した公務員制度改革法案の内容は以下のようなものである。

 @国家公務員法と地方公務員法を廃止して共通の新公務員法制定を目指す

 A市町村合併を促進し現在3200ある市町村を1000にする

 B年功序列的な人事制度、給与体系をやめ、民間企業と同様、実力主義の人事制度、賃金体系へ転換する。実績が伴わない職員は自動的に降格や報酬ダウンを実施する。

 自民党案では、防衛、警察、消防には引き続き身分保障を与えるが、その他の一般の公務員には身分保障を廃止し、そのかわりスト権を含む労働3権を認めるという内容が含まれている。年金に関しては共済年金と、民間労働者の厚生年金との一本化が検討されている。

 そのような中で、昨2005年8月15日人事院の勧告が出された。そこでは賃金のベースダウンは言うに及ばず、給与構造の50年ぶりと言われる大「改革」案が示された。

 一般行政職の給料表の級を11級から10級に統合、各級のうちの号数を更に4分割する(昇給時通常1号ずつ上がる号俸が細分化されることになる)。現在の定期昇給は廃止し、5段階の成績率を導入し、A判定の者は8号アップ、C(つまり普通)の者は4号、最低のE判定では昇級無しになってしまうというものだ。

新年以降人事院勧告実施

 このようなことが来年度以降、全国の国家公務員と教職員、そして大半の地方公務員に対して行われていく。かんじんの成績判定を、誰がどのように公正を保ちながら行うのか。その議論がまだ決着が付いていないうちに、器としての給与構造だけを先に変えてしまおうというのである。

 賃下げに加えて、見切り発車的な成績主義の導入が行われるとすれば、わたしはまったく働く意欲が湧かないと思う。職場の士気は低下するばかりだろう。いやそれ以前に、このような成績主義給与制度が、全国一律に本当に機能していくのか疑問である。こうなれば仕方がない。やれるものならやって見ろという気さえしてくる。人事院がホームページで言うように、本当に労働3権の制限に関する代償機関であるとするならば、それは組合交渉的な機能も果たさなければならないはずだ。

 しかし、何年も続けてベースダウン勧告を出し、民間企業でもすでに見直しが始まっている成績主義を提案するなど、どんなダラ幹と呼ばれる御用組合だってやらないはずだ。もはや人勧などには何の期待ももてない。身分保障廃止と引き替えにスト権を付与するというのも、労働者に踏み絵を踏ませるようなものだ。公務員になれば一生安泰という時代は、急速に過去のものとなってしまった。

 最大の労働者組織である連合は、踏み絵を踏むことを拒否する方針を出した。高木会長は「筋を通すところは通し、柔軟に対応できるところは柔軟に」と述べている。これは賃金のベースアップどころか、雇用安定すらも確保出来ないという組織状況の中で、まさに「肉を切らせて骨を断つ」という両刃の刃の方針である。人減らしもある程度受け入れ独自の人員削減案も提案するというものだ。

 私は、連合がどこまで本気でこの方針を貫けるかは別として、基本的には支持したいと思う。そもそも高度成長やバブル期が終わりを告げた現在では、経営側と一体となりながら賃上げを要求するという労働運動はもはや不可能である。さらに公務員においては税金から給料をもらっている以上、ある程度のリストラや配置転換は受け入れるべきだとも言える。また、年功式の賃金体系が必ずしも良いというものでもない。

民間の労働者と同じレベルで

 官僚の仕事の大枠は政治が決めることで、公務員はそのもとで事務仕事だけをやっていれば良いという時代が長くつづいてきた。つまり公務員は、どの部署に行っても仕事の質に差はなく、誰がやっても同じものと思われてきた。従って住民の側もやってもらって当然という意識になりやすく、神戸や新潟の震災時の公務員へのバッシングは相当なものだった。

 しかし、現在では誰がやっても同じという仕事では通用しなくなってきている。最小の費用で無駄のない最大の成果を出さなければならない。これは住民が公務員に対し何を望むのかにもよっているのだが、もし後者を望まれているのであれば、ある程度の成績主義も必要であろう。年功賃金も身分保障も無くなるとすれば、無いものを求めるより、それを受け入れ見返りを要求するという途しかない。

 その場合、少なくとも働いた分の給料だけは出せという要求は当然なものだ。必要なときにはストで闘うという事もあり得る。民間の労働者と同じレベルに立ち、社会的な公正を実現していけるような時代になることを切に願うものである。      

(地方公務員)


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保育所の現場で世相の変化を感じる

三田 洋子

 日本社会の所得格差がどんどん大きくなってきていると言われる。それなのに内閣府は1月19日、所得の不平等を示すジニ係数の上昇は見かけ上のものだと発表した。景気も上向き、日本はそんなに悪くないと言いたいのだろうが「なにを言ってるんだ」と新聞をたたいた人はかなりいるんじゃないか。

育児を放棄する親が増えている

 私の勤める保育所でも、正規社員として働いている子供の親が年々減っているように思う。公立保育所に対する利用者の要望も、すでに実施している早朝・延長保育や一時保育にとどまらず、年末年始も役所と一緒に休みになると困るとか、夕食を出してほしいとか、厳しい条件の中で働く親に対する支援策を要望する声は後を絶たない。

 ただそれを、少子化対策だから聞きましょうと、すんなり受け取っていいものかは疑問だ。その支援策を悪用し、自分の子供に対する養育を放棄しているとしかいえないケースも実際は増えている。所得格差の進行と同時に、モラルの低下もまた進行しているように思う。三浦展は『下流社会』で、単に所得が低いということではなく、生活能力や働く意欲が低いことを「下流」といっている。

 最近多いのが離婚しました、母子家庭になりましたといって、保育料の引き下げや諸手当を手にしながら、実際は父親が家にいるとか、役所申請が通り入所してしまえば、後は就労証明書通りに働いてなくても子供を預けていくケースだ。しかもその手の「裏技」を教えあうネットワークがあるので、1件2件の不正にとどまらない。もはや「世間体を気にする」ということはなく、いかに保育料を安くするか、いかに子供をみないようにするかばかり考えている親が多くなっている。

 「小学校に行って、机の前にじっと座っていられないのは保育園出身の子」なんてことも言われる。すると親からは、保育所でも勉強を教えてほしいという要望が出てくる。政府は義務教育を現在の9年間から、10〜11年にするといっているが、子供を教育することに関して、親が学校任せ、他人任せにしたままでは、まともな子供にならない。

 例えば、夏休みなど長い休みの後、学校では子供たちを通常授業に戻すのが一苦労だと聞く。私の子供の頃は、夏休みといえばほとんど学校のプールで過ごした。両親とも働いていて、海水浴に連れて行ってもらえない子もみんな真っ黒だった。今では行き帰りの事故をおそれて、プール教室などはほとんど開かれていない。

 早朝のラジオ体操もそうだ。夏休みの朝6時頃は、子供が首から出欠カードをぶら下げて歩いていたものだが、今ではそんな子供は一人もいない。やはり行き帰りの事故が心配だということで、実施場所が学校の校庭から近所の公園になり、父兄が交代でカセットテープを流してやったりする。しかしそのうち人数が集まらなくなり、やりたい子だけが集まろうと、誰かの家の前でほんの数人の子供と付き添いのお母さんが「カセット体操」をする。それもそのうち自然消滅しがちだと聞く。

 夏休み中子供たちは1ヶ月以上の間、朝早起きする必要もない、プールに行くこともない中、クーラーの利いた部屋でゲーム三昧の日々を過ごす。それで9月1日から通常の学校生活をといっても体がついていくはずがない。まず朝が起きられないから、遅刻する子供が大勢いるという。

 一方で教育や養育を学校任せにしていられない、そう考える親は夏休み中塾に通わせたり、スイミングや稽古事を習わせたりする。なにもしてもらっていない子供との能力格差は開く一方だ。

保育所に入れない未措置児

 その傾向がすでに保育所の段階からみられるのだ。親が働いていないのに働いていると嘘を言っても、今では職員もうるさく言わない。せいぜいお迎えの時間を守るよう言うだけだ。在籍だけしていて子供を登園させない親より、子供を連れてくるだけまだましだと考えるからだ。その子は保育所のカリキュラムの中に取り込まれるし、給食も食べられる。それでも10時11時をすぎて登園してきて、子供をおいてさっさと帰っていく親の姿にはあきれてしまう。

 それなのに在籍人数がいっぱいで、保育所に入れない未措置児問題がある。保育所では実際は毎日欠席者が多かったりするのにだ。保育料がもったいないじゃないかと思うが、所得が低ければただ同然だ。親の都合で保育所に来たり来なかったりするケースがざらで、本当に保育の必要な人が多く取りこぼされているのが実状ではないかと思えてしまう。

 児童手当が支給されても、受け取った親が子供のための費用に充てなければ意味はない。子供を狙った犯罪に巻き込まれないよう安全策ばかりとる以外ない学校側と、他人任せにしていても子供は育つと思っている親。

 放り出された子供たちがまた「下流社会」を構成していくとすれば、日本の行く先は相当くらいと思うのは私だけだろうか。     

(地方公務員)


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(2006年2月15日発行 『SENKI』 1203号5面から)


http://www.bund.org/culture/20060215-1.htm

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