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インフレなき米経済
グリーンスパンFRB議長 引退
米国の中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長(79)が31日、議長として最後の日を迎えた。在任18年余の一時代、歴代米政権の支持を受け、米国経済のインフレなき成長を支え続けた。巧みな金融政策運営と危機対応のカリスマ的な手腕で、世界の金融市場に君臨した「伝説の中央銀行家」の足跡をたどった。 (ワシントン・久留信一)
■手際
ホワイトハウスから南西に約一キロ。総大理石の外観が威容を誇るFRB本部の職員たちは、殿堂の主人を、敬意を込めて「ザ・チェアマン(議長)」と呼ぶ。
ブッシュ米大統領も「伝説の中央銀行家」とあがめるほどに神格的な存在。グリーンスパン議長がここまで市場から絶大な信頼を集めた裏には、第十三代議長に就任直後の一九八七年、ニューヨーク市場を襲った株価暴落や、アジア通貨危機など数々の難局で見せた鮮やかな手際があった。
二〇〇一年九月十七日早朝。議長は地区連銀総裁らを電話で結ぶ緊急の連邦公開市場委員会(FOMC)を“招集”、政策金利の引き下げを提示した。六日前の米中枢同時テロでパニックに陥っていた金融市場への対処のためだった。
委員会は直ちに提案を承認。その約四時間後には欧州中央銀行、十八時間後には日銀も緊急利下げに踏み切った。
日米欧の三極協調利下げが実現した陰に、グリーンスパン議長の強い働きかけがあったことは、金融関係者の間で今も語りぐさとなっている。
■警句
議長は、意味深長な警句で「発言する中央銀行家」としても知られる。
有名なのは一九九六年十二月五日、ワシントンでの講演で飛び出した「根拠なき熱狂」だ。ニューヨーク株式市場のダウ工業株三十種平均は当時六〇〇〇ドル台だったが、過去二年間で五割以上の上昇を示していた。市場はこの発言を、株価高騰への警告と受け止め、大きく動揺した。
一方、学生時代から経済学の師と仰いだバーンズ第十代FRB議長譲りの「財政赤字の拡大は最終的にインフレにつながる」との明快な信念は、決して揺るがなかった。歴代の政権と良好な関係を保ちながらも、赤字拡大には批判の目を向け、一線を画してきた。
議長の下で九四年までエコノミストを務めたアメリカン・エンタープライズ研究所のスワーグル研究員は、議長の最大の功績として「インフレと戦うFRBへの強い信頼を国民に与え、次代に引き継いだことだ」と強調する。
■判断
しかし、そのグリーンスパン神話にも九〇年代末期、陰りが差した。過熱した景気を冷やすための利上げのタイミングが遅れ、IT(情報技術)バブル崩壊のショックが深刻化したとの批判を受けたのだ。
「あの時、インフレの兆候はなく、引き締めを行えば世界経済に深刻な打撃を与える恐れがあった」。九六年六月から約三年間、副議長として仕えたリブリン米ブルッキングズ研究所上級研究員は、当時の状況を説明。利上げを遅らせた議長の判断を擁護する。
そして最後の日、締めくくりの仕事は今年最初のFOMC開催。デフレとの決別を宣言し、二〇〇四年六月から連続十三回にわたった小幅利上げを継続するかどうかが最大の焦点だ。
持続的成長を維持する一方で財政赤字の拡大、エネルギー高と先行きへの不安を抱える米経済。グリーンスパン議長最後の判断に、金融市場の熱い視線が注がれた。
■グリーンスパン語録
『根拠なき熱狂』
▼1996年12月5日=ニューヨーク株式市場の株価高騰を警告して
『100年に1度か2度の現象』
▼97年7月22日=ITによる米経済の生産性上昇について
『投機的バブル』
▼2000年1月13日=IT株を中心とする株価の継続的上昇について
『不可解な謎』
▼05年2月16日=米長期金利の低位安定について
『小さな泡』
▼05年6月9日=米住宅価格の高騰を警告して
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060201/mng_____kakushin000.shtml