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親族会社に1億7000万円 木村剛氏が会長・日本振興銀融資
日本振興銀行本店=東京・大手町で
木村会長親族会社への融資の流れ
竹中平蔵総務相の金融ブレーンだった木村剛氏(43)が会長を務める「日本振興銀行」(本店・東京)が05年3月、木村会長の親族会社に約1億7千万円を融資していたことがわかった。この融資では担保価値が低いとされる非上場の振興銀株が担保にされたが、振興銀は融資直前、設立時から担保として認めてこなかった非上場株の中で、自行株だけを認めるよう社内規則を変更していた。金融庁は05年11月から振興銀に初めて検査に入っており、木村会長の親族会社への融資に注目して実態解明を進めている。
●金融庁検査、実態解明へ
日銀OBの木村会長は、竹中氏が金融相当時の02年に発足させた金融政策チームの主要メンバー。その後、新銀行として04年4月に開業した振興銀の経営に参画した。金融庁は銀行経営の透明性を強く求め、多くの銀行は情実融資の疑いを招くことを避けるため自行役員の関係企業への融資をしていない中、木村会長の親族会社への不透明な融資が浮上した形だ。
問題の融資を受けたのは、講演会開催や出版物販売などを行う都内の会社。法人登記簿などによると、同社は99年に有限会社として設立され、木村会長が60株(資本金300万円)の全株を保有していた。取締役は木村会長1人だけだったが、融資約3カ月前の04年12月に会長は取締役を退き、代わりに妻が取締役に就いた。
05年1月に木村会長の両親が2千万円を出資して400株を増資した直後、株式会社に組織変更して妻が代表取締役に就き、両親とともに会長も役員になった。所在地は妻が代表を務めていた同年5月まで会長の自宅だった。
関係者によると、振興銀は05年3月、同社に1億7875万円を融資した。担保には同社に加えて別の木村会長の関係会社が保有する非上場の振興銀株計約5500株があてられた。当時、振興銀社長だった木村会長も融資の決裁に加わった。
振興銀は設立時から融資事務規則で、担保とする株式を上場株に限定していたが、非上場株としては自行株だけを認める規則に変更。親族会社への融資直前の05年2月に自行株を担保とした融資が可能になったという。
非上場株は市場で売買されないため、客観的な価格評価が難しいとされる。複数の金融関係者によると、国内の銀行では非上場株を不動産担保などに添える形でしか扱わないケースが多く、担保価値を低く評価している。また、金融庁の検査で、「非上場株では債権が保全されていない」と指摘されることもあるという。
木村会長は02年10月から03年8月まで金融庁顧問を務めた。02年10月、政府が発表した「金融再生プログラム」の作成に、木村会長は竹中金融相(当時)の政策ブレーンとして参加。そのプログラムには「05年3月までに大手銀行の不良債権を半減」「銀行の自己査定厳格化」などが盛り込まれた。その後、政府は03年5月、経営危機になったりそな銀行に公的資金投入を決定。金融庁は04年6月には赤字決算のUFJ銀行に経営上重大な問題があったとして業務改善命令を出した。
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◆キーワード
<日本振興銀行> 04年4月開業。無担保で融資する代わりに他行の通常融資より割高な年利8〜15%、上限4千万円で貸しつける商品が主力。担保がある場合は市場金利に合わせた金利設定をする。設立準備段階から木村剛氏が社外取締役として参画し、05年1月に社長に就任。同年6月から会長。資本金は34億円。振興銀によると、05年9月末での預金残高は264億円、貸出残高121億円。
http://www.asahi.com/paper/national.html