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(回答先: 論客各位 投稿者 まとはずれのおせっかい 日時 2006 年 10 月 14 日 21:48:25)
皆さんの投稿は、「個性そのもの」であり、どちらに「理がある」なぞと私には判定できません。そして、その立場にもありません。
しかし、ここ一週間の議論版の展開は、参加者が期待しているそれとは、はるかに乖離しているというは、私ひとりの意見ではありますまい。
読み手がわくわくしながら期待している、論客の意見の披露、交換ではなく、俗な言葉で恐縮ですが、「足の引張りっこ」の印象は、ぬぐえないとおもいます。
この「いいあらそい」が長期化しますと、このサイトの質ならびに魅力を減じさせ、この場を提供してくださる管理者の広告収入にも影響を与え、経営危機の引き金にもなりかねます。
互敬にもとずく、冷静な議論の展開がこの論壇の質を保証し、その魅力を高揚させ、
そしてそれが、より一層この論壇の質を高める好循環を参加者全員が期待するところだと思います。
論客にはそれぞれの個性があると思います。
私は、「論破する」という言葉に、時に人の驕り、不遜を見ることがあります。
この論壇上では、人を言い負かすのではなく、自分の見解を披露する、自分の見解を違う角度から見てもらう、自分の思考にヒントを与えてもらう、相手の明らかな間違いをしかるべき表現で指摘する、それ以上はあまりできないのではないかと思います、そしてそれで十分だと思うのです。
つまり、「効用と限界とを見極めての投稿態度」が求められるのではないでしょうか。百戦錬磨の阿修羅論客を泥仕合(場外乱闘?)に終わらせることなく、
「論破」するなぞ、容易なことではありますまい。
「深追い」は、投稿の質の低下を招き、投稿者自身「骨折り損のくたびれもうけ」に終わることは、各自経験のあることかと思います。
時に、「テキトーにあしらう術」、「無視の自由を行使」することは、阿修羅生活の知恵だと思います。
今の状況を改善するためにどうこう、個々の参加者に具体的なアドバイスをすることは釈迦に説法、つまり、XXさんは、REを当分つけるなとか その必要もないと思います。阿修羅論客には、各自、今の膠着状況を切り開く「理性と勇気」があると確信しています。
活字ジャーナリズムの論壇が死滅した(?)中、この場の活発な論争、投稿に期待している人は少なくはありますまい。
私は、仲良しクラブでもなく、罵倒の場でもない、静かな、しかし火花を散らすような、スリリングな議論を期待しています。
K Kotetsu 両論客からご意見がありましたが、「手打ち完了」でいいのではないでしょうか。
僭越なことをしてしまったのだろう、多分。