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(回答先: 考察の優先順位 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 10 月 14 日 16:23:15)
>ワヤクチャさん どうもです。
で、Kは思考停止しそうです。
>【真理を追究する考察を要領よく行う為には得られた事実の中で重要なものを取り上げ一番ありそうな事から考察していく必要があります。】
なぜ、要領よく行おうとするのが「正」なのでしょうね?
真実の究明には「手抜きをせずに、確認できる真実を積み重ねていく」のが正解かもしれませんね。
【事実の中の重要なもの】の選択基準は何を根拠にして決めるのでしょう?
「公式発表に致命的なもの」ですか?
それって「誰の共通認識的『主観』」でしょう。
国民の過半数の支持でも受けているのでしょうか?
「真理」は多数決で決まるものではありませんが、誰々が「そう言った」からと言って決まるものでもありません。
>【ビルの崩壊が航空機の衝突や火災によってだけで起こったとは考えにくい様々な論考が行われてきました。】
>【崩壊したビルの断片の飛散の仕方から爆破によって生じた力によってそのように飛散したのだと語られてきました。】
これは、確認されて実証された情報でしょうか?
情報提供者は「妄想に囚われずに、中立的かつ厳正に判断している上で情報提供されている」と確認していますか?
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/911/index2.html
は、精読されていて、その中で「違う見方の提示」などはされていませんね。
「違う見方の提示」がされていれば、その見方が正しい訳ではありませんが「キチンと論理考証をして、その上で採用されるべき情報」として受け入れているか?と云うことです。
>【もし、爆破があったのだとしたら〜(以下略)】
考察の優先順位という事ですので「もし」以下は、今は「優先順位は低い事柄」ですよね、そこに行くには「爆発があった」事が正しいという「事実確認がなされる事が前提になります」
>【一番疑問なのはもしビンラディンがアメリカに対する憎しみを表現したいのであれば
あそこまで首尾よく成功したテロに対して何故即座に犯行声明を誇らしげに行わなかったのでしょうか?】
この点が「一番」でしょうか?では逆に問いますが、なぜ、ビンラディンは「即座に否定声明を出し、無実を訴えて投降しなかったのでしょう?」
人間心理など千差万別なので、判断基準にする場合の「優先順位は最下位」でしょう。
更に言えば「犯行声明」という部分では「既に出されている」とも判断する材料もありますよね。
>【ビンラディンがやったという方がどちらかと言えば「トンデモ説」的】
と云うのが「主観」ですね。
>【まずは納得できない事がある事自体が問題です。】
ワヤクチャさんが「全ての分野に精通していて、科学的に立証できる根拠に基づいて、納得できない」のと「これはおかしいのではないか?」と素人判断の主観で「納得できない」のでは意味が違いますが、今回の件はどちらのケースでしょう?
>【貴方の主観の中では私が論理的飛躍を行っていると思っているだけです。】
最初に「決められた、ワヤクチャさんの望んだ結論が用意されている」と思っているので、それを論証しようとしています。論理飛躍を行っているのではなく、「結論先にありき」なので結果的に「論理飛躍を余儀なくされている部分が出てくる」と考えています。
>【どこにいるのかも分からずどんな人間かについても謎めいている人物について「事件に関与していない」という事を立証するのは難しいのでは?むしろ、事件に関与していたとしたらおかしい事はないか?と考える方が有効でしょう。】
なんで、そのように考えるのが有効なのですか?
捜査の鉄則は「全ての関係者を疑う」で、この人は犯人ではないとの予断は「間違いを生み確率は高いです。」
逆に「犯人を最初から、予断を持って決め付ければ、真犯人を逃がす可能性」もあります。バランスを考える必要はあるでしょうが、最初から「決めて掛かる」のを予断と偏見と言います。
>【これは貴方が過去に得た情報が私のそれとは随分と違っている為に意見が食い違っているのだろうと推測します。】
ワヤクチャさんの得た情報の方が正しく、価値のある情報と「思い込んでいる」可能性は考慮されていますか?
また、ワヤクチャさんはKの知らない情報をお持ちのようですが、Kよりも強力な情報網を持っていると云うことだろうと思いますが
Kの持っている情報網も知らないで「なぜ、そのように思い込める」のでしょう?
>【ビンラディンがアメリカ憎しという事を表現する為にあのような事をやるかと言えば国際世論の大半を敵に回すようなやり方を選択するのか?という問題があります。世界を敵に回すような事をあえて行うテロリストなるものは非現実的な存在です。】
価値感の違う人が存在する事は事実でしょう。
違う価値感の人を自分の物差しで計る事が間違いだろうと思います。
>【それは当たり前です。ウソしかつかない体制権力は早晩崩壊するでしょう。私が言っていない事をあたかも言っているかのように主張しそれを批判するという事をやってますね?】
では、9.11の公式発表は「どこが本当で、どこが嘘」だと思いますか?それとも9.11に関しては「全てが嘘」でしょうか?
>【正しいかどうか分からないものは主観でしょう。】
正しいかどうか分からないものが主観ではなく、政府の決定は実行策となります。ここでの主観は「個人個人の評価」です。
>【アメリカ政府というものを私は基本的に信頼しておりません。何か発表がある度に「今度の発表の中にウソはないか?」と考えてきました。これは予断や偏見という事ではなくこれまで得てきた情報の中からそのような態度になってきたのです。】
それこそ、予断や偏見でしょう。
>【貴方はこれまでどのような情報を得てきたのでしょう。どのような情報を得たから「アメリカ政府の言っている事は正しいのかも知れない。」などと思えるのでしょう。】
全ての事柄は「結果が出るまで」は、一定の可能性を有しています。
アメリカの自作自演が立証されない限りは「アメリカ政府の言っていることは正しい」という可能性はあるに決まっていると思いますよ。
「どのような情報を得た」からではなく「自作自演を立証できる証拠」が出ていないからの判断です。
>【ひんぱんにウソをついている人が何か言った時に「今度もウソをついているのかも知れない。」と考えたら視野狭窄でしょうか?それは「概ね妥当な判断」というものでは?】
疑うまでなら、妥当な判断かもしれませんが、ウソだと決めて掛かるのなら、視野狭窄以外の何物でもないと思いますよ。
>【私は権力がいう客観に対して私の客観(実際には主観)を対峙するのではなく、権力であれ私であれ全てが主観であると言う事で「限りなく真理に近い主観」を追求する事を提唱しているのです。】
で示される「限りなく真理に近い主観」と云うものは「立証された事実の積み重ねの結果として、それでも、まだ断定するには早い主観」でしょう。
「真実の追究」からは遠く、予断や偏見の言い訳に近い気がします。
>【立証できていない段階のものを「共同主観」と言っているのですが。主観に立証義務など伴いません。】
立証されていないならば「人々を誘導して形成されるであろう『共通主観』」には、より一層の「説明責任」が義務として形成されるでしょう。
それは、まだ、断定はできないが「確率的には高い」という論拠の提示だけではなく
「予想値の限界としてのベストとは断定できないベターとの判断根拠とベストとは断定できない部分のリスク説明」という部分になります。
特に最後の部分が重要ですが理解できるでしょうか?