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(回答先: 「絶対基準」と「主観」――“考察者K”氏の投稿「人は見たいと思うものだけを真実と考える」を手がかりとして 投稿者 天蓬元帥 日時 2006 年 10 月 12 日 11:02:17)
意識と物体(存在)の二項対立も正しいかどうかが問われなければならないと思いますあ。
人間の認識がまず当初は二項対立的な認識として現れると思いますが情報を集めていくと二項対立が正しいのかどうか曖昧になるという認識の経過をたどると思います。
物質というもののイメージを人間はまず粒の集まりのようなイメージを持っておりましたが物理学の発展と共に物質のイメージは随分と変わりました。
今では物質とは力のようなものとして捉えられていると思います。
人間は長らく物質的な世界観を客観的な世界観だと看做してきましたが、物質とは何か?という事が曖昧になると同時に客観という概念も曖昧になりました。
デカルトは確実に存在するのは「この自分の意識」という所から出発しました(「方法序説」)。これは正しかったと思います。自分の意識を起点にしてどこまで多くの人と詳細にわたる共同主観を構築するのか?しかすることはないと考えます。