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(回答先: まさしくそれを思索ノートの類いのものと謂います。 投稿者 如往 日時 2006 年 10 月 11 日 12:03:37)
>如往さん どうもです。
Kの認識では「如往さんは、阿修羅の良心」というイメージを持っていました。
これは、決して派手な手法などは採らないが、着実に冷静で「安心感のある判断力」を示せる人だと思っているからです。
しかし、今回の一連の意見には「意外な印象」を持っています。
確かに「左翼の守旧派に属する(Kの主観)」ような如往さんなら、Kの意見に「同意しない」のは予想の範囲です。
ですから、「Kの意見への反対表明」なら「意外」とは思いません。
Kの意見は「Kがいかに尤もらしく語っても所詮は、正攻法ではなく、危険の伴う奇抜な案」でしかありません。慎重派ならば「異を唱えても当たり前」です。
三国志時代、諸葛孔明は魏延の提案した「奇襲案」を採らなかった事があるそうです。
後の検証では「その奇襲は愚策とは言い切れず、起死回生の策」となった可能性もあるそうですが、歴史上でも有数の戦略家の孔明は「危険性の高さ」によって退け、結果的に敗北しました。
もちろん、奇襲をすれば勝てたとは限りません。
わざわざ、このような話を引用するのは「慎重論はあって当然であり、希代の軍略家の孔明だって慎重派だったのだから、間違った考え方とは言い切れない」という事です。
ですから、Kは「如往さんが、自分の言葉で、Kに反論されるなら、意外とは思いません(だからと言って、反論しないと云う意味ではありません)」
問題は「他人の意見を出汁にして、Kのイメージを貶めるような『詭弁的手法』を採っている事」に対してです。
これが、別の人なら「感情の悪化による、なりふりかまわない、感情論」と切り捨てても良いのですが、如往さんでは「それほどの状況になるのはあり得ない」と思うのです。
「もっと、過去の人(先人達)に敬意を持て」とか「戦時中、命を捨てて戦争に反対した尊い犠牲が現憲法の成立の礎となった事の評価をして欲しい」とかの主張なら如往さんに相応しい(どこかに英語が入るとして)でしょうが、まるで「阿修羅の非論理派の代表」として「慣れない悪役を演じている」という印象を受けます。
まあ、Kに対し「情緒などに訴えても無駄」と判断し「罵倒表現をメインにした」のなら、手法としてあり得るかな?とも思うけど、あっしらさんの「蔑称攻撃」にも耐えたKに【個人的に反芻したものの吐瀉物に過ぎない】程度では効果がない事くらい判断できる人だろうと思うのです。
文章の「完成度」などと云う外見にしか噛み付けないと云うことは「内容的には反論不能と判断したのかな?」とも思いますが
「負けを認める自分を誤魔化すための言い訳」を「自分が聞きたいがため」に「意見を書いている」のかな?
と云う印象を抱いています。もしくは「弱者への同情心?」