★阿修羅♪ > 議論24 > 465.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
憲法9条を守るという命題に少なくとも「2つの方法論」が考えられる。
一つは「議論に入らせない、入り口封鎖法」であり、今までは「その戦法によって、何とか守られてきた」と云うのは事実である。
しかし、この戦法には大きな問題点があった。
それは「今日は守れても、明日の心配が消えない」という点である。
ろう城作戦では「相手には被害が出ない」のだから、根本的解決にはならない。
「虫歯の治療に正露丸を詰めて、その場しのぎをしたって、いつかは本格的な治療が必要」というのと同じ事なのだが、まあ、方法論としてはあるだろう。
もう一つは「戦って、決着をつけてしまう事である」
「危険過ぎる」と云う意見はKでも分かる。
しかし「危険過ぎる」から、決戦は避けられるのか?と言えば、既に「外堀・内堀とも埋まってしまった大阪城と同じ状況」である。
決戦が避けられないのなら「決戦をして勝つしかない」のであって、ここまで来たら「決戦は避けるべき!」と叫んでいたって、負けるに決まっている。
「決戦は避けるべき!」と叫ぶ暇があったら、「勝つ方法を考えて、少しでも準備をするべき」だと思う。
現状を分析すると「決戦したら勝ち目はない」と思うのは当然と云う状況に見える事は確かだが、果たして「絶望」と云う状況だろうか?
改憲論者の主張は概ね3つである。
1「戦争のできる普通の国になるべき」
2「独立国なら自主憲法を持つのが当たり前、今の憲法はアメリカから押し付けられたものである」
3「60年もの間、一度も手直しされていないので、現状に合わせるべき」
仮に「今、国民投票をして、憲法9条が守れれば」2と3の論拠は消滅するだろう。
これは逆に言えば「改憲賛成者であっても、必ずしも憲法9条を消滅させる事に賛成というわけではない」と云うことである。
ここで、言葉の定義の混同を避ける意味で言葉の定義を行っておこう。
憲法9条(憲法の前文を含む)部分の改憲論については以後「9条改悪」と書いていきたいと思う。
また、憲法の9条以外の手直しを「憲法手直し」としたいと思う。
憲法9条は崇高な理念によって作られているが、崇高な理念だけあって、理解し辛いのも確かである。多分であるが、憲法の崇高な理念を訴えるという手法では「国民には受け入れられない」だろう。少なくとも決戦前には「準備を整えるのは至難の業」である。
ここで、「小泉前総理の手法を学ぶ」事を提案したい。
世論を誘導するのに成功したのは「改革を止めるな!」というキャッチフレーズ戦法である。
「覚えやすく、分かりやすく、良い事に思える」(しかし、内容は不明)という巧妙な世論操作によって、小泉氏の反対論者は敗れ去ったといえるだろう。
今回も、相手が小泉氏であったら、かなり不利であるが、今の相手は「マスコミ嫌いの安倍氏である」
ハッキリ言えば「マスコミ操作は下手」と考えられる。
おそらくは「憲法は変えても良い」と思っている人の多くは「戦闘をするのは自衛隊」であり「自分にも火の粉が掛かる」とは考えてはいないだろう。
そこを「気づかせれば」勝負は分からない。
「貴方は戦場に行きたいか?」と問われて何割の人が「行きたい」と答えるだろうか?
「貴方の子供を戦場に行かせたいか?」と問われて、何割の親が「行かせても良い」と言うだろうか?
つまり
「徴兵制への道を開けるな!」
「子供を戦場に行かせるな!」
の文句を「国民の耳に染み付かせれば」勝率は大きくUPするとKは思う。
「我が子が戦場に行く可能性」を考えた母親なら8割近くが反対すると思われる。
また
「徴兵制ができれば、引っ張られるかもしれない世代(概ね40歳以下の男子)」なら、ある程度の危機感を感じ7割程度は「反対」に流れると考えられる。
残ったのは40歳より上の男子であるが、この辺の世代は「憲法9条の理念も理解できる人も多い」ので、3割程度は「9条改悪には賛成しない」だろう。
もっとも、K程度の事を考える奴は「9条改悪派にだって腐るほどいる」ので、決して楽観できるような状況ではない。
しかし「9条改悪阻止派(=護憲派)」が「それなりの準備を整えている」と判断させる事によって「不意打ちの内に楽勝で勝てるわけではない」と9条改悪派に思わせる事ができれば、場合によっては「入り口前で引き返させる事も可能」である。
ベンガルかどこかの国では「背中に目の絵を貼る」
虎に襲われないための工夫である、虎でも「楽に勝てると思わなければ、襲うのを止める」のだそうである。
もちろん、K程度のアホよりは「もっと良い、勝つためのアイデアを考え付く人はいるだろう」
決戦する覚悟を固めれば「頭だって働く」のである。
「負ける」と考える前に「どうしたら、勝てるのか(憲法9条を守れるのか)?」を考えるべきである。