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言葉で表現されたものが実態そのもので無い事は明らかです。
ところが言葉が独り歩きしてあたかも「実態を正確に表した」ものだと捉えているような言説が多々見られます。
日本民族の実態は明らかではありません。
色々な説が行われておりますがあくまで説です。
にも関わらす「日本民族の文化」なるものが語られるのです。
これは「日本文化とは大体こんなもんだろう。」という幅を利かしている共通認識を述べたものに過ぎません。
このようなものを元にした議論は砂上の楼閣に過ぎません。
人間は自らのアイデンティティを何らかの集団への帰属意識で安定化させようとします。そこで民族意識なるものが利用されるのです。
そして帰属意識が芽生えたら今度は「その集団の為に奉仕する事」が強要されます。
日本民族の意識を過剰に持った人間が国益に反する行動を取ったと見なされる人間に対してテロを行う事も又義務と感じられての事でしょう。
加藤氏の家を放火全焼させた人間の論理はそのようなものであったと推察します。
言葉は人間に様々な勘違いをさせます。
「国の為に命を捧げる」という事になんら積極的な意味はありません。
国とはブラック・ホールのようなものであり、無限に命を吸い込んで何も生み出しません。
ところが「国の為に命を捧げた」という主観に感動し、ブラック・ホールに命を投げ出す事を奨励する人間が現れるのです。
靖国神社はブラック・ホールの入り口です。
結果、日本人に対する憎悪を生み出し、
戦争を誘発する事によって世界をブラック・ホールに吸い込ませるのです。
実態の曖昧な言葉を実態だと勘違いする事によってアホな事が山ほど行われるのです。