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(回答先: 靖国参拝は外交問題です。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 13 日 14:23:16)
>私達と国というのは別ものです。国民が国なる空虚なものを守る為に命を投げ出すという事はどうみても倒錯的論理です。戦死者のおかげで現在の我々がいるのではなくあのような愚かな人々がいたにもかかわらず我々は働いて自分たちの生活を成り立たせたのです。
戦後は「国」や「天皇」が企業に置き換わりましたが、これも一緒です。やはり企業利益なるものもまた空虚なるもので、それ自体が国民一般の利益とは合致しないのです。
日本企業が発展すれど、個人過労死す。では、何のために働いているのか?
米国企業の利益上昇が必ずしも米国人の利益ならず、日本企業の利益上昇が必ずしも日本人の利益ならず、中国企業の利益上昇が必ずしも中国人の利益にならぬことを我々は90年代以後いやというほど見せ付けられた。
企業を守るために命を投げ出すというのもまた倒錯的論理なのです。生活の糧を得る所に命を奪われるほど馬鹿馬鹿しいものはない。外資系でオーナーが米国人や中国人でなければ良いのではありません。権利の上に眠る者に権利はない。「嫌なものは嫌」という意思表示ができなければ、たとえ憲法や教育基本法、労働基準法の文言が一字一句変えられずとも、我々の現実は戦時中と同じになること必至。日本が外資どころか日本企業の植民地になることだってあり得る。企業ってそんなにええもんちゃう。今の企業社会だって、たかが奴隷制、封建制よりほんの少しましな形態になっただけ。憲法そのものではなく、具体的な自分や行政のアクションが生活を守るのです。